『谷川俊太郎詩集』を読む。
詩集というものに手を出したことがほとんどない。
読む人の感性や、おかれている状況によって、
さまざまな解釈ができそうな、そぎ落とされた言葉の粒を見ていると
なんだか不安定な、おぼつかないような、足元がしっかりしていないような気分になる。
それでも手に取ったのは、
いつだったか、自分の好きなアーティストが
「小説はほとんど読まないのだけれど、詩集はよく読んでいる」
と答えていたのが頭のどこかにあったこと。
TVでみた谷川さんが、とてもキュートだったこと。
あの時は確か、息子さんが「親父を尊敬しています」というようなことを話していて
それに対して谷川さんは、心底驚いたような顔をして
「そうだったの? そういうことはちゃんと伝えてくれなくっちゃ。
いろいろ変わったかもしれないのに、君に対する対応とかが」
みたいなことを言っていたように記憶している。
そして、実際に座談会でみた谷川さんの言葉の選び方、回転の速さ、
ご自分の詩を朗読されたときの声、
その朗読でのメリハリの付け方など・・・から
とても興味がわいたから。
私にとっての詩はある意味、「読んでいる」
紙の上の文字を、頭の中で想像して映像化している、
ような感覚だったのだけれど
谷川さんの声に乗せた詩は、本から浮き上がってさまざまなスピードで
音や色をまといながら自分のほうへ生き生きと飛んでくる、または向かってくるような感じだった。
そんなこんなで、読んだ詩集は
「これすてき!」と思ってチェックした詩を、後日読んでみると
「確かに素敵だけど、今日はこっちがいいかな」などと
やっぱり日によっても違う顔を見せた利するもののようだ。
詩人の頭の中って、どうなっているんだろうなぁ。
詩集というものに手を出したことがほとんどない。
読む人の感性や、おかれている状況によって、
さまざまな解釈ができそうな、そぎ落とされた言葉の粒を見ていると
なんだか不安定な、おぼつかないような、足元がしっかりしていないような気分になる。
それでも手に取ったのは、
いつだったか、自分の好きなアーティストが
「小説はほとんど読まないのだけれど、詩集はよく読んでいる」
と答えていたのが頭のどこかにあったこと。
TVでみた谷川さんが、とてもキュートだったこと。
あの時は確か、息子さんが「親父を尊敬しています」というようなことを話していて
それに対して谷川さんは、心底驚いたような顔をして
「そうだったの? そういうことはちゃんと伝えてくれなくっちゃ。
いろいろ変わったかもしれないのに、君に対する対応とかが」
みたいなことを言っていたように記憶している。
そして、実際に座談会でみた谷川さんの言葉の選び方、回転の速さ、
ご自分の詩を朗読されたときの声、
その朗読でのメリハリの付け方など・・・から
とても興味がわいたから。
私にとっての詩はある意味、「読んでいる」
紙の上の文字を、頭の中で想像して映像化している、
ような感覚だったのだけれど
谷川さんの声に乗せた詩は、本から浮き上がってさまざまなスピードで
音や色をまといながら自分のほうへ生き生きと飛んでくる、または向かってくるような感じだった。
そんなこんなで、読んだ詩集は
「これすてき!」と思ってチェックした詩を、後日読んでみると
「確かに素敵だけど、今日はこっちがいいかな」などと
やっぱり日によっても違う顔を見せた利するもののようだ。
詩人の頭の中って、どうなっているんだろうなぁ。
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