ここのところ、ボクシングとは無縁のぐだぐだ話しかネタがありません。それでもまあ伝言板みたいなブログですから、とりあえず続けることが大切。
新しいシリーズ「本鵠沼駅の小景」を始めます。第一話は「母と娘」。
子の無事や健康を願わない親はいません。子が幾つになっても、自分がどんなに老いようとその気持ちは変わりません。
自分も親になってみて、また両親が老いてみてそれが身に沁みるのです。
ましてや小学校に上がったばかりの娘がひとり、早朝の電車に揺られ小学校に通うとすると、親はもう心配で心配でたまらないと思います。
私が利用する早朝の小田急線本鵠沼駅で横須賀線沿線にある某私立女子大の付属小学校へ通っている女の子を毎日見かけます。もう6年間も見かけています。
6年前のその子は本当に小さくて小さくて、ランドセルが歩いているように見えたものです。女の子のお母さんは毎日改札までちいさな娘を送ります。ちいさな娘が電車に乗り込み姿が見えなくなるまで心配そうに改札で手を振り続けます。女の子も手を振りかえします。
春夏秋冬、雨の日も風の日も寒い日も暑い日も毎朝毎朝ふたりはそうしています。私はそれを毎朝ほほえましく見ています。
そしてその女の子はもう6年生、もうすぐ卒業です。随分と身長も伸びて利発そうな大人の顔になってきました。ランドセルは幾分くたびれてきたけれど、その中には楽しい思い出がいっぱい詰まっているように見えます。
改札で手を振るお母さんの表情には6年間娘と過ごした幸せが表れています。
中学生になったらさすがに駅までの見送りはなくなるのでしょうね。それは成長の証だけれどお母さんからすると寂しいかもしれませんね。
私の場合、高校生時分まで、雪の積もった朝には母が早起きして、玄関先から通りまで雪を退けて道を作ってくれたものでした。
そんなことはいいよと断っても母はそうしたいと言って聞きませんでした。そして、白い息を吐きながら、私の姿が見えなくなるまで見送るのでした。
私は照れ臭いのと、寒い外に母親を長く立たせちゃいけないと思い、いつもいつも雪道を全速力で走って行ったものです。親子ってそんなものなのでしょうかね〜〜
懐かしいなぁ~