クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

朴竜の野辺の花々を慈しむ 35

2017年10月11日 | ちっちゃいおっさん
この花は「レースフラワー」と言います。

セリ科の一年草で,地中海沿岸地方の原産。ドクゼリモドキという和名がついています。

印象が悪いためかレースフラワーの俗称で流通していて、俗称の由来となったレースを思わせる繊細な印象があり,切り花や花壇に利用されています。

湿気のあるひなたや半日陰を好むらしく。じょうぶで育てやすいんだそうです。


この写真は今年の7月末に認知症で入院している母の顔を見に帰った時、宿泊先のビジネスホテル前の空き地に自生している「レースフラワー」を撮ったものです。

母は掃除も料理も好きじゃなかったのですが、手先は器用で細かい作業が得意でいつも時間つぶしのために小物を作っては知り合いにあげていました。

その中で一番上手だったのが「レース編み」で、時間をかけて大中小たくさんの素晴らしい作品を編んでいました。

私は「レースフラワー」があまり好きではありません。

それは子供の頃に私が母にした酷いことを思い出すからです。

それは何かがきっかけで母と喧嘩をしたのですが、母に原因があったように覚えています。にもかかわらず、親にはよくあることで大人の都合で子供が一方的に悪いとする母の態度が許せなかったのです。

怒った子供の私、母がもう少しで編み終えようとしているレース作品の糸を引っ張り半分くらい解いてみせ、ゴミ箱に捨ててしまったのです。

そんな母は叱るでもなく、私の怒りが冷めるまで、悲しい目をして私をずっと見つめていました。

そして一言「お兄ちゃんごめんね」と。

大切なレースをめちゃくちゃにした私ですが、母は喧嘩の原因が自分にあったことに「ごめんね」と言ったのです。

私も心で泣きながら母を責めるようにレースを解いていました。こんなことをするのは自分が悪いんじゃなくて母が悪いのだと言い聞かせていました。

でも「お兄ちゃんごめんね。」って聞いた途端、自分のしでかしたことが悲しくて申し訳なくて「お母さんごめんね」と大泣きしてしまいました。

もう45年以上も前のことです。

私もふたりの子供を育てました。その中で昔の私が母や父にしたことと同じように返されてことは何度もあります。

それは巡るのですね。

そしてそれが親になっていくということなんでしょうね。

「お母さんごめんね。」私は呆けてしまった母親の枕元で何度もささやくのです。

母は「何がごめんさ?」、「うん、一緒にいてあげられなくてごめんなんだわ。」と言いたかったのだけれど、声に出すと涙が止まらなくなるので、ただ、頷くばかりでした。