クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

帰宅列車(通勤快速)にて

2018年12月26日 | 日記
ブログのバックナンバーを読んでみました。

4月くらいから忙しくなり、必然的に愚痴が増えています。
8ヶ月が経ちました。
何も変わっていません。
いや、変えられなかったのです。

体力勝負に徹してしまった今年は敗北です。
その体力もそろそろ限界に近づいてきています。元々、ボクシング同様にテクニシャンタイプですからね。

来年こそ状況を打破しなくてはなりません。
最低でも3ヶ月はかかるでしょう。
長い道のりです。
逆にそれを乗り切れば試合に出られる状況になるかもしれません。
ま、そうなっても出るとは思えませんが。
怖いからね。


あ、こんな話をするつもりはなかったんだった。

散々悩んで「Girl's Bar(ガールズ・バー)」に入る決意をしたら、そこは「Grille Bar(グリル・バー」で、入った以上肉を食べまくって、お腹いっぱいになった話をしたかったんだった。



さて、最後は、くりんちーずで、あるいは何かの機会で、以下のうち一曲でも良いから演奏してみたい曲。


・チャットモンチー
「シャングリラ」


・ミッシェルガンエレファント
「リリィ」
「Cisco」
「ダニーゴー」
「ハイチャイナ」


・バースデイ
「なぜか今日は」
「涙がこぼれそう」
「さよなら最終兵器」


・ルースターズ
「どうしようもない恋の唄」
「ロージー」


まだまだあるけど、また今度。

大丈夫!僕は元気に頑張っているよ。

2018年12月26日 | ちっちゃいおっさん
あ、朴竜です。
年末挨拶回りの時間調整中の投稿です。

昨夜、今春に逝った母の夢を見ました。
どうもにも疲れが溜まっていたり、体調が優れない時に決まって実家の夢を見たりしていたのですが、この頃は母が代わって会いに来てくれるようになりました。

きっと、私のことを心配してくれいるのだと思います。

昨夜の母はまだ60歳前で今の私と同じくらいの姿でした。

上京に際してお洒落を意識したや服や髪型で夢に出て来た母は、私が93年に辻堂に家を建てた時に、2歳になった外孫を見に来がてら新築祝いを持って来てくれた時のもの。

新築した家の屋上から見える富士山を喜んでいた横顔は当時の母そのままでした。

実家の北海道はあまりに遠く、忙しさや金銭的事情を言い訳にして三十数年ろくに会わなかった私。

それでも、会えずとも母が生きているということで心の支えがありました。甘えていたのですね。

そして今年、大切な心の支えのひとつを失くしてしまいました。

本当に帰りたい場所を失くしてしまいました。

私がどうであっても、それでも愛してくれる大切な人を失くしてしまいました。

手のひらには氷の塊のような重く冷たい後悔が残っています。

おそらく母は後悔している私に、大丈夫、そんなことはないよ。

健康でいてね。無理しないでね。一人でなんでも抱えて悩むことはないよ。

それだけが望みだよ。と、

たまに私をリセットしに来てくれているんだと思います。

夢の中のそんな母の気持ちが嬉しくて哀しくて、ハッと目が覚めると、どうも私は泣いていたようです。