本日、4月27日は・・・
1991年に嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線が開業。
山陰本線の旧線にトロッコ列車を走らせ、
観光鉄道化した日だそうです。
ということで・・・
国鉄時代の保津峡駅での交換と思われる光景です。
1980年4月1日、福知山機関区に保管されていた
DD54 33号機を見に行く途中での撮影ですが、
最後部の貫通路部分には鎖もなく、なんとも
長閑というか、適当というか・・・
昭和時代の一コマでした。
本日、4月27日は・・・
1991年に嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線が開業。
山陰本線の旧線にトロッコ列車を走らせ、
観光鉄道化した日だそうです。
ということで・・・
国鉄時代の保津峡駅での交換と思われる光景です。
1980年4月1日、福知山機関区に保管されていた
DD54 33号機を見に行く途中での撮影ですが、
最後部の貫通路部分には鎖もなく、なんとも
長閑というか、適当というか・・・
昭和時代の一コマでした。
本日は『日付ネタ』で・・
DD14です。
1996年7月31日、松任工場にて廃車留置中のキハ23や
キハ30を撮影の際、ナンバーのないDD14を見かけて
撮影していました。
こちらは再掲となりますが・・・
1978年11月5日、早朝の長岡機関区にて。
こちらも機番は分かりませんが、補助灯の
有無など細部の違いが興味深いです。
『〇〇年前の今日』シリーズ。
今回は、いまから42年前の今日、1978年9月27日。
この日が、初めての大阪駅での撮影。
次々と発着する優等列車の数々に、
忙しくも楽しかった思い出です。
山陰、南九州と続いたので、ついでと言っては何ですが・・・
亀山機関区のDF50です。
と言っても、これは運用を退いた後の姿。
機関区の端に3両留置されていました。
こちらは再三投稿している画像ですが、亀山駅の側線に留置されていた4号機。
保存されるため、解体される車両とは離れた、まさに”疎開留置”状態だったようです。
これで本州内のDF50は全て退き、残すは四国のみとなったわけですが、
程なくして自分の鉄道熱も冷めてしまい、本当のDF50の最期を
見届けることはありませんでした。
1980年4月9日 撮影
前回は山陰のDF50をご紹介しましたので、
今回は南九州のDF50を。
1979年8月10日、日豊本線の・・・都城駅だったかな??にて・・(汗)
『彗星』を牽引する561号機。
隣に写っているキハ17 222は志布志機関区所属で、この一月後には
廃車となっていたようです。