車両の顔の第90回です。
今回のお顔は・・・
クハ55 441です。
1940年4月にサハ57 014として製造され、初配置は田町。
それ以後の移動履歴は1951年3月に松戸、1956年11月に品川、
1961年2月に制御車改造されクハ55 323となり、1962年3月に富士へ、
1963年11月に三鷹、1966年4月に富士、1968年4月に沼津へと渡り、
1968年12月には便所取付け改造され、クハ55 441となりました。
それ以後、1982年2月に廃車となるまで身延線を走り続けました。
種車のサハ57 014が1940年製の為、ノーシルノーヘッダーの
スマートな車体でしたが、スカ色の塗り分けでその魅力が
あまり目立たないのが残念です。
三鷹時代は『山スカ』の先頭に立っていた事もあるようで、
その凛々しい姿を生で見てみたかったものです。
この写真を撮影した時は洗車中だったのですが、この反対側は
”あの”クモハユニ44 803でした!
が・・・何故かそちらの”顔”は撮っていなかったという
いつもながらに詰めの甘い、中学生のショッポー君でありました(涙)
1978年3月26日、富士電車区にて。
今回のお顔は・・・
クハ55 441です。
1940年4月にサハ57 014として製造され、初配置は田町。
それ以後の移動履歴は1951年3月に松戸、1956年11月に品川、
1961年2月に制御車改造されクハ55 323となり、1962年3月に富士へ、
1963年11月に三鷹、1966年4月に富士、1968年4月に沼津へと渡り、
1968年12月には便所取付け改造され、クハ55 441となりました。
それ以後、1982年2月に廃車となるまで身延線を走り続けました。
種車のサハ57 014が1940年製の為、ノーシルノーヘッダーの
スマートな車体でしたが、スカ色の塗り分けでその魅力が
あまり目立たないのが残念です。
三鷹時代は『山スカ』の先頭に立っていた事もあるようで、
その凛々しい姿を生で見てみたかったものです。
この写真を撮影した時は洗車中だったのですが、この反対側は
”あの”クモハユニ44 803でした!
が・・・何故かそちらの”顔”は撮っていなかったという
いつもながらに詰めの甘い、中学生のショッポー君でありました(涙)
1978年3月26日、富士電車区にて。