『〇〇年前の今日』シリーズ。
今回は、いまから25年前の今日、1995年8月30日。
この日は未明に東京を発ち、砺波平野へ。
城端線で国鉄型DCを撮影していました。
未だ高速網が発達していなかったため現地まで行くのは大変でしたが、
気温は現在よりも幾分かは”マシ”だったように思います。
1995年8月30日、城端線 越中山田〜城端間にて。
『〇〇年前の今日』シリーズ。
今回は、いまから25年前の今日、1995年8月30日。
この日は未明に東京を発ち、砺波平野へ。
城端線で国鉄型DCを撮影していました。
未だ高速網が発達していなかったため現地まで行くのは大変でしたが、
気温は現在よりも幾分かは”マシ”だったように思います。
1995年8月30日、城端線 越中山田〜城端間にて。
1980年〜1992年までの非鉄期間から戻ってみると、キハ40系の地域色でも贅沢は言ってられませんでした(苦笑)
国鉄からJR移行の際は、各社躍起になって国鉄のイメージを払拭?したかったようですが、結局は今になって
JR西日本などでは朱色一色に戻してみたりと、随分と無駄な事をしてきたものと思わずにいられません。
キハ58,28は当たり前すぎて、キハ40シリーズは当面安泰と安心しきって撮り逃しました。キハ40に至っては、未だに何でこんなにもてはやされてるの状態です。特にキハの地域色は電車と違って編成になるとぶつ切りに見えるのが好きになれなかった理由でしょうか。運転台が入るからやむなしなのですが、オリジナルは違和感無いのでデザインの考え方の問題でしょうかね。