すでに皆さんご存知の事かと思いますが・・・
というより、皆さんのブログで知った事なのですが^^;
とうとう、583系の引退が決まったそうですね。
永い間の活躍、本当にお疲れさまでした。
労いの意味を込めて、自分の印象に残る581/583系の姿を
何回かに分けてご紹介したいと思います(殆どが再掲写真ですが・・)
まずは、自分が初めて撮影した581/583系は・・
『つばめ』でした。
上野デビューの一年前、当時の鉄道雑誌でこの姿を見て以来、
どうしても見たくての岡山遠征でした。
1975年3月9日、岡山駅にて。
こちらは1978年9月27日、大阪駅で撮影した『明星』です。
ネガシートのメモによると、先頭はクハネ581-1。
当時は『大ムコ』の所属だったようです。
こちらは貫通扉が埋められたクハネ581-7を先頭にした『なは』。
晩年の『はつかり』などでも見られた貫通扉の埋め込みですが、
1979年3月撮影の時点では、とても驚いたものでした。
というより、皆さんのブログで知った事なのですが^^;
とうとう、583系の引退が決まったそうですね。
永い間の活躍、本当にお疲れさまでした。
労いの意味を込めて、自分の印象に残る581/583系の姿を
何回かに分けてご紹介したいと思います(殆どが再掲写真ですが・・)
まずは、自分が初めて撮影した581/583系は・・
『つばめ』でした。
上野デビューの一年前、当時の鉄道雑誌でこの姿を見て以来、
どうしても見たくての岡山遠征でした。
1975年3月9日、岡山駅にて。
こちらは1978年9月27日、大阪駅で撮影した『明星』です。
ネガシートのメモによると、先頭はクハネ581-1。
当時は『大ムコ』の所属だったようです。
こちらは貫通扉が埋められたクハネ581-7を先頭にした『なは』。
晩年の『はつかり』などでも見られた貫通扉の埋め込みですが、
1979年3月撮影の時点では、とても驚いたものでした。
貴重な写真を有難うございます。
1975年3月9日と言えば、新幹線博多開業前日で、「つばめ」のラストランだったのではないでしょうか。
(御説明済かもしれませんが。)
仰る通りの『ゴーマルサン改正』の前日です。
この日の記事は以前に投稿しているため説明は省いてしまいましたが、
『つばめ』や『はと』の最後の姿を見たくて、親に頼み込んでの
小6にして初めての単独遠征でした。
その時の様子を『国鉄時代の駅の部屋』書庫に投稿しておりますので、
お時間のある時にでもご笑覧頂ければ幸いです^^
2枚目の大阪駅10~11番線の神戸寄り
荷物客車に関連施設や携わる人々、懐かしい光景です・・・
この時代の朝は、583系を始め続々と夜行がこのホームに
華やかな姿をみせつつ到着していましたね。
クハネ581-7は、事故復旧車らしいです。最後は九州で
格下げとなって一生を終えたようです。奥の福知山線?の
ナハ10系客車もいまとなってはお写真の貴重な”脇役”ですね。
581-7は事故復旧車ながらも、”しぶとく”?生き抜いたのですね^^;
荷物車が3編成?も写り込んでいた事にも今更ながら驚いていますが、
当時は優等列車ばかりに目がいってしまい、ナハ10系客車ともども、
それらの”脇役”には、それこそ脇目も降らなかった事が悔やんでも
悔やみきれません(涙)