第八編 罪と蕩減復帰
第一章 蕩減・復帰原理の根拠
一 間接主管圏と直接主管圏
1.間接主管圏
統一教会の原理を見れば、間接主管圏と直接主管圏があります。しかし人間が堕落によって間接主管圏にとどまるようになり、直接主管圏には連結されていないのです。それで復帰摂理も責任分担ゆえに何度も延長されていくのです。それを知らなかったのです。直接主管圏に連結され得る神様の愛の圏に行くためには間接主管圏で何をしなければならないのでしょうか。自分の責任分担を完遂しなければなりません。
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人間が成長するための間接主管圏をおいたのは、人間が成熟することを願う神様にとっては不可避なことだったということを論理的に解明できなければなりません。原理結果主管圏をなぜつくったのでしょうか。これをつくらなければ成熟したという限界、その時をつかむことができません。思春期という時をどこに定めるのかというのです。それで原理結果主管圏において、思春期になる時まで待つのです。ゆえに愛は、神様が全部干渉してはいけないのです。人間が必要とするものは何かと言えば、絶対的な愛です。
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統一教会の原理という言葉は何を意味しますか、なぜ原理と言いますか。原理結果主管圏と直接主管圏の限界線をつくること、それが原理です。アダムとエバが長子として蘇生、長成、完成圏に上がらなければならないこと、それが原理です。この間接主管圏内でも人間が完成するためには責任分担を果たさなければなりません。成熟するまでは絶対に愛の因縁を結ぶなというのです。大人になる前にアダムとエバがそれをしてはいけないのです。ですから限界線を定めておいて、「待ちなさい、取って食べるな!」と言ったのです。
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アダムとエバが堕落しないで、神様の前で間接主管圏を通過し、直接主管圏と連結され得る思春期になれば、すべての宇宙の力がここに和合できるし、ここに凝結され、作用するのです。その焦点で男と女が出会うと同時に、天と霊界と肉界が出会うのです。それは霊界で結ばれるのではありません。それで天国に入った人がいないというのも、この焦点に照準が合って写真を撮って(霊界に)行った人がいないということです。これはよく撮れていない写真と同じようにピントが合っていないのです。平面的焦点とともに垂直の焦点がぴったり中央点に合ってぱっとやらなければならないのに、そのように写真が撮れなかったというのです。愛の完成的写真が撮れなかったということを知らなければなりません。分かるでしょう。皆さんの中で誰がそのような愛をしていますか。そのような夫婦になっているのかというのです。
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直接主管圏は、アダムとエバが愛を中心として同参することのできるところです。ですから間接主管圏は、まだ責任分担未完成圏です。責任分担完成と同時にアダムとエバが愛を中心として夫婦になって、神様は内的父になり、アダムとエバは外的父母となって内外に一つとなる時に初めて直接主管圏が設定されるのです。ですからこの過程では結婚が絶対に必要だというのです。独身では越えていけないのです。
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天国はどこから始まるのでしょうか。サタンを分立しただけのところで始まるのではありません。責任分担完成圏から始まるのです。それは直接主管圏、間接主管圏が責任分担を完成したアダムとエバを通じて初めて連結され、天の愛が地上の愛に連結されるのです。これが原理です。それができていないので、サタンはこれを妨げるのです。天の愛の道を妨害するのがサタンなのです。
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いくらキリスト教文化圏が大きいとしても、新婦と共に真なる神様の愛と結合することのできるアダム完成者が来なければなりません。ですから責任分担を完成して直接主管圏内に入り、愛を中心として上下、前後、左右に一体化し得る家庭的真の愛の基盤を備えなければならないというのです。それは易しいことですか。
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真の父母は全体の責任分担を完成した立場で、間接主管圏と直接主管圏の心情圏を一元化させなければなりません。天国化させるためには、天上世界や地上世界を一元化させ得る基盤が築かれなければ天国はできないようになっています。それが創造理想です。
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人間が堕落しなかったならば、一度に責任分担を果たすようになっていました。しかし、堕落することによってサタンが生じたので、父母様は堕落した後孫たちの前に世界的な基準で一度に越えていける蕩減基準を立ててあげなければなりません。そのような責任分担圏を立てることによって一度に蕩減基準を立て、間接主管圏内から直接主管圏内に飛躍して入ることのできる基準をつくってきたのが、今までの先生の一生の仕事だったというのです。
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2.直接主管圏
責任分担を完成することによって間接主管圏と直接主管圏が連結され、地上天国と天上天国が連結されるのであって、それがなければすべて無効です。ですから私たちは責任分担を完成した愛の実体、愛の化身となって、神様を愛し、全宇宙を愛し、自分の家庭を愛さなければなりません。そのような人だけが天国に入るのです。それが天国に入る公式です。
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責任分担圏は、愛を中心として一つになったところです。完成に向かって縦的な神様の愛と連結されたとき、間接主管圏と直接主管圏が連結されます。そこにはサタンがいないのです。間接主管圏が連結されれば心情圏が連結されるので、サタンがそこに存在できないのです。その前に堕落したので問題なのです。
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神様の完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで神様の縦的愛とアダムとエバの横的愛が連結されるのです。
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本来アダムとエバが堕落しないで、責任分担を完遂して神様と愛の一体圏内で天地が一体化して勝利的基盤を築いたというときは、神様とアダムが一つになったその愛の圏内で天使長を連れて天国に行くのです。それが道理です。それが原則です。
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責任分担は成熟する時まで必要なものです。成熟して思春期に入ればすべて終わるのです。愛の圏内に入れば直接主管圏内です。神様であると同時に私であり、私であると同時に神様です。
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原理の責任分担という言葉は何を意味しますか。責任分担完成というのは人間の愛と神様の愛が一つになることです。神様の愛は永遠の愛なので、永遠の神様の愛を中心として人間は相対の立場で永遠の一体を成すのです。そこには分立があり得ません。
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神様が人間を創造されるとき、直接主管圏と間接主管圏をおいてつくられました。それではなぜ間接主管圏をおいたのですか。直接主管圏と間接主管圏はいつ一つになるのでしょうか。本来の真の人類始祖であるアダムとエバが成熟して互いに横的な立場で愛によって一つになろうとする時、神様が臨在し、縦的な愛を中心としてアダムとエバを横的な愛によって接ぎ木するためのものがアダムとエバの結婚です。それで天地の一体化を成すのです。
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直接主管圏がなぜ必要なのでしょうか。直接主管圏に連結せずには神様と愛の連結ができないからです。この愛が連結されなければ神様から宇宙を相続することができません。相続は愛を中心としてするようになっています。ですからすべての国やすべての家庭も愛する子供を中心として相続させようとします。原理がそうなっています。
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責任分担という言葉は先生の時代に初めて出てきた言葉です。ある人は「間接主管圏や直接主管圏という言葉は、文先生が頭がいいので、合うように作った言葉だろう」と言うかもしれませんが、それなら私がどうして苦労しますか。適当に作ったのならば、私が一生の間何のために監獄に出入りしながらこのように苦労するでしょうか。口にもしてはいけません。私が作ったのならばどうして楽に行けないのでしょうか。楽な道を行ったらいいのに、なぜこのように、花のような青春を犠牲にし、ぼろのふろしきをまとって、このように生きなければならないのかというのです。レバレンド・ムーンが作ったという言葉は成り立たないのです。作るに先立って、それ以上の何かがあるということを知っているので、死の峠でも行こうとし、迫害の道も自ら進んで行ったのです。迫害の道を好む人がどこにいますか。神様しかその事情は知らないでしょう。
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祝福を受けて否定するのは、サタンよりももっと悪いです。サタンが讒訴するというのです。これは直接主管圏内に入って堕落したのと同じです。皆さんは知りませんが、その原則、その天理の法度が適用されるということを知らなければなりません。ですから、頑張らなければなりません。皆さんが、どのようにその伝統を立てるのかということが重要な問題です。
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その世界は、皆さんが考えるような漠然としたところではありません。直接的にお父さん、お母さんが私の皮膚にぶつかって来るし、私の精神にぶつかって来るのです。心の感動が爆発して私を刺激することを感じれば、彼は既に天国内で生きている人です。このようになれば、ちょっと人に接すれば分かります。「あの人は悪い人で、あの人はいい人だ」というのです。そのようになれば、皆さんが想像できない次元の高い直接主管圏内に入ったことを発見するでしょう。そう見るのが原理観です。そのように生きなさい。
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間接主管圏と直接主管圏を連結させるために責任分担を完成しなければなりません。責任分担完成というものは男性が成熟し、女性が成熟しなければならないのです。男性と女性が完成したとはどういうことですか。エデンの園での完成は神様しか知らないのです。神様を第一に愛さなければなりません。その次に男性は女性を第二に思い、女性は男性を第二に思う、そういう人にならなければなりません。このようになるとき、責任分担を完成することによって、みな間接主管圏から直接主管圏内に行くことのできる新しい次元に越えていくのです。
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堕落した人間世界で一番必要とするものは、堕落圏を乗り越えた真の父母です。私たちの原理で言えば、責任分担を完成した、その圏内を越えた人だというのです。間接主管圏内から直接主管圏内に入った人です。直接主管圏とは何ですか。愛に一致した世界です。こうなれば他の主人が生じることができません。絶対的です。愛にぴったり一致すれば二人の主人を願いません。神様も他の主人を願わず、人間も他の主人を願わないというのです。そうしてそれが家庭に拡大し、氏族、民族、国家に拡大され、その愛の軸を中心として天運は回るようになっています。
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神様を中心として責任分担を完成した基準で愛を中心として統一され、天運が回るのです。このような回転圏内に誰が来てぶつかるでしょうか。サタンは影も現すことができなくなるのです。このような基盤さえできれば地上天国は自然に形成されるのです。
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原理結果主管圏を通過し、人間の責任分担を完成することによって愛を中心として連結されるので、直接主管圏に入るのです。そうすれば縦的な役事も横的にできるし、横的な役事も縦的にできるというのです。下に押せば横的になり、引っ張れば縦的になります。その言葉がそれです。引っ張れば縦的になり、下に押せば横的になるのです。それゆえ縦的にも占領できるし、横的にも占領できるのです。
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神様の完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。そうなればその縦横の愛を通じて神様の血統的な因縁が、血縁ができるのです。血筋が生じます。その血筋、神様の愛を中心として一つになり縦横の愛と因縁を結んで生まれた血筋は、サタンが干渉できないのです。サタンと因縁がないのです。ですから心情を受け継ぐためには、純粋な神様の愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければならないというのです。それが問題です。
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責任分担の統一的直接主管圏の一致点というのは理想的父母の愛からのみ可能なのです。
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責任分担は直接主管圏、間接主管圏を克服するのです。思いどおりに天上世界と地上世界に通じることができるようにするのは、神様の愛を中心として、一体的心情圏に入らなければならないのです。それが原理基準です。神様の愛を中心として自分の縦的な面の父母の立場を代表することのできる横的な面さえきっちり決まれば、そこからはサタンがいないのです。直接主管圏です。いまだに責任分担圏を越えることができていないので問題です。
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責任分担完成は、結果主管圏と直接主管圏の過程を通過し、愛をもって一体化します。一体化して直接神様の指導圏に入るのです。主管圏に入る、それ自体が神様の心情圏に属するのです。
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二 人間に責任分担がある
1.責任分担を下さった理由
神様が人間を愛されるとしたなら全天下が丸ごと屈服することのできる愛であり、権威を下さるとしたなら全宇宙が彼に従い、完全に頭を下げることのできる権威です。そのような最高の愛と最高の権威を考えて人間に責任分担を下さったのです。
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神様はどうして人間に責任分担を下さったのでしょうか。全知全能なる方なので、その全知全能な創造性までも賦与し、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表することのできる位置に立てるために責任分担を下さらざるを得なかったのです。これは福の条件になるのです。全体を占領することのできる一つの鍵のようなものなので、これを下さらざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題になり、堕落したということを私たちは知らなければなりません。
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人間は神様の創造の偉業に加担しなければなりません。もともと人間が堕落していなかったとしても、そのような責任はあるのです。堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落していなかったとしても人間は責任を負っているというのです。人として完成することのできる神様の九五パーセントの創造理想的形態をみな備えたとしても自分の五パーセントの責任を完遂しなければなりません。人間自体の完成を神様がさせるのではなく、自分がそこにプラスして完成しなければならない責任があるのです。堕落していなかったとしてもです。
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私たちは再建するのではなく、再創造しなければなりません。神様の責任分担九五パーセントに人間の責任分担五パーセントを合わせて新しくつくらなければなりません。
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人間に責任分担をなぜ与えたのでしょうか。創造の偉業に加担することのできる権威を与えて、神様の前に対象的な価値を賦与するためです。それは驚くべき事実です。
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原理には絶対性があります。原理には許しがありません。どうせ行かなければなりません。死んでも行かなければならないというのです。永遠に行かなければなりません。神様自身がこれを思いどおりにできれば、今まで復帰摂理の路程で受難の道を行く必要もないのです。しかしそのように制定しておいたので、責任分担的限界線のゆえに神様もそれにかかって今まで人間を復帰するために数多くの受難の道を歩んできたのです。その責任は神様にだけあるのではないということを知らなければなりません。人間と共同で責任を負っているのです。堕落しなかったとしてもそうだというのです。
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人間が責任分担を果たすことができなかったことによって蕩減復帰という怨恨の言葉が出てきたということを知らなければなりません。蕩減復帰の過程では、絶対に神様も後援しないし、本部も後援しないので、一人でしなければなりません。助けてあげたら蕩減になりません。どうしてですか。人間の責任分担という原則があるのでその原則において、助けては蕩減にならないからです。それを助けることができたならば、人間が堕落するとき、神様が干渉して堕落しないようにしたでしょう。責任分担があるからできなかったのです。人間の責任分担があるからできなかったのです。
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レバレンド・ムーンを神様が愛されますが、人間の責任分担を果たす過程で蕩減路程を行くときには神様が協助できません。私自身がサタンに勝って行かなければならないのです。サタンとサタン世界に勝って行かなければならないのが本来のアダムに許された理想圏でしたが、その理想圏を凌駕しなければならないというのです。
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結局責任分担があるから蕩減も生じるようになったという事実を知らなければなりません。もし責任分担がなかったならば神様はいつでも主管することができるのです。堕落するとき、「おい、そうしたら駄目だ」と言うことはできますが、人間の責任分担があって、神様が干渉することができない立場にいたので、人間が堕落しサタンが活動するのを防止することができなかったという事実を知らなければなりません。
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アダムとエバが、彼らが堕落する前に神様に先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこうするのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そうしていたならば、神様が答えたはずです。この尋ねてみることが責任分担の五パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねないで横的関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねないで行動したので問題が起こったのです。いつもそうです。皆さんは自分の責任分担の五パーセントを果たす自信がありますか。ないのにはしゃぐ雑多な鬼神たちが多いというのです。そのような精神をもって、いつ統一させますか。
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人間には責任分担があります。神様が人間に責任分担を与えた目的は創造の偉業に同参させるためです。九五パーセントは神様が造り、五パーセントは人間が造ることによって、創造するとき神様だけが創造したのではなく人間も自ら創造したという条件になるというのです。このような同等な価値を賦与するためのものが責任分担です。これが偉大なのです。人間だけに責任分担があるのです。しかし歴史始まって以来、責任分担を完成した人がいないというのです。責任分担、これを知らなかったのです。
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能力の多い神様、全知全能なる神様、絶対的な神様がどうして地上に御自身が願う天国を実現できなかったのかということが問題です。神様が思うとおりにされたなら既に一瞬のうちにすべてこれを解決することができたでしょう。しかし人間が堕落したので、人間の責任分担が残っているので、人間がその責任を果たさずしては神様が願う天国実現が不可能なのです。
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アダムとエバは愛を中心として完成しなければならないのに、愛を間違って、その責任分担に問題が引っ掛かりました。責任分担はすべての分野の過程にあります。目的を完成しようとすれば、過程を経なければなりません。過程には必ず責任分担が連結されるのです。それを知らなければなりません。ある時限的な過程を経るときは必ず責任分担があるのです。それを果たさないときには、すべてのものが破壊されるというのです。
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アダムとエバがなぜ堕落したのかと言えば責任を果たせなかったからです。責任分担はアダム一人でできるのですか。まず神様を中心として神様と一つにならなければなりません。神様と一つにならなければ責任分担を完遂することができない、ということを皆さんは知らなければなりません。その次は原理と一つにならなければなりません。このような二つの条件が成立しなければなりません。 *
責任分担を完成しなければなりません。責任分担、責任という内容を喪失してしまいその世界に生きることができなかったのが恨です。血統転換という怨痛な、この悲運の運命をもった堕落の後孫になったことが気の遠くなるような悲痛な事実です。これを抜け出すためにはありったけの力を尽くして責任を果たした息子の姿、娘の姿として立ち上がり、神様に対してためらわずお父さんと言うことができなければなりません。
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先生が行く道は泰山峻嶺(注:とても険しい峠の道)でした。いつ神様が手でも一度つかんで「おいおい、お前大変だな」と言われたと思いますか。夜も昼も保護し、喜んで迎えてくださると思いますか。見ながらもじっとしているのです。どこに行けという話もしません。教えてくださることができないのです。責任分担を果たさなければなりません。神様は本然の愛をもった人間を愛そうとしたのであって、愛を求めていく過程の人間を愛そうとはしなかったのです。
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責任分担を完成した立場の人間とはどんな人間でしょうか。神様のように完全な人間だというのです。神様が九五パーセントを創造しましたが、人間が共に一〇〇パーセント完成した創造の資格を賦与される位置に立っているので、人間の完成であると同時に神様の創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であると同時にみ旨の完成であり、み旨の完成であると同時に神様の完成になるのです。このようことが言えるのです。
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責任分担を完遂できなかった私たちの先祖の罪によって死亡の深淵、どん底が生じたのです。サタンの愛の領域が天国の門の前の境界線まで連結され、直接主管圏内と間接主管圏内の違いをもたらしたのです。
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責任分担を完成すれば、サタン悪魔がいなくなります。讒訴する存在がいないのです。この基準を越えられなければ讒訴条件があるのでいくら天上世界に、天国に入ろうとしても入ることができません。讒訴条件の内容をもてば入ることができないのです。絶対的な愛、不変・唯一・永遠の愛の内容を中心として神様の愛と関係を結んだ基準に立てばサタンがそこに讒訴条件を立てることが できません。そのような立場に立てばサタンが居座ることができません。私が行けば、サタンがいても出ていかなければなりません。
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アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の体に和してその体を着て完成し、この地上で神様の愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。そうすれば神様はそのアダムの心におられ、アダムの霊は神様の体になるのです。一身になるのです。永遠に神様の愛と人間の愛を共に分かち、それを呼吸するのです。
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人間が責任分担を完遂して神様と対等な立場に立とうとするのは、真の愛を授受するために、対等な愛を与えるためであり、同じ愛を授受するためです。互いに同じ立場で中心になり、同じ立場で授受するというのです。それを知らなければなりません。
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堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです。ただそのまま育てば思春期が来るようになっているので易しいのです。それは自然に来るようになっています。自然に来るので難しいことはないというのです。間違った愛によって責任分担が難しくなったのです。それでは責任分担の中心とは何ですか。神様が九五パーセントの責任を果たし、人間が五パーセントの責任を果たして、人間が神様の創造の偉業を相続することだというのです。それでは相続するための中心とは何ですか。真の愛です。
2.責任分担を果たせなかった結果
統一教会が言う責任分担という言葉は偉大な言葉です。皆さんもみな責任分担を果たせなかった立場にいるでしょう。人類始祖が責任分担を果たせなかったその場は、サタンの支配圏になってしまったのです。ですから責任分担を果たせなかったその位置以下から、悪主権の世界ができたのです。ですから復帰時代においての善主権の世界は、責任分担を完成した線以上のところから始まります。理論的にそうです。責任分担線以下では悪主権であり、責任分担線以上では善主権が始まりますが、悪主権の出発は何によって始まったのでしょうか。堕落した愛から始まったのです。
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責任分担の未完成によってサタン世界が形成され、この地がサタン主管圏内に残されたことを知っています。この責任分担未完成によって、神様も今まで苦労の道をたどってきたことを骨身にしみて感じなければなりません。
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責任分担圏を侵犯されることによって何が生じたのかと言えば、もう一つの父母ができたのです。もう一つの父母がサタンです。はっきり知らなければなりません。
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アダムとエバが責任分担を果たせませんでした。責任を果たせなかったことがアダムとエバ自体だけで終わったのではなく、アダムとエバが根となり、幹となり、枝となり、葉となって全人類は結局責任を果たせなかった、そのような立場にとどまっているという事実を、はっきりと知らなければなりません。
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神様が今まで人間の責任分担圏以上の立場で接しているというのです。しかしそれ以下に落ちた人間はどんなことをしても橋を架けて上がらなければなりません。その圏にすべての人類が引っ掛かっているのです。世界が引っ掛かっており、歴史が引っ掛かっており、霊界に行った人、現在この世界の人類、今後生まれてくる後孫全体が、この運命圏を抜け出ることができずにいるというのです。これが怨恨の堕落圏です。
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堕落した人間は人間の責任分担だけではありません。全体創造の九七パーセントを蹂躙してしまったのです。ですから再創造しなければなりませんが、再創造過程全部が倒れたというのです。ゆえにどんなに難しいかというのです。したがって人間が九七パーセントに該当し得る責任を果たさずしては、責任分担を完成する道が永遠にないというのです。再創造しなければなりません。復帰摂理は再創造摂理ですが、再創造がなぜ必ず必要なのでしょうか。人間の責任分担のゆえです。人間の責任分担を果たし、その場まで出ていくためには、必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造過程を通過するためには、必ず蕩減しなければなりません。蕩減条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。
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蕩減復帰して解怨成就したのちにこそ初めて責任分担が展開されます。恨を残した責任分担、このために神様も参って……。今まで人類がこの責任分担を果たすことのできる世界的な一時を迎えることができなかったので、恨の歴史は繰り返し流れてきたことを知らなければなりません。恨の多い責任分担の峠を、どのように越えるのかということを皆さんがはっきり知らなければなりません。
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アダムが責任分担を果たせなかったことによって天地にこのように数多くの壁(韓国語でダム:垣根・囲いの意味)をつくってしまいましたが、アア、ダムをどうしたらいいのですか! ダム(壁)をつくってしまったので、エバはどのようにしてこなければならなかったのですか。ですから人類歴史での女性の道は悲惨な道だったのです。こちらに行っては引き裂かれ、向こうに行っては踏みにじられたのです。ひょうたんのように、割れたひょうたんのようにけられて割れてもまた転がっていかなければならないのです。ぱんとけられて靴の跡がついても転がっていかなければなりません。また向こうでもけられて穴が十個あいても転がらなければならない境遇にあるのが女性だというのです。全身傷だらけになって転がっていかざるを得ない道を歩んできたのが女性です。なぜですか。してくるために(韓国語でヘオギウィヘソ:エバを意味するヘワをもじって)。エバになるためにです。
*
アダムとエバに悪口を言うとき、アダムから言いますか、エバから言いますか。エバから言うというのです。エバ(ヘワ)という言葉は、韓国語で「仕事をして(ヘ)復帰して来い(ワ)」ということです。それを覚えておきなさい。本当です。「アダム」は堕落して壁(ダム)ができたというのです。責任分担を果たせなかったことによって、いろいろな壁ができたのです。ですからその壁を壊していかなければなりません。
*
三 責任分担を完成すれば
1.責任分担の自由化圏が必要
アダムとエバが責任分担を果たしていたならば、後孫は責任分担圏にいるのではありません。その次は統治法的家庭倫理時代に入るのです。そのときは地上に真の父母がいるので、即刻、平面的な面から教えてあげることができるのです。しかし今までは三六〇度の平面をもちましたが、神様は教えてあげることができないので、中心が来る時まで待っていたのです。それで問題が生じたのです。そのようなことを、はっきり知っていかなければなりません。
*
真の御父母様は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙蕩減路程を経なければなりません。サタンによって失った責任分担を完遂して、サタンを分別させることによって愛をもたらすのです。怨讐を愛し、怨讐の国を愛する人にはサタンが侵犯できないのです。自分を中心とした愛をもっては駄目なのです。サタンは自分を中心として愛し始めたので、これを除去するには自分を中心とした愛をもってはできないのです。
*
蕩減復帰は、責任分担の自由化圏をつくるためのものです。堕落していない本然の責任分担の自由な環境を復帰するためのものです。理論的になっているのです。先生もそこに引っ掛かっているのです。ゆえに先生が世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受けるのです。世界的に攻撃を受けるのです。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。
*
蕩減復帰は不可避なものです。なぜ蕩減復帰しなければならず、なぜサタンを分立しなければならないのでしょうか。自然な本然の責任分担、自由な環境基盤を必要とするからです。そうすればサタンが讒訴できず、サタンが因縁を結ぶことができないところを私が占有するようになるからです。それで蕩減復帰、責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。ですからサタンを分立しなければなりません。それゆえ御飯が食べられずに座っていても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺です。それが境界線です。
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責任分担がどれほど重要かを、みな知らずに生きてきました。蕩減復帰とは何ですか。責任分担を完成することのできる自由な環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防御しなければなりません。サタンを防御するにはどうしなければならないのでしょうか。サタンよりも神様をもっと愛し、人類をもっと愛さなければなりません。サタンは神様を憎み、人類を憎みますが、私たちは「神様をもっと愛し、人類をもっと愛する」と言えなければなりません。堕落していない人間がもっていくべき、責任分担完成圏を越えて行くべきその基準で一方通行させることのできる、このような立場に立たずしてはサタンを分立させることができません。
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責任分担を完成するためには、蕩減条件が必要です。先生がそのような蕩減条件を払ったので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのです。家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。世界に向かっては聖人の道理を行くのであり、天の国の王宮の法に歩調を合わせる王子の位置まで行くことになるのです。無事に通過することのできるただ一つの道があるとすれば愛のために「ため」に生きようとすべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。
*
アダムとエバの責任分担、神様の前に頭を痛くしたその怨恨の峠に五十億人類がみな引っ掛かっているし、霊界に行った数多くの先祖もみな引っ掛かっています。これを見つめる神様は、堕落がなかった本然の基準をどうやって再び回生できるのでしょうか。それで神様はかわいそうな神様なのです。ですから早く早く、もっと早く早く蕩減の道を行き、このすべての責任分担を完遂して世界人類が解怨成就することのできる道を、その道に向かって「時間よ、行け」、「歳月よ、行け」、「解放の日よ、早く来い」と言いながら歩んできたのです。
*
神様は今まで蕩減復帰の過程を待ちながら変わりませんでした。最後の峠、愛の理想を成して万民の前に解放の鐘の音とともに天下に宣布する、そのようなところまで耐えてきたのです。耐えてきた心を抱いて涙とともに復帰の使命を成し遂げることのできる再臨主がこの地上に来て、そのみ旨を成し、サタン世界全体の所有権を相続して天の前にお返しすることのできる、それこそ平和統一の世界を地上で成さなければなりません。強制ではありません。所有権を伝授して天の前にお返ししなければなりません。
*
2.完成した立場は天地一体化家庭
地上と天上を統一し、心身を統一するのが責任分担の完成です。縦的な神様と横的な真の父母は一つだというのです。そこに統一された愛、天と地上を連結する愛、体と心が一つになった愛、男性と女性が一つになった愛が問題です。統一された愛の基盤を築くことができ、そこで初めて天の愛と天の生命と天の血統が連結され得るし、それの横的な拡大が八方に展開されることによって王権ができるのです。内容は簡単です。
*
男性と女性は、天宙の圧縮された核です。夫婦が真の愛で愛するところには、全宇宙がかかってきます。男性と女性は、愛のために生まれました。本来人間は縦的、横的にできています。責任分担を完成することによって縦的な主人が設定され、次に横的な主人が設定されるのです。それは真の愛によって成立するのです。
*
アダムとエバが責任分担を完遂することによって神様は彼らの縦的な存在になり、アダムとエバは横的な存在になるのです。真の愛によって一体化するのです。そうして初めて縦的なものが横的に連結され、そのように連結されたところは宇宙的な愛の根を下ろす基盤になるのです。それが定着できなければ、軸が正しく立つことができません。その軸を正しく立てるにはメシヤ思想、父母の思想が軸となるのです。それで立ったとすれば、それは自動的にその軸と一つになることによって繁殖するのです。そして神様の愛、神様の生命、神様の血統が永遠に固着するのです。
*
責任分担は第一に真の子女になることです。第二に真の兄弟になることです。第三に真の夫婦になることです。第四に真の父母になることです。それで息子、娘として生まれ、子女になり、兄弟になり、夫婦になり、父母になる、父母になって神様の代わりに創造するのです。神様がアダムとエバを造って喜んだその事実を内的、外的に体恤するのです。どれほど貴いか、分かりますか。
*
真の父母の勝利圏は第一は個人、第二は家庭、第三は国家、第四は世界、第五は天宙、第六は神様の真の愛です。その次は一体理想の実現で、このすべてのものが真の愛によって一つになるのです。神様が真の愛の主人ですが、この真の愛によって全部が連結されます。一体理想の実現で神様の愛が一つに連結されているので、一体理想です。家庭も個人も離れているものがないというのです。一体理想実現で天上、地上が統合され、本然のアダムとエバが長子権を取得することによって霊界が地上に順応するようになります。それは愛を中心としてそうならなければなりません。真の愛によって。私たちの原理で言い換えれば、責任分担を完成することです。
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神様の心情圏をどのように伝授されるのでしょうか。堕落していない本然の人間は、責任分担を完成することによって神様の縦的愛の核を中心として、左右にアダムとエバの愛が連結されなければなりません。そこが根源になり、根となって息子、娘が生まれるようになっています。そこから心情圏が勃発し、根を下ろすようになっているのです。血統基盤がよみがえるというのです。深刻な問題です。
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神様の摂理は四千万人、六千万人が全部動いて成されるのではありません。祭司長から成されるのです。はとを裂くことによって国が行ったり来たりするのと同じです。
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何よりもまず責任分担をはっきり知らなければなりません。責任分担を完成するために、天と地とすべてのものは、一つの愛の共鳴圏だということを知らなければなりません。親子関係、夫婦関係、兄弟関係がすべて真の愛を中心として統一を成しているのです。神様を中心とした愛を掲げていくのに、妻が掲げていくときには夫がついて行かざるを得ないし、お母さんが掲げていくときにはお父さんがついて行かざるを得ないし、孫や息子、娘が掲げていくときは祖父母、父母、兄弟たちがみなついて行かざるを得ません。それで家庭がすべてのものの基盤になるのです。それは責任分担を完遂することによって天の愛、地の愛、親族の愛、父母の愛、兄弟の愛が成されるのです。
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天の愛は縦的で、地の愛は横的です。そして兄弟の愛は前後の愛です。立体的です。ですから父母と息子、娘が一つの統一体になれば神様が地上に臨在することのできる基盤になるのです。それで神様が正に人間の先祖の立場に立つのです。人間がその神様の前に子女の関係で連結されて初めて、天地一体化の家庭が設定されるのです。責任分担を完成した立場で、それが可能です。天と地上の愛が連結されなければなりません。内容は簡単です。
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神様の愛、それは神様の血統を言います。アダムとエバの堕落によって神様の血統が切れたのです。それゆえ原点を復帰するその立場においては、どのように神様の生命を連結し、神様の愛を連結し、神様の血統を連結するかということが問題です。この場が再創造完成の場です。
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血統復帰は根本復帰です。条件では復帰ができません。愛は、条件的愛でいいでしょうか。根本的な愛でしょう。血統は根本的な愛から始まったので、条件的愛では全体復帰ができません。蕩減復帰は苦労したこと、何か牛どろぼうしたこと、人のまくわうりを取って食べたこと、かぼちゃを取って食べたこと、すいかを取って食べたこと、そのように蕩減復帰されるのではありません。愛は根本を蕩減しなければなりません。
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アダムが責任分担を完成すれば長子の立場に立つのです。それで真の父母です。父母権復帰です。王です。天地の王です。今までずっとサタン世界と闘って長子権を復帰したということは、いかなるものとも比べられない大変なことです。父母権復帰というのはなぞなぞのようなものです。王権復帰というのも、このような難しい時期に民主主義の世界の中でやったということを考えてみてください。そのようなことを話すことができたでしょうか。しかし今は「ああ、文先生がそんなことを話すとは、素晴らしいところがある」と言うことのできる環境になったのです。
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完成基準に立った真の男性、完成した主体となる本然のアダムの立場から見たとき、責任分担を果たした場合には子女の種、人類元来の子女の種を受けたはずです。それは神様の愛と神様の生命と神様の血統を受け継いだ立場のものでなければなりません。そのような種を受けなければなりませんでした。堕落によってそれが根本的に狂っているのです。
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アダムとエバは神様の体です。アダムとエバは横的な父母であり、神様は縦的な父母なので、私たちが横的なこの体を脱ぎ捨てて、縦的に還故郷して天の国で永遠の王に侍って生きるのです。アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の体と和してその体を着て完成し、この地上で神様の愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。
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責任分担というものを失ってしまいました。それでは責任分担とは何でしょうか。男女に任された責任分担とは男は東側、女は西側で互いに成熟することです。男性が生まれたのは女性のためであり、女性が生まれたのは男性のためなので、結婚しなければならないのです。どこで出会うのですか。中央線です。垂直線、プラス、マイナスが接すれば、愛が爆発して神様の愛、神様の生命、神様の血統的基盤になります。これが根となり、抜こうとしても抜くことができないのです。絶対的な愛の起源、絶対的な生命の起源、絶対的な血統の起源を中心として人間が生まれるのです。
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皆さんの心に残すべきことは、神様の心がそうであるように、責任分担、蕩減復帰というものが残らなければならないはずです。他のものはありません。本然の基準をどのように探すかというのです。蕩減復帰、その次は血統、真の愛を中心とした血統! それを知らなければなりません。責任分担、蕩減復帰、血統、この三つです。蕩減復帰が易しいですか。血統をひっくり返して合わせなければなりません。接ぎ木しなければなりません。完全にサタン世界と私は別の人です。お母さんの顔、お父さんの顔、みな忘れてこそ復帰ができるのです。
四 責任分担の発見とその重要性
責任分担という言葉はこの世ではあまり使わない言葉です。しかし統一教会では、どんな言葉よりも特別に重要視する単語です。統一教会において、この責任分担と蕩減という言葉、責任分担と蕩減復帰、この二つを知らなければ歴史的なすべての内容を悟ることができず、間違った歴史、あるいは歴史の未知の事実を解決できません。そのような重要な言葉です。
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責任分担ということを今まで知らなかったので、歴史の曲折を知りませんでした。なぜ善なる人たちがみな犠牲になり、悪なる人たちがうまくいくのですか。歴史を見ると、独裁者がなぜこの世を支配し、善なる王が出てきても平和の世界をつくることができなかったのでしょうか。歴史を調べてみると、独裁者の世界統一の夢だけが記録されているのです。それはサタン世界だからです。責任分担圏を侵犯されたので、それ以下のすべての被造物、それ以下の人間全体、地上世界の万民、以前に来ては逝ったすべての霊界にいる先祖たちまで見ても、責任分担完成圏を越えた人は一人もいないというのです。それが原理です。文先生が適当にもってきて付けたのではありません。この責任分担という言葉が分からなければ、歴史が解けません。歴史の曲折を解決することができません。なぜ戦争史ですか。責任分担という善の条件が悪なる世界の条件を克服しなければならない立場にあるので、堕落して、サタン世界になり、落ちたものを覆す闘いをしなければなりません。ですから歴史は善悪の闘争史なのです。
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この宇宙の矛盾した事実と歴史の悲運の曲折、このすべてが歴史上の責任分担というものを知らなかったので生じたのです。責任分担がどれほど重要かということを、皆さんは知らなければなりません。皆さんは責任分担を自分勝手に考えているのです。「責任分担は原理で教えてくれるものであって、私たちとは関係ない」。このように考えているのです。このように見るとき、先生が責任分担という言葉を発見したということは、偉大な発見だということを知らなければなりません。皆さんは責任分担をどれほど重要に思いましたか。この責任分担には宇宙が引っ掛かってあえいでいるのです。
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今日統一教会で人間の責任分担というものを見つけたという事実は、宇宙的な発見だということを知らなければなりません。原子爆弾を発明したことや、アインシュタインが相対性原理を発見したこととは比べものにならないのです。それを知らなければ、歴史のすべてのものが解決されないのです。皆さんが人間の責任分担というこの真理を知ったという事実は偉大なことです。しかし今私たちは人間の責任分担を一番嫌っているのです。一番好まなければならないのが私たちなのに、人間の責任分担を一番嫌っているというのです。
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復帰摂理を知らないので、人類歴史が解けないのです。歴史を通じてみれば、必ず因果原則によって悪なる者は滅びるようになっているのです。ところで、なぜそうなのか知らなかったのです。また、人類の理想がなぜ成就していないのか、神様の愛が現れなければならないのに、どこで現れるのかを知らなかったのです。学者の頭からは現れません。それは本然の父母の骨髄から現れるのです。本然の父母からです。ですから真の父母の歴史が始まったということは、天国の起源がこの地上に連結され得る一つの基盤が設定されたということです。真の父母を通さずしては天国は出現することができません。
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