人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(求める祈り)2-3

2022年11月03日 16時15分46秒 | 学習
31


お父様!
私達の心と体には私たち自身の力ではどうにもならない罪悪の根が残っていると言うことをはっきりわからしめて下さい。


このような自分自身でありましたし、過去から今まで何らかの事々を経てきた自らであると言うことを悟り、今日の「私」をもう一度革命できる刺激的な原動力が必要であると言うことを切に感じさせてください。


今日の「私」を除去し、明日の新しい「私」を作り得る自らを再び築かない限り、
自分自身は善なるみ旨と善なる歴史路程に残るなんらの存在にもなり得ないと言うことを、はっきりわからしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。


流れ行く波とともに、自分自身の一生も流れさえらせてしまう哀れな人とならせないでくださり、
その波に逆らい上がっていかなければならない善なる目的が私達に残っていることを私達にはっきりわからしめてください。


歴史過程を通して見る時、天の御旨は歴史とともに除去され進んでいくものではなく、歴史を収拾し歴史をつき上がっていったと言うことをよく知っておりますし、そのような行路でのみ、お父様が私達と同役同事されたと言う事実を私達はよく知っております。


今日この時間
私自身がいかなる立場にあるのかを今一度考え、
お父様の通告を受ける得る立場に
立たせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


お父様は善なる事と永遠にともにあり
絶対に悪を同参させないと言うことを私たちに完全にわからせてください。


善と共に対をなし善とともに動じながら、
善と共に成就しえる一つのみ旨を望みつつ歩んでこられたあなたである故、
例えわが身は除去されても、心だけは善と共に永遠にある自らとならなければならないことをこの時間お父様の御前で感じさせてください。


そして心が志向し命ずるままに体を屈伏させて司り、永遠なるお父様の御旨の前に一致できる自我の心となり、その心に通じる体となれますよう、お許しくださることを切にお願い申し上げます。


そのようになり得る私自身を今一度念願し、
そのようになり得る私自身を今一度収拾し、
そのようになり得る私自身の決意を今一度固めんがため参席する
この時間となさしめてくださらんことを切に願いなから、
すべての祈りを真の御父母様の御名を通しておささげ申し上げます。
アーメン。
1969.6.22



32

お父様!
今日この朝、
孤独な群れがあなたの御前に集まりました。


私自身がいかなる立場にあるのかを、自ら見極めなければなりません。


私は誰によってこの時間ここに参り、いかなる絆を結ぶためにこの場に来ているのかをはっきり悟らなければなりません。


世の中がいくら悪なるものであり、世の中がいくら醜いとしても、自ら置かれた立場を完全に究明しお父様との関係を完全に決定付け、生涯路程で忘れえぬ絆を結ばなければなりません。


そのような人があると言うならば、その人が結んだ絆はこの世の何よりも大きなものであり、何よりも貴きものであることを私たちは知らなければなりません。


心からほとばしるお父様に向かう恋しさ、自ら天をしたい求める敬慕の心情、
これが歴史の流れをさかのぼる原動力であり、死亡の波を振り踏み越えられる勝利の盾であることをわからせてください。


心から身をもって称揚し、証しの実態として生き得る、そんな人間がどれほど尊いかと言うことを感じ取れる真なる愛の姿とならなければなりません。


今私達自身を一つ一つ分析することにおきまして、私の顔は誰のために備わっているのかを考えなければなりません。


私の目は何を見ており、私の耳は何に向かって傾けられており、私の口と私の鼻は何を味わい何の匂いを嗅ぐためにあり、
また私の手足はどこの誰に何を奉仕するためにあるのかを考えなければなりません。


真に天と一致しえる私の全体像を整え、お父様をしたい、お父様にご奉公し、お父様に忠誠を尽くす自らとなるべきであったにもかかわらず、悲痛な立場でお父様と事情の通じる心を持った一時が私達に無かったことを嘆くべき自らであると深く深く悟らせてください。


私達はこの地上で生きるとしても70年80年または100年以内の限られた生活圏内で生きては土に埋められてしまう姿でございます。


地上での姿がいくら立派に見えたとしても、自分からは何ら結果を作り得ないことを知らなければなりませんし、この地で実績だけを持って生活的な環境を築いていくことがどれほど無意味であるかを知らなければなりません。


私が生まれて生きながら、私の四肢百体がお父様によるものであることをはっきりと知り、天のみを拠り所として歩みゆく姿、困難なことがあっても自ら責任を負い、決死的な姿勢で、千体万象の困難をかき分けながら、お父様の御旨にしたがい、お父様の恨を解くため歩みゆく姿がどれほど価値があるのかを私達は知らなければなりません。


そのように成し得る立場で、悲しいときお父様との絆を考えることもできる、私達自身となり、嬉しい時お父様に感謝できる自らの姿を備えなければなりません。


そして追いに追い込まれたこの歴史を代身し、すべての困難を踏みしめてこられた生きたお父様がおられると、今この時間も休まずに私達を救わんがため善の基準を求めているお父様がおられると、全天地が感動しえるほどに、号泣し、訴える真の人間とならなければなりません。


しかし誰としてそんな立場を体恤し得なかったことを思うたびに、お父様の恩寵を受けたいと思いますし、お父様の中で恵の人生を送ることができ、信頼されることを私達は待ち望んでおります。


お父様!
このような私達はあなたの絆を必要とし、あなたの経綸を必要としておりますから、どうかあなたの命の栄光だけが私たちの心の奥底でほとばしれるようにして下さいませ。

真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。

アーメン
1969.11.2



33 ☆

私達はお父様を観念的に考えてはなりません。

私達がお父様の実態の実存とみなしながら、生活のあらゆる面で絶対的な主体として使えなければならないと言うことをはっきりわからしめてください。


お父様は、遠い相対の世界におられたのではございませんでした。


私達の心の中心におられ、私達の体を取り巻いておられました。


私達の周りに空気があっても、あるかないかわからないように、お父様が私達の生涯全体を覆っておられるのに、気づかなかったと言うことを私達が悟らなければなりません。


私達を包むその力を受けるときには、
無限なる力がそこに動じるのであり、その力を吸収するとなれば永遠なる力によって私達に新しい衝撃と、新しい刺激を下さることを知っております。


このようにいつも近くに居られて、命を吹き込んでくださり、私達を満たしてくださるお父様の実存を、体得できる息子・娘とならなければなりません。


そのような立場でお父様の子女として成長し、そのような立場でお父様とともに生涯路程を相談できる人が、どれほど尊い人であるかを私達は悟らなければなりません。


この地上で数多の人が、天運を望み一身の黎明を望んでおりますが、彼らはある相対的な距離を置いて望んでいると言うことを私達は知っております。


しかし私達は彼らとは異なり、最も近い立場において、生涯のあらゆる権限も命の中心であられるお父様から始まり、あらゆる栄光もしたい仰ぐ中心であられるお父様から始まると言うことをはっきりとわからせてください。


そのためにはお父様が私達の心の奥に共におられ、そばにおられまして、私達の一切を主管することで、私達の命の原動力となり、すべての感情の源とならなければならないと言う事実を私達は悟らなければなりません。


そのような立場で、広く深く高く尊く無限なる価値の主体であられるお父様に使えることもできる子女がいかに尊く、その価値がいかに大きいものであるかを私達にわからせてくださり、その価値基準を千万回、あるいは億万回証明していく時、天地を主管でき、天のすべての内容を吸収できる、自体的な権限が成立すると言う事実を私達にわからせて下さいませ。


真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。


アーメン。
1969.11.23



34


お父様!
天国は永遠なところですが、
その天国に入ることができるかと言う事は、地上の人間自らが努力し行った事、さらにその心情が問題であると言う事実を、私たちは歴史過程を見て、信仰生活を通してはっきり知っております。


み旨を知ってからの身で、
御旨に向かっていくべき歩みになり得ないのではないかと自ら気遣いながら、
一日一日を、天と共に生きざるを得ず、
地と共に生きざるを得ない私達でございます。


しかしながらお父様はこのような私たちの心を通して、
生活の中に現れようとなさることを私たちはよく知っております。


そうであるが故に善と悪は私たち自身の中で、
判決されると言う事実を知らなければなりません。


このように侘しい人生行路に沿って、
なんらかを展望しつつ超え行く私達におきまして、
お父様を除いては望を持ち得ない堕落の後孫であることを自認せざるをえません。


そのような私たちにおきまして、
天だけが善であり、天だけが全体とならざるを得ないと言う事実を知り、天とともに生き、天と共に死することのできる、そのような勇気を持つと言うことがどれほど甲斐のあることであり、どれほど人間らしい姿であるかを評価し、反省してみるこの時間とならしめてください。


歴史過程において、善なる人として、偉人と言う名を残し、聖賢と言う名を残した人々は、人の世に置いて一個人としての生活目標がただひたすら人類と共に生きることであり、お父様と共に生きることであったゆえに、彼らの名が尊く残ったことを知っております。


彼らはあらゆる世界人とともに神様と共に生きるための生涯路程に置いて疲れ果てず、はじめとともに終わりを立派に締めくくるため、無限なる闘争の路程を歩んでいったと言うことを私たちは知っております。


歴史路程に来ては逝った数多くの人々もそうであったのに、今日歴史の総決算をすべき復帰摂理の責任をになった天の息子・娘と言う名を持つ私達が、いかに歩んでいくべきかと言う事は、既に決定された事実であることをわからしめてください。


お父様がこのように私達を召されたのは私達自身が適っているからではなく、背後に置いて、歴史前からお父様が所願の創造理念をうち立てるために、堕落以降、恨多き6千年の開拓路程を通し、所願の実体としてお呼びになった故と存じております。


このような私達であることを思います時、
恨めしい復帰の心情をもたれたお父様の寂しさと凄惨さを今一度感じざるをえません。


襟をただしあなたを「お父様!」と呼びえる真正な自らとなりえなかったことをお仕置きしてくださり、
天の父母をお迎えできる聖なる精誠の基台を整え得なかったことをご叱責ください。


世のいかなる礼物よりも私たち自身があなたの願いに祭物として捧げられる完全な礼物となるべきであるにもかかわらず、このことを忘却する時がいかにどれほど多いか、言葉では言い尽くすことができません。


お父様!
この世的な何らかの与件や外貌のような外的条件が問題はございませんから、胸の奥から湧き上がって天のために生き、天のために証をし、天のために身悶えしようとする、そのような切なる心で全生涯路程を歩ませてください。


お父様!
たとえお父様のために生きる姿がときには清涼で孤独で寂しく、寂寞たる立場に置かれているように見えましても、
お父様の御前に評価された際にはお父様の所有として決定されると言う事実を私たちが知らなければなりません。


これが私たちが行くべき本前の道であり、人間の追求すべき本来の欲望であることを知り、
私たち自らそのような立場に立つことを今一度誓わせてくださいらんことを切に願いながら、
すべての祈りを真の父母の御名を通しておささげ申し上げます。


アーメン。
1970.2.8



35


お父様!
私たちがお父様の精誠をしっている息子ならば、
眠りから目覚めても罪人の面白ない姿を覆い隠せぬ心苦しい思いでひれ伏すまいとしてもひれ伏さざるを得ない筈でございます。


朝の食前に向かう場におきまして、
私がこのご飯を食べて何をするのかを自ら問いただす自分自身となさしめて下さり、昼の食前に向かうときには、今まで私が何を残していたかと言う問いかけに面白ない姿で自責する自らとなさしめてくださり、夕べの食前に向かう時は一日を清算するにあたり、不満足のない一日を送ったかを自問する自らとなさしめてください。


お父様のものとして一日を始め、お父様のものとしてこの時間まであゆんだのか、またお父様は私にどれほど関心を持っておられるのかを考えてみます時、
有意義に過ごすべき一日を何も残し得ぬ虚しい体を持って、俗世の心で過ごした一日ではなかったかと思いながら、心残りでお父様の御前に涙を持って謝罪し、寝床につける人たちとならせてくださいませ。


私達は感謝する生活をしなければなりません。
むち打たれる場でも、血を吐く場でも、感謝の生活をしなければなりません。
数多の先祖たちがそのような場でお父様を裏切ったゆえに、そんな歴史的な悲痛なる恨の心情を抱いてこられたお父様に、孝の中の孝の道理と、忠の中の忠の道理とを果たすべき私達であることを知っております。


ここで私達が恨みと不平を持ちましてはその場に立てないと言うことをわからせてくださり、そのような自分を発見するのではないかと、恐れる姿とならしめてください。
この世では哀れで弱い人ではありますが、このような人ほど恐ろしい人はないと言うことをわからしめてください。


私達の体が疲れはて、持ちこたえられぬほどの立場にあるとしても、お父様はこれよりもっとひどい受難の道を克服しつつ、私たちを慕い焦がれたと言う事と思いながら、私達がこの受難を乗り越えられてこそ、お父様の悲しい過去をお慰めできる息子になると言う事実を発見し、行くべき自らとなれるように聖別し、お父様の御前に祭物として完全に捧げられる息子とならなければなりません。


私達は感謝して生活することしかございません。
一人の男の前に結ばれた妻が至らないとしましても、生涯を通して奉仕できる何らかがある故に、その妻をくださったことに感謝すべきであるし、あるいは子供が私に十字架の一生を与えても、そうし得る立場を用意してくださったことに感謝すべきであるし、環境が私に生涯取り返しのつかない絶望のどん底に追い込んだとしましても、それを何らかの条件を立ててでも感謝の因縁として残して倒れると言える息子となり、お父様の人とならしめてくださらんことを切に願いながら、真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。


アーメン。
1970.3.14



36


人間はお父様の愛のために生まれた存在であるゆえ愛を離れては生きることができません。


愛のために生まれ、愛でお父様にご奉公しなければならず、主体であられるお父様の御前に相対として互いに愛し愛されなければならないと言う事実を考えてみます時、その無限なる価値故にここに参じたあなたの息子・娘であることをわからせて下さるように切にお願い申し上げます。


お父様と関係のない出会いは無用なものでございます。
毎日週間のように出席する事はお父様の御前にはプラスにならないと言うことをわからせてください。


貴いあなたの御前に、無限であられる愛の主体の御前に、無限なる命の源泉であられるあなたの御前にひれふした姿のうち、意気地のないものがおりますでしょうか?


おりますならばその自らの存在価値を忘れてしまうほど、全体の前にお父様の認識を表面化させる場で倒れながら、お父様を待ち望む心を持った者とならしめてくださることを切にお願い申し上げます。


お父様の裾に取りすがり、お父様の首を抱き、切なる心ですすり泣きながら、お父様の懐に抱かれるひとときを迎えさせてくださいと絶叫し、心の中に染み込んでくるお父様の命の脈拍を、心に留める子女とならんがため、訪ねてきた群れだと言うことをわからしめて下さるよう切にお願い申し上げます。


あなたの愛が、私たちの深い心の奥底から厳かに流れ出て、心情と心情を結ぶことができ、あなたの心の根本に流れるその血の脈拍が私たちの心沸き立たせるようにしてください。
本質的な愛の脈拍に、私達のすべての血を染み込ませてください。


そうして、あなたの勇気とともに憤慨心を持って戦わせてくださり、お父様の怨恨の脈拍が私たちに及び、生涯の瞬間瞬間を越えていける力の源泉となりますよう、お父様、厳粛な中で自らを改めさせてくださいませ。
因縁を結んでくださいませ。
真の父母様の御名を通してお祈り申し上げます。


アーメン。
1970.4.5




37


お父様!
あなたが神聖であると認めることができ、あなたがためらわずして尋ねられるこの場所とならなければなりません。


お父様の息子がいて娘がいる場、お父様が当然としてご自由に尋ねられるこの場とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。
虚空を眺めながら反応のない泣き叫び声をあげては疲れ果てる人々となってはなりません。
罪悪の海峡境界線を踏み越えて行かねばなりません。


このような私たちを心苦しい御手で支えられるお父さんの感触を感じながら、
「お父様!」と叫び得る喜びの一日を迎えさせてください。


お父様の心情を持って全天下を全て抱き寄せ愛しながら、自ら酔いしれる境地を私達に賜って下さいますよう切にお願い申し上げます。


お父様!
敬慕の心情に燃え上がる切なる心とともに、
私たちが自分の意思のままお父様と呼べる自由な環境を賜って下さいませ。


すべての万象とともに私達の高貴さを賞賛し得る権威をもってお父様の御前に誇りたいのでございます。


すべてを私達のために作られたと存じております。
高貴な姿を持って隠然たる中にお父様を呼び得る立場に、あなたの息子娘たちを連結してくださらんことを切にお願い申し上げます。


かつて、お父様のため泣き叫んでいた過去のことを今日私達が遥か遠く眺めているだけではいけません。
過去のすべての内容を現実の材料として登場させてください。


そして今日のすべての事情が現実と未来を連結させ、過去それ自体が今日を証せるようにしてください。
そしてお父様にご奉公できる息子・娘たちとならしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。


全体を受け持って貴く保護してくださらんことを切に願いながら、すべての祈りを真の父母の御名を通してお捧げ申し上げます。


アーメン。
1970.8.9




38


お父様!


私達はお父様の真の種となって真の木へと成長し、
花を咲かせて実を結んでは再びあなたの懐に抱かれる数百の結実として現れなければなりません。


ですから、春の日を迎え、私たちを真の種としてお蒔きになり、自由天地で真の木として成長させてあなたの慰めとならしてください。


また、そこから漂う花の香の中に実を結んで、万国に潤いを施し、終わりの日に喜びの宴を聞こうとなさる、あなたの願いを成就してください。


お父様!
私達がお父様を真心から愛せるようにしてください。
私達がお父様に今まで親不孝したのは悪なる環境で育ったからであることをよく知っております。


お父様!
私たちが希望あふれる環境の中で、公的なお父様の愛を中心に一つの種として真の沃土に根を張り、根を中心に芽が伸び行き、一つの知恵と育つ法則があるように、私達も新しい命を必要とするこの環境を重要視しなければなりません。


お父様!
青年時代を美しく予想合わせてください。
そしてあなたに因縁つけられたこの者たちの行路をお守りくださり、その環境の基盤を中心として育つことができるようにしてください。
この者たちを真の芽とならせてくださり、この民族と、この国と、この世界の前におきましてすべての人類が仰ぎ見ることができ、すべての人類を抱くこともできる、新しい命の木とならせてくださり、新しい花を咲かせ実を結び、万国に蒔かれては生き残ることができる息子・娘たちとならしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。


そのためには私たちは強くなければなりません。


お父様、
この国が公的な神様の愛を中心として永遠に結束することもできる、どのような力でも引き離すことができず、いかなる逆境でも変わることのない信念に燃えさせてください。


このような試練に耐えるためには自分の栄養素を補充しなければなりません。


この民族に残っている全ての悪の要件を除去できる生命力を持った息子・娘となりますよう指導して下さいませ。


すべての祈りを真の父母の御名を通してお捧げ申し上げます。
アーメン。
1970.8.23


39


世のために生き、世で尊ばれる人は、自分が偉いと主張するそのような人ではございません。
自らの姿も露わにせず、孤独の立場で苦労の道を綴って来られるお父様が、尊ばれるべき方であることを本当に私達は知らなければなりません。


何らかの喜びがあればそれをこの民族の誇りとするため努力する人よりも、その喜をびお父様のものへと帰するために、あなたを思い黙々と苦労する息子・娘が必要であることを悟らしめて下さい。


大変なお父様!
孤独なるお父様!


目を閉じ、唇をかみ、舌を噛みながら耐えてこられたお父様の悲しみの極限の事情を、心から理解できる息子・娘であると言うならば千年の絆を抱いたお父様が一日の生活の中に満足を求める人間を通しては慰めを得ることができないと言うことを切に感じなければなりません。


そのようなお父様の御前に、温柔謙遜に姿勢を正すことによって、真なる生活はもちろん生涯を終えることがあったとしても、涙を禁じえない感激の生活、恐れかしこまる生活、改心の生活をすべき歴史時代を歩む人類の姿であるにもかかわらず。むしろお父様に苦労をかけ、お父様にもっと重い十字架の荷を抱かせ、お父様を孤独な道に追い込んだ私たちであったことを悟らなければなりません。


それだけじゃなく悪なる血統を受け継いだ後孫として、天の側に立つ人を打つ先方の位置に立っていた私たちの立場であったと言う事実を知り、
全天地間の何をもってしても、あなたの前に許しの求められない自らであることを発見しなければなりません。


そうして嘆きと悲しみの中で、お父様の御旨の前に恨を募らせた自らの命を、お父様の御前に捧げようと言う心を持ってこそ、真にお父様を求めることができお父様に相対することもできる私たち自身であることを悟らせてくださり、これが私たちの生涯において何よりも大きな重大事であることを感じさせてくだらんことを切に願いながら、すべての祈りを真の御父母様の御名を通しておささげ申し上げます。

アーメン。
1970.9.27


40


お父様は今まで
支配を受けずに来られた方でしたが、
お父様の心は与えられながらも面目なさを覚えると言うことを私たちは知らなければなりません。


本然の純粋な愛を持って、いっぺんに愛を与えたかったのがお父様の心でございました。
しかし人間の堕落によりまして段階的に摂理してこられるお父様の心には、数千年間の悲痛さが込められていると言う事実を私たちは知らなければなりません。


お父様!
復帰摂理の家庭におきまして蘇生時代、長生時代、完成時代と言う険しい峠道を段階的に経なければならないお父様の立場を私たちは知らなければなりません。


人間たちはお父様の愛を受けつつも、今日まであなたに感謝する術も知らず、恩を返す術も知りませんでした。


このような現実でも、そうであればあるほど猶更いつかは全て与え尽くそうと言う決意を持って強く雄々しい悲しい歴史を聞いてこられたお父様の内心を私たちは察するものでございます。


こんにちはお父様の悲しかった心をお打ち明けになり、世界を代身し、歴史を代身し、天宙を代身して、賜りたかった心情を吐露するこの時間、あなたの御前に全体を授け受けるできる息子・娘たちとなり得ないのではないかと恐れを覚えるあなたの息子・娘たちがこの場に集いました。


お父様、万物を与えたい心情に募った人々が、それを貰いたいと切に願う人に出会う時、与えながらもうつむき面目なさを覚える人ならば、この人はお父様の人であるとわかるものでございます。


全て与えても、もっと与えられないことに恨を抱きながら、もっと与えたくて、自分の身も心も燃え尽きてなくなるようなことがあっても、その亡くなる自らまで否定をする心を持つ人があるなら、その人は神様が所有なさなはずです、全体が彼に連結されるということを考えます時、避けようにも避けることのできない中心の位置で、お父様と連結され得る息子・娘がこの時間現れるようにしてくださらんことを切に願いながら、すべての祈りを真の御父母様の御名を通しておささげ申し上げます。
アーメン。
1970.10.25

41


愛するお父様!
過ぎ去った歴史の流れは時には悲しく、時には喜ばしいものでございました。


人知れぬこの心の中に天の悲しみが宿っていることを思うたび、お父様に相対する私達は常に足らなさ悟らされるものでございます。


お父様!
私達が出会うようになったこの因縁は私たちの能力をして出会ったのではなく、お父様を中心として数千万代の先祖が橋をかけ、その基台を広げた功績によるものでございます。
今日このように、出会える一日を持たせて下さった全ての恵に、私たちが感謝できるようにして下さいませ。


人間同士が出会って別れる場におきましては批判が加えられるものであり、
分裂することを見ることができますか、天を中心として出会う場には、恐れ多さと感謝と涙だけが残ると言うことを私達は知らなければなりません。


ここに集ってあなたの子女達は、深い心の中で神様にいっそう同情し、私達のお父様であられる神様を愛さなければいけないと言うことをはっきりと悟れるようにしてください。


気もふれんばかりにあなたを愛するために、己の身も心も全て捧げ、すべてを犠牲にしても感謝でき、神様が見て喜ぶこともできる息子となり娘とならせてください。
一つしかないあなたのその愛をしっかり渡しながら、万民の前に誇りたい息子をどれほど慕い求めたことでございましょうか。
またそんな娘をあなたはどれほどしたい求めた事でしょうか。


今や私達の焦燥に駆られた姿が、あなたの性相に向かって一歩一歩前進しておりますから、あなたが「さぁ来たれ」とお呼びになる時を待つ、そのような姿の私達とならなければなりません。
苦難が来ることを避け、またそのような苦難が来るかと案ずるそのような息子・娘たちに絶対にならせないでください。


受難の歴史があったならば、そこには人間同士の過ちがあったに違いないと言うことを私達はよく知っております。
お父様が背後でうまく導いたとしても人間が誤ってしまう時、天は常に侘しく思い悲痛にならざるを得ない立場に立つと言うことを私達ははっきりと悟らなければなりません。


人間が互いに協助しあい互いに誓いながらも、誤ったことによって、天が尋ねようとなさる全体の福をひっくり返す事は絶対にしてはなりません。


このような事実を知り、自ら誓うことのできる息子・娘たちとなさしめてくださらんことを切に願いながら、真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。

アーメン。
1971.1.9



42


我が為に生きるのは復帰摂理路程に置いて常に恩讐であり、他が為に生きるのは常に私の前にあるすべての困難と受難の道を平坦にする路程であると私達は分かりましたから、私達に他が為に生きる道を行かせてください。


私達の心霊が枯渇すれば、それを我自ら解決するのではなく、むしろ他が為にもっと犠牲になるか、他が為にもっと苦痛を受ける立場に立つことによって反作用的な行路を開拓できる道もあると言うことを解らしめて下さい。

またあなたのため精誠を捧げ、より価値ある忠誠の度数を増すことによって、あなたの前に接近する道もあると言うことを解らしめて下さい。

問題は他の為にあるのではなく我にあると言うことをわから閉めて下さいますよう切にお願い申し上げます。

どんなに木枯らしが吹き寄せても私自体がしっかりと身繕いをしている場合はその木枯らしも関係なく過ぎ去りますが、私自体がそこに備え得る能力がない時はそれによって病気となりそれによってバランスが崩れるのが現象世界でなされる原理であると言うことを私達は知っております。

したがって今日の私達の生活も、このような原則を基準として生活を改善し、自分の生涯の路程に輝き得る天の願う価値を誓うことができなければいけません。

そうしてこそお父様の喜び得る息子・娘となれると言うことを私達に解らせてください。

昔喜んでいた刺激的な息子娘の立場になっては今日の喜び得る息子・娘となれないと言う事実を知らなければなりません。

昔よりも今日もっと喜ぶことができ、価値的な刺激を感じることもできる息子・娘となるためには、より一層苦労し、より一層尊く、より一層価値があり、より一層責任を負える立場で、天が信じることができ、天が願うことができ、天が直接に相談できる立場に立たなければならないことを知り、より重要な責任を負うことが栄光であり、人よりもっと大変な十字架の道を行くことが誇りであり、人よりも奉仕的なの生活をすることが価値ある生活であるとわかる、あなたの息子・娘達とならしめてくださらん事を切に請い願いながら、このすべての祈りを真の御父母様の御名を通しておささげ申し上げます。
アーメン。
1971.1.24



43


今まで統一教会会員として、時は間近に迫っておりますが、時についてわかる人がどれほどいるのか甚だ気に掛かり疑わざるをえません。


時は時なりに進んでおりますが、今日、人は人なりに昔の姿のままでいては何にもならないと言うことを私たちは知っております。


春になれば種まきの時であり、種を巻けば芽が出るでありましょうし、
夏になればその芽が育つでありましょうし、
秋になれば実を結び、冬になる直前には刈り入れの収穫があることを知っております。


このような自然現象の法則によって一つの生存体が全生涯の過程を通して経過していくのを見るときに、
今日自分自体の一生の信仰生活におきまして、春の季節を迎えたものがおりますなら夏の季節を迎えさせてください。


夏の季節には生い茂る葉が良いのではなく、その葉を出させる一つの茎がどれほど尊いものであるかわからしめてください。


その茎は私だけが持つこともできる茎であり、花が咲き実を結び、その実が一年なら一年全体の価値を統合した結実をもたらすと言う事実を私たちが知り、信仰生活もそのような時があることを知らなければなりません。


私たちの一生を通してみ旨をしった過程におきまして、どの時期が春の季節であり、どの時期が夏の季節であり、どの時期が秋の季節であり、どの時期が秋学期であるかわからしめてください。
収穫期を迎えるときにはみ旨を中心として全体を捧げ精誠を尽くして収穫しなければなりません。


そして収穫したものを私達のものとするのではなく、お父様のものとして収穫した後に自分のものとして受けるようになれば
お父様と因縁を結んですべてを所有でき関係を結び得る価値が生まれることがわかりましたから、復帰の路程を行く私たちにおきましては全てをまず私達のものとするのではなく、まずお父様のものとしなければなりません。


まず私達の人格と私達の生活を築くのではなくお父様の人格とお父様の生活をまず築いて差し上げるのが今日召命され従い行く者達の立場であると言うことを私達ははっきりと知らなければなりません。


何よりも一日の生活を通じた闘いにおいて敗北させないでくださり、1ヵ月の生活を通じた闘いにおいても敗北しませんよう、お父様、祝福してくださらんことを切にお願い申し上げます。


万事があなたの勝利の基準とともにあり私達の心が常にそれに向かって勇ましく大胆に駆けつけ、最後の勝利の場に参席できる息子・娘となれますよう導いてくださらん事を切にお願い申し上げながら、この全ての祈りを真の父母の御名を通しておささげ申し上げます。


アーメン。
1971.1.24




44


お父様!
広く尊きあなたの清掃の御前に、極めて小さくも卑しい己の姿を現し、あなたの哀れみと慈日野見てを切に望む
子女達とならしめてくださらん事を切にお願い申し上げます。


能力の主体であられるお父様、
生命の原動力であられるお父様、
愛と心情の根本であられるお父様!
私達はあなたの御前に一つの実体であり
一つの枝や葉のような立場で
一切をあなたに委ね、
あなたが悲しまれれば私達も悲しまなければなりませんし、
あなたが喜ばれれば私たちも喜ばなければなりませんし、
あなたが忙しく働かれれば私たちも忙しく働かなければなりません。


このような面で
あなたと共にすべての生活環境に接し行く
あなたの息子・娘達とならせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


お父様の性相のみ前に
私達の姿を露にしたとき果たして私達は
お父様の望んでおられた姿としてお父様が喜びつつ接することができ、
お父様が直々に尋ねてささやき声で行く道を命じてくださることのできる
息子・娘となっているかを考えさせられます。


私たちはそのような息子・娘となるためには
お父様の御前に誰よりもの孝行の道理と忠誠の道理を尽くさなければなりませんし、
命までもお父様の御前に捧げることができなければなりません。


私達がお父様の息子となった因縁を持てなくなるときは
生活舞台に置いてみ前に生き残れないと言うことを知っておりますから、
木石のごとく情を解さない私たちの心を溶かし、
あなたの心に似通わせてください。
お父様の事情と私たちの事情が出会い、私たちがお父様へと吸収される因縁が成立するようにしてくださらん事を切にお願い申し上げます。


流れゆく歳月とともに、はかない自己の生涯を嘆くしかないものとして残してはなりませんし、
希望とともに
力強い明日を誓うお父様の息子としての権威を持ち、
嬉しき一日、喜びの一日、誇らしき一日を迎えなければなりません。


御旨を知った私達は
お父様の万能さを知り驚嘆さを体得しながら、
明日の勝利者として、
今日の建設者として、
歴史の勝利者として、
堂々と権威ある立場に
たたなければならないと言うことを知っております。


それ故常に、
自らについて嘆くような、己も主張できない哀れな人となってはならないと
自ら誓うことのできるあなたの息子・娘とならしめてください。


今私たちの心をあなたの喜ばれる姿に正せるようにしてください。


私たちの体をあなたの願われる姿に正せるようにしてください。


私たちの体は勝利の生きた祭壇となり、
私たちの心は生きた祭物となりまして、
あなたの御前に永遠に捧げさせて下さいませ。


そうして
あなたが求めていた祭物がこれであり、
会いたかった所願の実態がこれであると、
宇宙万象の前に私たちを立たせ誇るにあたり、恥ずかしきことのない息子・娘の姿とならしめてください。
すべての祈りを真の御父母様の御名を通しておささげ申し上げます。


アーメン。
1971.2.21



45


お父様!
私たちが信じる方はあなたしかおりませんし、頼る方もあなたしかございません。
事情を打ち明け因縁を結ぶ方もあなたしかいないことがわかりました。


人間と因縁を結んでみれば、それは絶望の対象となるだけであり、信仰者としての路程を歩んでみれば、心に矢をつきさしてしまうのが
人間の頻繁な歴史的事実であると言う事をたくさん見ましたし、たくさん当面しましたし、たくさん感じました。


お腹が空く事が悲しみではなく、環境に追われ無念の立場に立ったことが悲しみではございませんでした。


愛するお父様失ってしまう事、それ以上の悲しみはないと言う事を私たちはかつて思ってもみませんでした。
お父様のられる位置は、どんなに何もない位置であっても無限にある位置であり、お父様がおられる位置は、地獄の中心であっても天国と化すことのできる位置でございます。


私たちが死ぬも生きるもいるべきところは、お父様のおられるところしかないことを知っております。


お父様の御本で私たちの幸福があるのであり、
お父様の御本で私たちの希望があるのであり、
お父様の御本で私たちの存在価値があることを思いますときに、
このように私たちのすべての勝利の要因となり、幸福の要因となり、決定的な価値の基準となり得る方が私たちのお父様だと言う事実をこれまで全く想像だに出来ませんでした。


尊い価値を追求することにおきまして、
外的な何かを追求する前に、私の心の奥にすでに価値ある内容を決定できる基準があると言うことをかつて思ってもみませんでした。


幸福の起源がある彼岸の対象的世界にあると思っておりましたが、私たちの心の奥底にすでにその根が連結されていることをかつて思っても見ませんでした。


今お父様が
統一教団を通して、新たに復活した命の寵児としてお父様の懐に抱かれ得る息子・娘の姿を待ち望むと言うからには、
私たち自身はそのような立場に立つため努力しなければならないことがわかりました。


ですから
謙遜にみ旨に挑み、温柔の化身体となり、
あなたの同情を買うことができる愛らしき息子となり、
娘とをならせてくださらんことを切に請い願いながら、
このすべての祈りを真のご父母様の御名を通してお捧げ申し上げます。
アーメン。
1971.4.25



46


愛するお父様!
幼い少年少女たちがこの場に集まりました。
この者たちがこの場を恋したってきましたのは、今日自分自体にとどまるためではなく、
明日の真の姿を持つためでございます。


真の若い時代を持ち、
真の青年時代、
真の少年時代、
真の浪人時代の4時代を併せ持ち、
お父様の御前に中高の通りを尽くし得る
高潔な道を行くためやってきたのでございます。


私たち一人を復帰せんがため、
6千年と言う長い長い歳月の間
涙を流した天の悲しみがあると言う事実を知り、
私たちの一生をお父様の御前に心を込めて捧げ、最高の善の勝利の基点を受け継ぐため、
今日も戦い明日も戦い
犠牲となり得なければなりません。


このような道へと自ら前進できる群れとなるため
ここに集った幼い青少年たちとなれるように
してくださらんことを
切にお願い申し上げます。


世の中には旧世代と新世代を論じておりますが、
その新世代の中には真の若い世代と
偽りの若い世代があると言うことを知りました。


今日偽りの若い世代は
最も尊いものをむやみ蹂躙しますが、
真の若い世代は世の中において最も聖い物をこの上なく惜しみ、
この上なく保護すると言うことを知りました。


これが従順を中心とした節義と気概だと言うことを
今や悟らしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。


若い心に燃え上がる心情で、お父様とともに倒れともに踏み越え、
勝利の因縁を占有できるその立場まで戦い、
生き残る群れとなると、各自が胸深く決意できなければいけませんから、
そのような決意をさせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


邪悪な俗世の上に描かれる全てが、私達を幸福の門へと導くのではなく、
死亡の罠と死亡の落とし穴に追い込むと言うことを考えます時、
この場に集った個体たちは、変わらない真の個体の姿となることを決心し、
社会のいかなるところに出て行ったとしても、
染まらず影響受けない、真の若者とならなければなりません。


真の若者とならなければ、
真の青年と真の壮年になれないと言うことを考えますとき、
幸福なるこの時代と季節の恵みを感謝して受け、
お父様の御前に心を込めて捧げ報いることに足らざることのないようにしてくださることを切に恋願いながら、
真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。
アーメン。
1971.8.19


47


お父様が私たち一個人を求めるためどれほど歴史家庭を犠牲にして来られ、
歴史時代にどれほど苦労してこられた顔思いますときに、
今日私達がその恩徳に報いる何者も持てない未熟な身である不忠・不孝なる私達自身であることを正直に告白せざるをえません。


悪の根源が他の何物でもなく私達自体だと言う事実、
私は自体を根拠として世俗的な活動していると言う事実、
それが私達の心、
私たちの体から現れているいると言う事実を私達ははっきり悟らなければなりません。


それゆえに信仰の道におきまして、
世界に勝つことが問題ではなく、
汝自身に勝つことが問題であるとお父様は言われました。


恩讐は他にあるのではなく、
正しく汝の家族が恩讐であると言われ、
その家族だけでなく更に一歩進んで見ると、
汝の体が恩讐であると言わざるを得ないことがわかりました。


体だけではなく心の一切がお父様の御前に恩讐の立場に立っていると言う事実を私達はこの時間もう一度悟らなければなりません。


しかしこの足りない者達のため、あなたが苦労なさった功によって、
そればかりでなく、数多くの僕たちと数多くのあなたの末裔たちを立てて、
犠牲にしてきた恩徳によって、
私達はこの場にひれ伏せるようになりましたから、
あなたの恩恵が溢れる前に、歴史過程で数多くの先祖たちの血を流した功績が、私たちに留まるようにしてくださり、
善なる実績の基盤が私たちに留まるようになさいまして、
それに橋を架け、あなたが訪ね来ることの出来るこの時間とならしめてくださらん事を切にお願い申し上げます。


私達が敬慕の心情と思慕の心情を持って、お父様だけを待ち望む心を持って、
ひれ伏すことができるようにしてください。


土塊にも劣る私達があなたの御前に抱かれる息子・娘の姿に作り直されたいと願う心を持って参りましたから、一切自己の姿を顕示する私達となってはなりません。


お父様の御前に完全に吸収され完全に潰れて、
あなたが新たに造ることのできる一つの麹の如き土塊とをならせて下さらんことを切にお願い申し上げながら、
すべての祈りを真の御父母様の御名を通してお捧げ申し上げます。

アーメン。
1971.10.17

48


お父様!
イエスキリストがこの地に来て血を流し、十字架の道理をうちたてたその時から今まで、2000年近くになるこの歴史期間に、
数多く血の代価を払い、歴史的な蕩減の道をさかのぼってきたと言う事私達はよく知っております。


彼らを見捨てることもできないあなたのご心情が
どんなにどんなに痛々しいかと言うことを知っている私達は、
お父様、
今や彼らを抱いて、天にに還ることのできる民族を中心に、世界を中心に
カインアベルの恨を解いて越えていける新しい春の日が
統一の群れ達の行く手に訪れることを直視しながら、
限りなく謙遜でなければならないと言うことを自ら悟らなければなりません。


私たちの姿勢がどうであるかを、内的に外的に自ら反省しなければなりません。
明日の希望の中に輝いて
あなたの心に希望の刺激を増し加える真の子女の姿を整え、
凛々しく大胆であなたの国を建国する勇士として非の打ち所がなく、
あなたの御前に祝福を受けると同時に
愛を受けると同時に、
万民の前に立たせ誇るに足らなきことのない群れとなれますよう
祝福してくださることを切にお願い申し上げます。


お父様私たちのすべての生涯を
お父様が保護してくださることを切にお願い申し上げます。

いつもあなたの慈悲と愛が私たちの胸深く染み入ることを切に願いながら、
すべての祈りを真の御父母様の御名を通してお願い申し上げます。
アーメン。
1975.1.19


49

愛するお父様!
あなたが万宇宙を作ってから命じられたそのみ旨の叶う日を
私たちは今一度慕い求めます。
高く尊きあなたがおられたことを考えてみますときに
俗的で拙い人間像を知っている私たちは
尊いそのみ旨の前に一致できる内容とすべての価値を追求せざるを得ません。


また堕落したこの地上にいる人間たちは神様の理想世界から脱落した自らであることを考えて見る時、
自らを引きつかみ善の世界に引きいていくべき責任が天にあるのではなく
人間自身にあると言うことを私たちは思うのでございます。


お父様!
私たちの置かれている立場は宇宙の中心におられ尊く自存する立場で愛を中心とする理想の主体としていましたもうお父様とは
あまりにもかけ離れていることを自ら悟っておりますから、
この遠い距離を埋めるためには道理にかなった路程ではなく逆理的路程を取らなければならない蕩減路程とうらめしい復帰の道が前に控えていることを知っております。


この道を前進していくには父母の協助もあり得ず、
どこの誰の協助もありえないことを知っております。

神様だけを中心とした切なる心情と
生死も意に介さず努力する本生の心情だけが
そこに到達できると言う事実を考えた、今日この統一教会の群れは、
そのような目的を自分自体から
家庭や氏族や民族や国家や世界へと拡大させなければならないとてつもない使命を感じております。
自ら処した不完全な立場においては
家庭の完全さを追求することができず、
家庭の不完全な立場においては
国家や世界の完全さを追求できないと言うことを考えてみますときに
今日、人間としてとどまっているこの境遇が
哀れな境遇であることを私たちはよく知っております。

堕落圏がこのように全体を包括し、
すべての生命圏を制圧していると言う事実を知り、
これを克服し乗り越えられる自らの発見と
自らの能力が必要であると言うことを知っております。


それを発見し得る新しい心理が私たちに必要であり、
これを克服し得る力が必要でありますが、
その力は自己の為だけに生きる愛ではなく、
神様のために生きる愛からのみ生じると言うことを私たちは知っております。


お父様!
この場におきまして、自ら強く大胆な生命力と愛の心を持って、
お父様に向かって突進できる子女たちの姿を
備えさせてくださらんことを切にお願い申し上げます。

万々代の恵と愛を持って永遠に共に臨んで下さいませ。
真の御父母様の御名を通してお祈り申し上げます。
アーメン。
1980.11.9




50


あなたの慈悲と恩恵と権能を全世界に満ち溢れさせたまえ。


明日の望みを叶えてくださる為のあなたの苦労の歴史を私たちは再び身をかがめ観察するかのようにしつつ、
過ぎし日の至らなさを今一度悔い改め、
私たちに任せられた重大な使命を前に再び決意すべきこの時を迎えましたから、
お父様、
私たちに刺激を与え能力を加えまして、
あなたの喜ばれるみ旨を掲げ仕え得る、
真の子女の姿を備えさせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


お父様!
全世界に散らばっている統一の群れ達を祝福してください。


この韓国の地に向かい、信仰の祖国として継母しながら、この朝もお父様の御前に精誠を尽くし、
師のいるところに向かってぬかずき、精誠を尽くしているその場の上に、
跪きあなたの御前にひれふしたその場の上に、
満ち溢れる命の絆と恵みを持って等しく臨んでください。


明日の同志として、明日の兄弟として、
明日の食口として不足のない統一の役軍達とならしめてください。


全世界に散らばっているあなたの子女達を祝福してくださり、
そこで涙子あなたの前に哀訴したすべての祈祷と、あなたの子女達が命をかけその国を歩んで動かしたそのすべての土台が
無駄ではないと存じておりますから、
霊界にいるすべての先祖たちと、地上にいる後孫達を一致させ、
あなたの御意の一国と一世界を築けますよう、
四方から一国の中心へと集めてくださらんことを
切にお願い申し上げます。


この時間あなたの名によって集う至る所に満ち溢れる恵みを持って等しく望んでくださることを切にお願い申し上げながら、
すべての祈りを真の御父母様の御名を通してお願い申し上げます。


アーメン
1981.4.26

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