22
お父様、この統一教会をこの地上で発展させるために、あなたがどれほどご苦労なさったかを思うとき、私たちは涙なくしてそれを考えることはできません。
私がきょう、この場に立つ時まで、私はいかなる栄光も要求しませんでした。
自らの姿を主張して宣伝し、自分を弁明し、誇りたい心は一つもありませんでした。
ただ一つ、恐ろしいことは……。
歴史的な新しい責任を負ったその場を通して、過去・現在・未来を経ながら、お父様の心情を抱き、涙を流した人が過去にいなかったことを嘆きましたし、兄弟にそのような人がいないことを嘆く心をもち、今まで数十年の人生をお父様のみ旨に従ってきたと申しました。
私がお父様のみ前に恥ずかしくないのは、お父様の威信を立てるために人間の威信を余地なく放棄してしまったし、お父様の威信とお父様の権威を立てるために自分の位置と環境と、立場もみな放棄してしまったからです。
それをあなたはよく知っていらっしゃいます。
世界の人間の誰も行くことのできなかった事情の道を求めていかなければならないと、身もだえする歴史過程において、あなたは一つ一つ慰労なさり、一つ一つつかみながら、「この道を行くお前以上に寂しい者がこの地上にいない。
再び行くべき寂しさが残っている」と勧告なさったお父様のその声を忘れることができません。
反対する声が高まり、周囲の混乱した環境にぶつかる度に、その中で涙を落とし、血を吐く立場にあればあるほど、その涙を握りしめ、その血管を握りしめ、天を見つめ、お父様を恨む者にはならないと身もだえしたその事情が今日、統一教会を養成してきたという事実を、今日、集ったあなたの息子・娘たちが分かるよう許諾してください。
胸が裂けるかのように、はらわたがねじれるかのように、語ることのできないお父様の事情を、私たちは知ったので、千年の事情をすべて解くことができず、恨みのため息を抱いています。
この日もお父様に向かって忠孝の道理を誓わざるを得なかったその事情を、私たちがいまだに解くことができないでいることをあなたはよく知っています。
この気持ちをすべて吐き出し、そのような心情をみな解き、お父様の息子・娘として勝利を万邦に誇ることができ、万世に賛揚することのできるその日を迎え、お父様が喜ぶことのできるその日、お父様が誇ることのできるその日を迎えて忠孝の道理を果たそうというこのような息子・娘たちをあなたがご覧になってください。
かわいそうな場にあっても、あなたが捨てなかったことを感謝し、寂しい者の後ろについてきた彼らも寂しい者に違いないため、涙のにじんだ懐でもって保護してくださるのでそれ以上苦労したあなたのみ前に本当に感謝を捧げざるを得ません。
このような心情は民族を越え、世界のいかなるサタンの運勢を越えるとしても、私たちだけがもっている誇りであり、私たちだけがもっている財産であり、私たちだけがもっている生命の源泉であることを誇りたく思うものでございます。
周囲から聞こえてくるその話が私たちの心の感激を一時促すにとどまらないようお許しくださり、生命の源泉と生命の動機を振り返ってお父様のみ前にもう一度、あすを約束し、もう一度、忠孝の道理を果たそうと決心することのできる新しい約束の動機になるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
ここにいるあなたの子女たちが新しい世界に向かって新しい人生の炎を再び抱き、帰っていくことのできる契機となるようお許しくださり、この息子たちを生き証人としてくださって、後代の前に誇ることのできる、今日、自分の責任を果たして後孫たちの前に残してあげることのできる礼物を持とうと、ますます身もだえするあなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
今、あなたの愛する息子が滞在するその期間まで一切を自ら主管してくださり、統一の群れが行く道の前にあなたの保護と加護をより一層加えてくださって勝利の基盤を広めることによってあなたが地上の願いを成就し、解怨成就するにおいて、なくてはならない群れとなるようにしてください。
私たちが必要なら、私たちを涙のある場にお送りくださり、迫害のある場にお送りください。
民族を身代わりし、踏まれ、打たれ、追われる場でお父様を身代わりし、彼らのために恵みを祈ることのできた聖なる、イエス様が十字架で亡くなられるときに、怨讐のために祈祷したその思想を成してさしあげることのできる、世界史的な使命を果たす天の息子・娘となるようにしてくださり、天の精兵たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
この全体の事情をとこしえにとこしえに深い心に大切にしまい、個体が私のお父様に侍り、私の世界と私の後代の前に残すことのできる、一代においての使命だけでなく、氏族に通じることのできる使命としてとこしえにとこしえに誇り、とこしえにとこしえに敬うことのできる天的なみ旨として残してあげるために、あらゆる忠孝の道理を果たさせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべての事情を真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.1.28)
23
お父様! 私たちは何も持ったものがございません。
あなたの前に現れた姿を見ますとき、丸裸の者たちであり、お父様に顔を上げることのできない恥ずかしい者たちでございます。
しかし、そのような事情に従って、かわいそうな事情の中で摂理のみ旨を立ててこられたあなたの内心と通じ得る、一つの姿として記憶してくださいますことをあなたの前に申し上げないわけにはまいりません。
何も持ったもののない裸の身を持った私たちが、お父様の全体的な責任を前にし、行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることのできない自らを発見し、落胆と絶望の中で身もだえしなければならない時が来たことを私たちは知っています。
お父様に対するとき、両手を挙げて「お父様」と呼ぶべき自らであるにもかかわらず、自分自身を推し量ってみるとき、「お父様」と呼ぶことのできない恥ずかしい者たちであることをよく知っているものです。
あなたが要求する使命は大きいのですが、私たち自身はあまりに小さく、あまりに卑劣であり、あまりに悲惨であることを悟りますとき、足らない私たちを呼び集められたお父様のかわいそうなことを心深くに感じながら、涙しないわけにはいきません。
しかし、私たちは「この体と心をすべて捧げて生きた祭物となります。
死ぬとしてもみ旨をつかんで死に、生きるとしてもみ旨をつかんで生きます。
すべてのものをお父様に委ねますので、この体と心をお受け入れください」と祈祷を捧げることのできる自分たちとなって、残された使命と責任を果たし、恥ずかしい姿を立て直すことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
アダムとエバが、お父様の前に恥ずかしい姿として立つようになったことが千秋の恨みとなり、後孫たちに恨みの対象として今まで嘲弄されてきたという事実を知っています。
今日、統一教会が韓民族の前に現れ、今まで排斥され、迫害され、悲しみを味わったのです。
私たちは親戚、あるいは兄弟、父母、子女たちに追われてきた群れでした。
しかし、これはお父様を見いだすためのものであったという事実を知ったものです。
今、私たちがお父様も失ってしまい、父母も失ってしまい、親戚も失ってしまい、国も失ってしまい、世界も失ってしまう者となるのではないかと恐れるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私たちはこの世の栄光とこの世のすべての人々の喜ぶ道もみな捨てたものです。
ただ、お父様がお残しになった偉業一つを眺めて、そのみ業を慕う場所に立ったものです。しかし、これすらもお父様の前に自信を持って立つことのできない恥ずかしい姿であることを知るものです。
足らない私たちが再びお父様の前に召しを受け、命令を受けるようになるとき、恥ずかしい姿であることをもう一度感じながら、死のうと生きようと最後のこの生命をお父様の前に捧げようと決心するあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.7.14)
24
この世が反対し、この世が理解できない環境的な基準を打破するために、私たちは多くの涙の峠を越えました。
物悲しく恨めしい心を持って復帰の路程を行ったその時の事柄は、過去のこととしてすべて流れ去りました。
しかし、残された私たち自体は、お父様の愛の実体として、そのような結実体として残されなければならないのです。
流れいく歴史とともにこの世の反対に遭って倒れ、いなくなる群れとなってはならないことを、私たちははっきり悟らなければなりません。
きょうの「私」は私のための「私」ではないことをもう一度悟らなければなりません。
私は、歴史を背負うべき私であり、世界史を開拓すべき私であり、天情の因縁に責任を負って証すべき私であることを思うものです。
足らない姿ですが、お父様、あなたに捧げるための供え物として、謹んで捧げられるべき「私」だということを悟るあなたの息子となり、娘とならなければなりません。
訪ねてこられるお父様の歩みの前に、落胆の条件と悲しみの条件を加えるあなたの子女たちとならないよう許諾してください。
お父様は希望と生命の因縁をお加えになってお父様がお喜びになり得る子女、お父様の栄光を賛揚し、必ず後代に無限なる福を受け継がせてあげようとして全世界の前に忠誠を尽くす息子、そのような娘をその心でどれほど待ち望んでおられますでしょうか。
これを感じようとする私たちとならなければなりません。
私たちは滅びる群れとなってはなりません。
そのためには怨讐のすることを見物し鑑賞だけしていてはなりません。怨讐と闘わなければなりません。
彼らを打ち、彼らと怨讐になってこそ、滅ぼうとしても滅ぶことのできない立場に立つようになるということを知るものです。
悪を許すのがお父様のみ旨ではなく、悪に属している人を許し愛するのが、悪を取り除くためのお父様のみ旨であることを私たちは知っています。
ですので、私たちの責任がどれほど重要であるかをもう一度感じるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
真は永遠を立証するものであり、真は永遠とともにあるものであり、真は永遠なるお父様のすべてのものを相続するものであることを知ったものです。
それゆえ、お父様は今まで真なる人になれと言われました。
真なる人となるためには、真なる言葉を語らなければなりません。
真なる五官を通して感じる感情全体が、お父様の前に捧げ奉り得る真なる祭物とならなければなりません。
そうでなくてはならないということを、原理を通して学んだ私たちですので、過ぎた日もそうであったし、現実もそうであり、未来もそのように捧げ奉り得る道を、私たちは従って行かなければなりません。
自分一人でも悲しみを知って寂しい心情を持ってお父様を慰労しなければならないということを感じる息子・娘、自分の悲しみがあるとしても、お父様の悲しみがあるのを知って自分の悲しみを隠し、恥ずかしさを感じることのできる子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン
(1970.6.7)
25
お父様!
み旨の道を眺め、私たちがもどかしければもどかしいほど、苦労なさるお父様がかわいそうだということを感じながら痛哭することのできる息子・娘の姿を、夢にだに忘れてしまわないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
蕩減復帰の路程は受難の道であることを知りました。
涙なくしては行くことのできない道であることを知りましたがゆえに、涙を流さなくてはみ旨に向かい合えず、涙なくしてはお父様を呼ぶことができないということも知りました。
この国、この民族が滅ぶときは、この国、この民族全体の悲しみ以上の悲しみを持たれるお父様であり、世界が滅ぶときは、世界の国々が悲しむ以上の悲しみを持たれるお父様であることを知りました。
それゆえ、その国を栄えさせ、その世界を栄えさせるとしましても、すぐにお父様の悲しみを納めてさしあげることはできないということを知るものです。
ですので、お父様はとてもかわいそうな方であり、十字架の中の十字架を負った方であるということを知りました。
そのようなあなたにお父様として侍った私たちが、十字架を負わなかったことが不幸であり、数多くの怨讐の前に立つべき場を定められなかったことが不孝な身だということを知る息子・娘たちが、統一家の中に多くなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
統一家の伝統はお父様が歴史路程を通してこの地上に主張した伝統であることを知っています。
この伝統を立てるためにたくさんの受難の道も厭わず、生涯を捧げて一日のようにあなたのあとに従っていこうと約束した私たちですが、まだ形と形式を備えられず、また再びお父様の前に現れたことを受け入れてください。
私たちの姿が足らず、私たち自体が恥ずかしいのは当然ですが、私たちによって民族が滅び、世界が滅びるようになるとするなら、このとてつもない責任をお父様が負わなければならないということを思えば思うほど、お父様は言葉にできないほどかわいそうな方であられることを知るものです。
そのお父様の前に心情的に気がかりとなる私たちは千万回死んでも当然ですが、今からは一つの祭物となって、あなたのみ旨の前に支え石とならなければなりません。
そうして、あなたの心を推し量ることのできる一人の子供であると叫ぶことのできる立場に立たなければなりません。
このような立場で蕩減の祭物としてすべてを捧げられ得る道を訪ねていくのが、統一の子女が行くべき道であり、勝利の道だということを、私たちが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.6.21)
お父様、この統一教会をこの地上で発展させるために、あなたがどれほどご苦労なさったかを思うとき、私たちは涙なくしてそれを考えることはできません。
私がきょう、この場に立つ時まで、私はいかなる栄光も要求しませんでした。
自らの姿を主張して宣伝し、自分を弁明し、誇りたい心は一つもありませんでした。
ただ一つ、恐ろしいことは……。
歴史的な新しい責任を負ったその場を通して、過去・現在・未来を経ながら、お父様の心情を抱き、涙を流した人が過去にいなかったことを嘆きましたし、兄弟にそのような人がいないことを嘆く心をもち、今まで数十年の人生をお父様のみ旨に従ってきたと申しました。
私がお父様のみ前に恥ずかしくないのは、お父様の威信を立てるために人間の威信を余地なく放棄してしまったし、お父様の威信とお父様の権威を立てるために自分の位置と環境と、立場もみな放棄してしまったからです。
それをあなたはよく知っていらっしゃいます。
世界の人間の誰も行くことのできなかった事情の道を求めていかなければならないと、身もだえする歴史過程において、あなたは一つ一つ慰労なさり、一つ一つつかみながら、「この道を行くお前以上に寂しい者がこの地上にいない。
再び行くべき寂しさが残っている」と勧告なさったお父様のその声を忘れることができません。
反対する声が高まり、周囲の混乱した環境にぶつかる度に、その中で涙を落とし、血を吐く立場にあればあるほど、その涙を握りしめ、その血管を握りしめ、天を見つめ、お父様を恨む者にはならないと身もだえしたその事情が今日、統一教会を養成してきたという事実を、今日、集ったあなたの息子・娘たちが分かるよう許諾してください。
胸が裂けるかのように、はらわたがねじれるかのように、語ることのできないお父様の事情を、私たちは知ったので、千年の事情をすべて解くことができず、恨みのため息を抱いています。
この日もお父様に向かって忠孝の道理を誓わざるを得なかったその事情を、私たちがいまだに解くことができないでいることをあなたはよく知っています。
この気持ちをすべて吐き出し、そのような心情をみな解き、お父様の息子・娘として勝利を万邦に誇ることができ、万世に賛揚することのできるその日を迎え、お父様が喜ぶことのできるその日、お父様が誇ることのできるその日を迎えて忠孝の道理を果たそうというこのような息子・娘たちをあなたがご覧になってください。
かわいそうな場にあっても、あなたが捨てなかったことを感謝し、寂しい者の後ろについてきた彼らも寂しい者に違いないため、涙のにじんだ懐でもって保護してくださるのでそれ以上苦労したあなたのみ前に本当に感謝を捧げざるを得ません。
このような心情は民族を越え、世界のいかなるサタンの運勢を越えるとしても、私たちだけがもっている誇りであり、私たちだけがもっている財産であり、私たちだけがもっている生命の源泉であることを誇りたく思うものでございます。
周囲から聞こえてくるその話が私たちの心の感激を一時促すにとどまらないようお許しくださり、生命の源泉と生命の動機を振り返ってお父様のみ前にもう一度、あすを約束し、もう一度、忠孝の道理を果たそうと決心することのできる新しい約束の動機になるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
ここにいるあなたの子女たちが新しい世界に向かって新しい人生の炎を再び抱き、帰っていくことのできる契機となるようお許しくださり、この息子たちを生き証人としてくださって、後代の前に誇ることのできる、今日、自分の責任を果たして後孫たちの前に残してあげることのできる礼物を持とうと、ますます身もだえするあなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
今、あなたの愛する息子が滞在するその期間まで一切を自ら主管してくださり、統一の群れが行く道の前にあなたの保護と加護をより一層加えてくださって勝利の基盤を広めることによってあなたが地上の願いを成就し、解怨成就するにおいて、なくてはならない群れとなるようにしてください。
私たちが必要なら、私たちを涙のある場にお送りくださり、迫害のある場にお送りください。
民族を身代わりし、踏まれ、打たれ、追われる場でお父様を身代わりし、彼らのために恵みを祈ることのできた聖なる、イエス様が十字架で亡くなられるときに、怨讐のために祈祷したその思想を成してさしあげることのできる、世界史的な使命を果たす天の息子・娘となるようにしてくださり、天の精兵たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
この全体の事情をとこしえにとこしえに深い心に大切にしまい、個体が私のお父様に侍り、私の世界と私の後代の前に残すことのできる、一代においての使命だけでなく、氏族に通じることのできる使命としてとこしえにとこしえに誇り、とこしえにとこしえに敬うことのできる天的なみ旨として残してあげるために、あらゆる忠孝の道理を果たさせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべての事情を真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.1.28)
23
お父様! 私たちは何も持ったものがございません。
あなたの前に現れた姿を見ますとき、丸裸の者たちであり、お父様に顔を上げることのできない恥ずかしい者たちでございます。
しかし、そのような事情に従って、かわいそうな事情の中で摂理のみ旨を立ててこられたあなたの内心と通じ得る、一つの姿として記憶してくださいますことをあなたの前に申し上げないわけにはまいりません。
何も持ったもののない裸の身を持った私たちが、お父様の全体的な責任を前にし、行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることのできない自らを発見し、落胆と絶望の中で身もだえしなければならない時が来たことを私たちは知っています。
お父様に対するとき、両手を挙げて「お父様」と呼ぶべき自らであるにもかかわらず、自分自身を推し量ってみるとき、「お父様」と呼ぶことのできない恥ずかしい者たちであることをよく知っているものです。
あなたが要求する使命は大きいのですが、私たち自身はあまりに小さく、あまりに卑劣であり、あまりに悲惨であることを悟りますとき、足らない私たちを呼び集められたお父様のかわいそうなことを心深くに感じながら、涙しないわけにはいきません。
しかし、私たちは「この体と心をすべて捧げて生きた祭物となります。
死ぬとしてもみ旨をつかんで死に、生きるとしてもみ旨をつかんで生きます。
すべてのものをお父様に委ねますので、この体と心をお受け入れください」と祈祷を捧げることのできる自分たちとなって、残された使命と責任を果たし、恥ずかしい姿を立て直すことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
アダムとエバが、お父様の前に恥ずかしい姿として立つようになったことが千秋の恨みとなり、後孫たちに恨みの対象として今まで嘲弄されてきたという事実を知っています。
今日、統一教会が韓民族の前に現れ、今まで排斥され、迫害され、悲しみを味わったのです。
私たちは親戚、あるいは兄弟、父母、子女たちに追われてきた群れでした。
しかし、これはお父様を見いだすためのものであったという事実を知ったものです。
今、私たちがお父様も失ってしまい、父母も失ってしまい、親戚も失ってしまい、国も失ってしまい、世界も失ってしまう者となるのではないかと恐れるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私たちはこの世の栄光とこの世のすべての人々の喜ぶ道もみな捨てたものです。
ただ、お父様がお残しになった偉業一つを眺めて、そのみ業を慕う場所に立ったものです。しかし、これすらもお父様の前に自信を持って立つことのできない恥ずかしい姿であることを知るものです。
足らない私たちが再びお父様の前に召しを受け、命令を受けるようになるとき、恥ずかしい姿であることをもう一度感じながら、死のうと生きようと最後のこの生命をお父様の前に捧げようと決心するあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1968.7.14)
24
この世が反対し、この世が理解できない環境的な基準を打破するために、私たちは多くの涙の峠を越えました。
物悲しく恨めしい心を持って復帰の路程を行ったその時の事柄は、過去のこととしてすべて流れ去りました。
しかし、残された私たち自体は、お父様の愛の実体として、そのような結実体として残されなければならないのです。
流れいく歴史とともにこの世の反対に遭って倒れ、いなくなる群れとなってはならないことを、私たちははっきり悟らなければなりません。
きょうの「私」は私のための「私」ではないことをもう一度悟らなければなりません。
私は、歴史を背負うべき私であり、世界史を開拓すべき私であり、天情の因縁に責任を負って証すべき私であることを思うものです。
足らない姿ですが、お父様、あなたに捧げるための供え物として、謹んで捧げられるべき「私」だということを悟るあなたの息子となり、娘とならなければなりません。
訪ねてこられるお父様の歩みの前に、落胆の条件と悲しみの条件を加えるあなたの子女たちとならないよう許諾してください。
お父様は希望と生命の因縁をお加えになってお父様がお喜びになり得る子女、お父様の栄光を賛揚し、必ず後代に無限なる福を受け継がせてあげようとして全世界の前に忠誠を尽くす息子、そのような娘をその心でどれほど待ち望んでおられますでしょうか。
これを感じようとする私たちとならなければなりません。
私たちは滅びる群れとなってはなりません。
そのためには怨讐のすることを見物し鑑賞だけしていてはなりません。怨讐と闘わなければなりません。
彼らを打ち、彼らと怨讐になってこそ、滅ぼうとしても滅ぶことのできない立場に立つようになるということを知るものです。
悪を許すのがお父様のみ旨ではなく、悪に属している人を許し愛するのが、悪を取り除くためのお父様のみ旨であることを私たちは知っています。
ですので、私たちの責任がどれほど重要であるかをもう一度感じるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
真は永遠を立証するものであり、真は永遠とともにあるものであり、真は永遠なるお父様のすべてのものを相続するものであることを知ったものです。
それゆえ、お父様は今まで真なる人になれと言われました。
真なる人となるためには、真なる言葉を語らなければなりません。
真なる五官を通して感じる感情全体が、お父様の前に捧げ奉り得る真なる祭物とならなければなりません。
そうでなくてはならないということを、原理を通して学んだ私たちですので、過ぎた日もそうであったし、現実もそうであり、未来もそのように捧げ奉り得る道を、私たちは従って行かなければなりません。
自分一人でも悲しみを知って寂しい心情を持ってお父様を慰労しなければならないということを感じる息子・娘、自分の悲しみがあるとしても、お父様の悲しみがあるのを知って自分の悲しみを隠し、恥ずかしさを感じることのできる子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン
(1970.6.7)
25
お父様!
み旨の道を眺め、私たちがもどかしければもどかしいほど、苦労なさるお父様がかわいそうだということを感じながら痛哭することのできる息子・娘の姿を、夢にだに忘れてしまわないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
蕩減復帰の路程は受難の道であることを知りました。
涙なくしては行くことのできない道であることを知りましたがゆえに、涙を流さなくてはみ旨に向かい合えず、涙なくしてはお父様を呼ぶことができないということも知りました。
この国、この民族が滅ぶときは、この国、この民族全体の悲しみ以上の悲しみを持たれるお父様であり、世界が滅ぶときは、世界の国々が悲しむ以上の悲しみを持たれるお父様であることを知りました。
それゆえ、その国を栄えさせ、その世界を栄えさせるとしましても、すぐにお父様の悲しみを納めてさしあげることはできないということを知るものです。
ですので、お父様はとてもかわいそうな方であり、十字架の中の十字架を負った方であるということを知りました。
そのようなあなたにお父様として侍った私たちが、十字架を負わなかったことが不幸であり、数多くの怨讐の前に立つべき場を定められなかったことが不孝な身だということを知る息子・娘たちが、統一家の中に多くなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
統一家の伝統はお父様が歴史路程を通してこの地上に主張した伝統であることを知っています。
この伝統を立てるためにたくさんの受難の道も厭わず、生涯を捧げて一日のようにあなたのあとに従っていこうと約束した私たちですが、まだ形と形式を備えられず、また再びお父様の前に現れたことを受け入れてください。
私たちの姿が足らず、私たち自体が恥ずかしいのは当然ですが、私たちによって民族が滅び、世界が滅びるようになるとするなら、このとてつもない責任をお父様が負わなければならないということを思えば思うほど、お父様は言葉にできないほどかわいそうな方であられることを知るものです。
そのお父様の前に心情的に気がかりとなる私たちは千万回死んでも当然ですが、今からは一つの祭物となって、あなたのみ旨の前に支え石とならなければなりません。
そうして、あなたの心を推し量ることのできる一人の子供であると叫ぶことのできる立場に立たなければなりません。
このような立場で蕩減の祭物としてすべてを捧げられ得る道を訪ねていくのが、統一の子女が行くべき道であり、勝利の道だということを、私たちが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.6.21)
26
愛するお父様!
今日私たちが家庭を捜し立てるのは、家庭の中で安楽に生きる私たち自身となるためではありません。
家庭を祭物として氏族を捜し立てるためであり、またその氏族の中で私たちが安楽に生きようとするのではなく、氏族を祭物として民族を捜し立てるためであり、その民族の中心の位置で安逸を要求するのでなく、民族を祭物として国家を捜し立てるためでございます。
このように国家を捜し立て、その国家を万国の前に誇るのでなく、この国家を祭物として捧げて、世界を捜し立てなければなりません。
世界を捜し立てたのちにお父様の息子とお父様の娘という称号を受けるという、このようなとてつもない事実を私たちは知りました。
私たちは世界的でなければなりません。
きょう統一教会で主張するものは、世界的であるだけでなく、天宙的だということを学びました。
天宙主義の心情に連結され得る核心的な一つの家庭的な起源をつくらなければなりません。
きょう私たちには、希望の家庭と希望の世界を身代わりすることができ、死んだ世界を覚醒させることができ、世界の基となり得る家庭が必要です。
私たちがそのような主義と思想を持つことのできる姿となるよう許諾してください。
そうして、他のどのような民族よりも世界のために、自分の民族と自分の親族を越えて世界をより愛し得る心を持った、それこそ歴史時代になかった神様の息子・娘の価値を身代わりすることのできる群れとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
私たちは善人の道理を凌駕して、お父様の前に愛を受けることのできる息子・娘とならなければなりません。
全宇宙の前に立てて称賛され得る勝利のひと日を迎えて、その家庭が世界より貴く、その個人が世界より貴いということを知らなければなりません。
イエス様も「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と言われました。
このように神様の愛を受けるその位置は、世界を与えても取り換えることのできない息子の位置であり、娘の位置であることをはっきり悟るようにしてください。
私たちがこのとてつもない道理を探していくにおきまして、生命を捧げる覚悟をすべきときが一度や二度ではないということを知らなければなりません。
私の生命よりも世界をもっと愛さなければならず、私の生命よりも神様をもっと愛すべき私たちだということを知らなければなりません。この路程を避けては行く道がないということをはっきり悟るようにしてください。
近づくすべての試練と困難を不平不満で受け入れるのではなく、感謝の心で消化しなければなりません。
お父様の立場で悲惨だった歴史時代を思いながら、きょうの幸福を賛揚し、歴史のために生きてあげることができ、新しい時代を創建することのできる息子・娘となれるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.8.21)
27
いつもあなたが愛と哀れみと慈悲と許しをもって、私たちの行く路程の上に共にいてくださったことを思いますとき、心から感謝をお捧げいたします。
お父様、この場に集ったあなたの息子たちは、統一の運命を分けるべき重大な使命が両肘に背負わされていることを自覚する群れです。
歴史上になかった真の路程を心から悟り、真の実体の祭物としてあなたの前に奉献しようとする姿を、お父様、貴くご覧ください。
万民に自分が責任を負っていで立った立場、民の生命に責任を負っていで立った立場、あるいは自分が処している所の多くの生命に責任を負っていで立った立場は、一人お父様と相関を結ぶべき祭物の立場であることを知っています。
本当に、お父様の前に捧げられ得る自分の価値がどういうものであるのかを確定し、全知全能なる方であり、完全なる方であられるあなたの前に、完全なる一つの祭物として捧げられることを望む心を持って、ありとあらゆる精誠を尽くし、ありとあらゆる忠誠の心を持って生活する生涯路程とならなければならないということを私たちは知っています。
私たちは、福を受けるためにこの道を行くよりは、福を与えるために歩んでいるということを悟らなければなりません。
民族を通して私たちが幸福な立場に進むために生きるよりも、私たちを通して民族を幸福にしなければならない責任を背負ったことを悟らなければなりません。
私が良くなるために行く道ではなく、全体を良くするためにいで立った道であることを私たちは知らなければなりません。
この道を自ら行くにおいて、私たちが失望し寂しがる立場に立つときごとに、寂しい民族と寂しい人類と、寂しい天を身代わりして捧げられ得る体ですので、私たちは当然寂しくなければならず、当然孤独でなければならず、当然犠牲の道を行かなければならないということを、はっきり悟らなければなりません。
私たちがその誰よりも豊かに暮らすことが価値のあることではなく、誰よりも自由な環境にいることがいいのではございません。
全体を身代わりして祭物的な立場に立って、自らかわいそうであり、自ら悔しさにぶつかり、自ら苦痛にぶつかる立場が、私自身が滅びないと同時に、すべての民も天も滅びないようにする立場であることを私たちは知らなければなりません。
あなたの前に渇望することがあるとするなら、その渇望は自分一個人に限ったものでなく、全体を代表してお父様の前に捧げられ得る祭物圈のための祈祷でなければならないということが分かるようにしてください。
そうして、自分の個体を通して自分の家庭が、自分の家庭を通して自分の教会が全体を身代わりして祭物となる立場に立つようになるときは、ここから民族の新しい道が開かれ得るのであり、世界の新しい光が現れ得るのであり、お父様の恨めしかった歴史的な路程が開放され得る起源が造成され得るということを、私たちがはっきり悟るよう許諾してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.8.30)
28
お父様!
私たち自体の体と心を謹んでお父様の前に捧げ、祭物の実体となるようにしてください。
愛するお父様!
今日私たちが家庭を捜し立てるのは、家庭の中で安楽に生きる私たち自身となるためではありません。
家庭を祭物として氏族を捜し立てるためであり、またその氏族の中で私たちが安楽に生きようとするのではなく、氏族を祭物として民族を捜し立てるためであり、その民族の中心の位置で安逸を要求するのでなく、民族を祭物として国家を捜し立てるためでございます。
このように国家を捜し立て、その国家を万国の前に誇るのでなく、この国家を祭物として捧げて、世界を捜し立てなければなりません。
世界を捜し立てたのちにお父様の息子とお父様の娘という称号を受けるという、このようなとてつもない事実を私たちは知りました。
私たちは世界的でなければなりません。
きょう統一教会で主張するものは、世界的であるだけでなく、天宙的だということを学びました。
天宙主義の心情に連結され得る核心的な一つの家庭的な起源をつくらなければなりません。
きょう私たちには、希望の家庭と希望の世界を身代わりすることができ、死んだ世界を覚醒させることができ、世界の基となり得る家庭が必要です。
私たちがそのような主義と思想を持つことのできる姿となるよう許諾してください。
そうして、他のどのような民族よりも世界のために、自分の民族と自分の親族を越えて世界をより愛し得る心を持った、それこそ歴史時代になかった神様の息子・娘の価値を身代わりすることのできる群れとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
私たちは善人の道理を凌駕して、お父様の前に愛を受けることのできる息子・娘とならなければなりません。
全宇宙の前に立てて称賛され得る勝利のひと日を迎えて、その家庭が世界より貴く、その個人が世界より貴いということを知らなければなりません。
イエス様も「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と言われました。
このように神様の愛を受けるその位置は、世界を与えても取り換えることのできない息子の位置であり、娘の位置であることをはっきり悟るようにしてください。
私たちがこのとてつもない道理を探していくにおきまして、生命を捧げる覚悟をすべきときが一度や二度ではないということを知らなければなりません。
私の生命よりも世界をもっと愛さなければならず、私の生命よりも神様をもっと愛すべき私たちだということを知らなければなりません。この路程を避けては行く道がないということをはっきり悟るようにしてください。
近づくすべての試練と困難を不平不満で受け入れるのではなく、感謝の心で消化しなければなりません。
お父様の立場で悲惨だった歴史時代を思いながら、きょうの幸福を賛揚し、歴史のために生きてあげることができ、新しい時代を創建することのできる息子・娘となれるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1970.8.21)
27
いつもあなたが愛と哀れみと慈悲と許しをもって、私たちの行く路程の上に共にいてくださったことを思いますとき、心から感謝をお捧げいたします。
お父様、この場に集ったあなたの息子たちは、統一の運命を分けるべき重大な使命が両肘に背負わされていることを自覚する群れです。
歴史上になかった真の路程を心から悟り、真の実体の祭物としてあなたの前に奉献しようとする姿を、お父様、貴くご覧ください。
万民に自分が責任を負っていで立った立場、民の生命に責任を負っていで立った立場、あるいは自分が処している所の多くの生命に責任を負っていで立った立場は、一人お父様と相関を結ぶべき祭物の立場であることを知っています。
本当に、お父様の前に捧げられ得る自分の価値がどういうものであるのかを確定し、全知全能なる方であり、完全なる方であられるあなたの前に、完全なる一つの祭物として捧げられることを望む心を持って、ありとあらゆる精誠を尽くし、ありとあらゆる忠誠の心を持って生活する生涯路程とならなければならないということを私たちは知っています。
私たちは、福を受けるためにこの道を行くよりは、福を与えるために歩んでいるということを悟らなければなりません。
民族を通して私たちが幸福な立場に進むために生きるよりも、私たちを通して民族を幸福にしなければならない責任を背負ったことを悟らなければなりません。
私が良くなるために行く道ではなく、全体を良くするためにいで立った道であることを私たちは知らなければなりません。
この道を自ら行くにおいて、私たちが失望し寂しがる立場に立つときごとに、寂しい民族と寂しい人類と、寂しい天を身代わりして捧げられ得る体ですので、私たちは当然寂しくなければならず、当然孤独でなければならず、当然犠牲の道を行かなければならないということを、はっきり悟らなければなりません。
私たちがその誰よりも豊かに暮らすことが価値のあることではなく、誰よりも自由な環境にいることがいいのではございません。
全体を身代わりして祭物的な立場に立って、自らかわいそうであり、自ら悔しさにぶつかり、自ら苦痛にぶつかる立場が、私自身が滅びないと同時に、すべての民も天も滅びないようにする立場であることを私たちは知らなければなりません。
あなたの前に渇望することがあるとするなら、その渇望は自分一個人に限ったものでなく、全体を代表してお父様の前に捧げられ得る祭物圈のための祈祷でなければならないということが分かるようにしてください。
そうして、自分の個体を通して自分の家庭が、自分の家庭を通して自分の教会が全体を身代わりして祭物となる立場に立つようになるときは、ここから民族の新しい道が開かれ得るのであり、世界の新しい光が現れ得るのであり、お父様の恨めしかった歴史的な路程が開放され得る起源が造成され得るということを、私たちがはっきり悟るよう許諾してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.8.30)
28
お父様!
私たち自体の体と心を謹んでお父様の前に捧げ、祭物の実体となるようにしてください。
その祭物の実体はサタンの条件として残るのでなく、完全なる祭物、勝利の復活体としてお父様の前にすべて捧げられなければなりません。
そうして、お父様が喜ばれ、私たちが喜ぶことのできるその日を持たなければならないのが、きょう統一教会の群れの行くべき運命の道であることが、はっきり分かるよう許諾してください。
私たちは今まで受難の道を克服してきました。
そのような私たちの前に倍加した受難の路程が置かれるとしても、私たちは再び精誠をもってお父様の前に誓っていくべき者たちです。
私たちがこの道に責任を負わなければ、その誰も責任を負うことができないということを知っていますので、前にどんどん置かれいく試練の舞台に向かうために、誓った心を忘却した私たち自身をもう一度収拾しようとするよう許諾してくださり、決意した実体としてもう一度表して、あなたがご覧になるときに、誇ることのできる、信じることのできる息子・娘となるようにしてください。
お父様の心情的な内面に一致した孝子孝女を捜し出してくる途上において、お父様の心を慰労してさしあげることのできる子女とならなければなりませんし、今からはお父様の苦労の道を引き継がせてくださいと言うことができ、受難の道を相続することのできる統一教団の群れとならなければならないということを知りました。
それゆえ、私たちはもっと苦労できないのが悲しみであり、もっと受難の道に立てないのが心痛であることを感じるべき群れであることを思うものです。
この者たちはかわいそうな群れです。
この群れは孤独な群れであり、寂しい群れです。
寂しい天の道を死守して天の道に従う者たちでありますがゆえに、寂しくないわけにはいかない共同的な運命を持ちました。ゆえに、あなたが必ずこの者たちと共にあることを私は知っています。
あなたを背負って倒れ、あなたに侍って倒れなければならないのが私たちの生活であることをはっきり悟り、勝利のひと日を眺めて、千秋万古の栄光をあなたを身代わりして私たちが力いっぱい、精いっぱい、のどが裂けるほど賛揚し、勝利の凱歌を歌うことができるようにしてください。
その日のためにそのひとときのために千年の歳月を投入し、一生を投入することのできる偉大なあなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1971.9.5)
29
お父様!
韓国の情勢は切迫した時点におかれております。
アジアの情勢ももちろんであり、世界の情勢も渦の中に方向を失い回っています。
あなたが一本のひもを下ろされ、私たちがそのひもをつかんで方向を把握し、上から下までこの渦の中から抜け出なければならないことを知っています。
しかし、気を引き締めて方向を見いだし、自分の位置を整頓すべき立場に立っていることをこの民族は知ることができずにいます。
この方向の道案内を誰がしなければならないでしょうか。分かっている者がすべきであるということを知っています。
この息子は人が知ることのできない道を知りましたがゆえに、生涯を捧げて受難の道を耐えてきました。
知っていることが罪でしたし、あなたのために生きようということが罪でした。
お父様が愛でもって誰も来ることのできない位置までお導きくださいましたので、ここで敗者の苦い杯を飲んで悲しみの道を行くことはできません。
韓国にいる統一の若い群れたちをもう一度整備してあなたの前に結束させ、あなたを中心として南北統一することを宣言できるよう許諾してください。
東洋と西洋に分立されたものが、あなたを中心として一つになるよう許諾してください。
天と地が分けられたのを、天を中心として統一させるべきかわいそうな祭物の祭壇が残っていることを知っています。
天と地が分けられたのを、天を中心として統一させるべきかわいそうな祭物の祭壇が残っていることを知っています。
悲惨なこの道を祭物が連結させなければならないことを知っています。
その祭物が正にかわいそうな統一教会の群れであることを知っています。
お父様!
個人として分けられた歴史的な個人のすべてのものを、祭物をもって連結させなければならず、家庭として分けられた悲惨な家庭のすべてのものを、祭物をもって連結させなければならず、民族の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、国家の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、世界の分裂相を祭物でもって連結させなければなりません。
お父様、これらに責任を負わなければならない宗教の群れを訪ねてきておられるという事実を私たちは知っています。
そのような厳粛なる使命を受け継ぐべき群れが正に統一の群れであることを、私たちはもう一度自覚しなければなりません。
今、遠からぬ期間にこの驚くべき使命を果たすべき外的、内的基盤を統一教会が立てていますので、この厳粛なる使命の前にあらゆる忠孝の道理を誓う群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてのものをみ意のままに成してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
最後の一角まで生きた祭物として捧げ得る統一の祭壇となるようにしてくださいますことを、もう一度お父様の前にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。
アーメン。
(1975.12.28)
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