いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

初級産業カウンセラー資格維持

2007年01月25日 | カウンセラー勉強記
通知が来た。
産業カウンセラーは活動するのに
資格登録し、毎年講習を受けなければならないようになるらしい。

うーん、確かにそれで一定のレベルが維持できるのだろうが、
普段の仕事で使用しない身としてはなんだか面倒くさい感じがする。

登録は今回は見送る(資格がなくなるわけではないので)ことにしよう。
資格を取得してからかなりの時間がたってしまったが、
日々の生活にはあんまり生かせてない。

使うようになったときに登録すればいいや。
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複雑な心境で

2005年02月07日 | カウンセラー勉強記
仕事で上手くいかず、
疲弊して深夜に帰宅。

郵便受けを見ると、
「重要」と書かれたカウンセラー協会からのお知らせが。

「ああ、きっと産業カウンセラーの合否通知だな」
すぐに見る気はしなかった。
ただでさえ今日はついていなかったし疲れている。

落ちてるかもしれないので、
見るのやだなぁ。
食後に見よう。

さて食後、ふと思い出して封を切る。
ぺらぺらの紙が2枚。

そこには「合格」の文字が。

不思議なことに、達成感というか、
「やったー!」というような気持ちはなく、
どちらかというと、「ふーん・・・」
というような気分であった。

もっと自分は喜ぶかと思っていたけど、
たいして喜ばないのがなんか不思議。

わかっていることは、
「カウンセラー」の技能が現在仕事では生かしにくいということ。
また、日常で「人の話をよく聴く」という態度は
友達などから無制限に話を聴かされてしまうこともあり、
うんざりする局面があったことだ。

これからどうしよう。
更に関連資格を重ねるか、
もしくはもうやめるか。

人生に答えを求められている。
しかしそれはまだ保留しておいてもう少し考えたいと思う。

できうることならば、自分の中の
論理的な世界と、感情的な世界を整理、統合、融合して
新しい「生きていく仕組み」を構築したいとは思うのだが・・・
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産業カウンセラー2次試験

2004年12月18日 | カウンセラー勉強記
ついにこの日が来た。
産業カウンセラー2次試験!
面接である。
これまでの集大成。

これまでやったことをおさらいし、
完全なるシミュレーションの後に、
面接試験に臨む!

・・・・なーんてことはなく、
明日があるさと、夜更かし。
しかも風邪気味だった。

次の日1時間前に泣きながら予想面接問題の回答を作成。

で、実際に会場へ行って、試験を受けたら、
20分くらいで終わってしまった。

早っ!

内容はなんというか、
簡単なものだった。
組になって互いにカウンセラー役、クライアント役に分かれて
それぞれカウンセリング。

なんちゅーか、まぁ、できたような気がする。

しかしその後、風邪が更に悪化し、
寝込むことになったのだ・・・。
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産業カウンセラー一次試験当日

2004年11月21日 | カウンセラー勉強記
妙に落ちついていた。
筆記試験の当日なのに。

確かにこの資格を取ったからといって
これまでと何かが異なるとは思えない。

だけど、1カ月あまりの努力を出すにしては静か過ぎる。

ひとつに、試験の範囲が広すぎて、
試験勉強でカバーできないということもある。

範囲はあってないようなもので、
参考書も過去問なだけで、必ずその中から出るわけではない。

勉強の手ごたえも感じぬままに
試験に臨んでしまった。

受けた結果は「?」というものだった。
できなかったようでもあるし、できたようでもある、
というのが正直な感想だ。

2次試験は面接だ。
今度は事前勉強もないので、ちょっと一息つける。

自分自身に問いかける。
カウンセラーになりたいのかと。
今はまだ、わからない。
その決めきれない心がそのまま試験に出てしまった。
そんな気がしている。
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配慮とは

2004年10月26日 | カウンセラー勉強記
産業カウンセラーの閉校式。
講堂に集まった生徒は90人あまり。
グループは12~13名でごとに
組まれており、順番に名前を呼ばれて、
呼ばれた人はグループ全員が呼ばれるまでその場に立っていくという
形のものだった。

生徒の中には
車椅子の人が2名ほどいた。

順番がまわってきて
名前を呼ばれたとしても、
その人たちは立つことができない。

自分のグループにそのことを指摘した人がいた。
「カウンセラー講座という心を扱う場所であるならば
 もっと配慮があってもよかったのではないのか」と。

私は正直に言ってではどうすべきだったのかということについて
判断できないでいる。

でももし、自分が車椅子で
立てなかったとしても、なんとも思わないだろう。
人生は不公平なものだと知っているから。

逆に、
「車椅子の人たちがいるので
 立たないで手をあげることにしましょう」
というふうな配慮をされることによって余計に
みんなに申し訳なく思う。

この問題は、いまだ自分の中で決着していない。

2名の人たちはどういう想いで、
閉校式を迎えたのだろうか。
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おわりなきはじまり

2004年10月24日 | カウンセラー勉強記
7ヶ月に渡ったカウンセラー養成講座も今日が最終回だった。

きついこともあったが、講座を終えてみて、
自分自身の成長を肌で感じることができる。
出会った人々には感謝したいと思う。

先生方の挨拶の中で、最後の最後に気付かされた言葉があった。
「皆さんは訓練の結果、ありのままの自分を話すことができるようになりました。
 だけど、普通の人はありのままの自分自身を話すということには抵抗があります。
 自己開示は簡単にできることではなく、世の中では「できないこと」のほうが、普通なのです。」

今までの疑問が氷解した瞬間でもあった。

自分自身の思いをそのままに述べる。
そのことはむしろ自分の中では当たり前であった。
しかし、他の人はそうではなかった。

だんだん見えてきた。
自分は自分自身を飾らず、ありのままに出す。
それを世の中は受け止めてはくれなかった。
「また始まったよ・・・」みたいな対応が常であった。
しかし、自己を見つめずに責任は周囲にのみあるのだと
頑固に信じ続けた。
それゆえに孤独となった。
ますます孤独を周囲のせいにした。

だけど、自分自身が無責任に発した言葉が他人を傷つけ、
孤独を際立たせたこともあっただろうし、
時と場所をわきまえず本音で話すということは
話す側にも問題があるのだと
思うようになった。

出会いが縁となって、
学びが生まれ、
自己と向き合い成長する。

講座は終わったが、
命尽きるまでは日々向上を目指していきたい。
そう思った。

「おわりなきはじまり」がまた始まる。
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同情と同調を

2004年10月17日 | カウンセラー勉強記
長い間通ってきたこの産業カウンセラー養成講座も、
はやいものであと2回となりました。

今日は長年の謎が解けました。

それは何気ない台詞でした。

「共感によく似たものに、同調、同情があります。
 これらは非常に似ており、見分けにくいものなのです」

そうだったのか。あのとき両手から愛情を離し
その手に同情を掴んだのだと、いまさらながらに理解しました。
「この人を救わなければならない」
「人は変わるはずだ」
今にして思えば、愚かな選択でした。
しかし、自分はその選択こそが正しい道だと信じていた。

まさに、共感と同情を取り違えていた。

相手が自分の意見に同調していたことも見抜けずに。

自分自身に対しての圧倒的な不信感。

あれから、もうすぐ10年になるが、
僕はどれだけ成長できているのだろうか。

相変わらずに幼く、愚かではあるけれども、
上を向いて歩いていきたい。

自分をもう一度取り戻すために。
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もうすぐ終盤

2004年10月03日 | カウンセラー勉強記
本日は最後の講義と事例検討の演習。
事例の解釈が人によって違いすぎるし、
模範解答を見てもなんだか納得いかない部分もある。

とにかく10月ですべてが終了し、
あとは11月の試験を待つだけだ。

始まったころと比べてみると、
やはり、レベルは相当に違う気がする。

「人の話を聴くということがどういうことか」がわかった気がする。
いや、わかったのはどう聴けばよいかということではなく
「聴くことはこれほど難しいことなのだ」ということがわかった。

それだけでも、受けたかいがあったというものだ
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中途半端な鋭さ

2004年09月26日 | カウンセラー勉強記
失敗してしまった。

カウンセリング実習の時間に
カウンセリングを振り返る時間があるのだが、
そのときに、思ったことを正直に言ってしまったら
それがその人が自覚したくなかった気持ちであったらしい。

鋭いことはよいことだが、
中途半端な鋭さは自身を滅ぼす。

出来るだけ広い視野、見地から物事を判断し、
自分の今置かれている立場を確認してから
発言しなければならないな・・・
と、思った。

カウンセリングを勉強しているのに、
人の心を読みきれなかったことがなんだか腹立たしく、
悲しい。
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組み合わせ

2004年09月12日 | カウンセラー勉強記
今日は一日講義だった。
これといったことはなかったのだが・・・

試験が3ヵ月後だということで
心なしかクラスがあわただしい。

しかし、そんな中自分のグループは
まとまりもなく、交流も少ない。
その中の一人が、
「先生を囲んで、懇親会をしましょう」
とアナウンスしたものの、
参加者は半数以下であるようだ。

何事もメンバーと言うものは大切だな
と思う。

構成する人々が互いに響きあうのか打ち消しあうのか。
組み合わせによって1+1=0だったり10だったり。

誰かが悪いと言うわけではない。
ただ、相性というものは確実に存在する。

こんかいはどうも歯車が上手くかみ合わないようだ。
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