いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

limit is unlimit

2005年02月28日 | 考える
「制限」について考えた。
(この出だし、かなり久しぶり)

以前にも書いたが、制限があることは
むしろ無制限への入り口ではないかと思う。

例を示すと・・・
遠足の「おやつは300円まで」
300円までという制限があることにより、
そこに「選択」という道ができる。
そうして考える。
「300円」の中で一番自分が満足できるおやつはどれか、と。
もし無制限だった場合は選ぶ必要がない。
目に付いたおかしをすべて買えばよいのだ。

「絞り込む」という作業が実は自分の欲求の特徴を際だたたせる。
甘いお菓子が好きなのか、スナック菓子が好きなのか、
量が多いほうがよいのか、飴のように長持ちするお菓子がすきなのか。

人生にも制限がある。
最たるものは、生命だ。
最後は決まっているのだ。
いつか死ぬ。それはすべての人に平等にふりかかるもの。
早い、遅いはあるが必ずいつか死んでしまう。

しかしそれは慈悲なのかもしれない。
生命が永遠ならば、そこには流れのないよどんだ世界が
繰り広げられるだろう。
「明日やればいい」という考えが永遠に続く世界。

永遠の時間を与えられたら、確かに永遠に向上し続けるかもしれない。
だけど、制限がある中で、永遠ではない世界で永遠を目指す
ということがもっと重要であるかもしれない。

栄枯盛衰。行雲流水。
そこには喜びと悲しみ、出会いと別れ、
幸運と不幸があるが、
「ひと」は流れる時間の中で生きることを宿命付けられており
その「制限」の中で最大限の努力を行うことが重要なのだと思う。
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100円は1000円に

2005年02月27日 | その他
働き出してからだろうか、
いつのまにか自分の中の貨幣価値が変わっている。

子供のころ、100円はそこそこ大金であった。
100円を握り締め、お菓子を買うときには、
できるだけグラム数の多いお菓子を選んでいた。
今考えると、いじらしい話ではあるが・・・

大学のころには外食といっても大学の周囲の定食屋で、
500円~くらいの定食を食べていた。
800円を超えると、そこそこ気にする。
1000円なんて、「ああ、贅沢だな・・・」
と思っていた。

そして就職、転勤。
今の職場の近くのランチは大体1000円がスタートラインだ
今の1000円はまるで昔の100円のように感じ、
だんだん、値段に無頓着になってきた。
値段は見ずに、食べたいものを買う。

千円札を出すのに何の抵抗もなく、
たまに地元に帰ったりすると、
余りの安さにこの店大丈夫かなぁ?
と思ってしまう。

豊かになったのだろうが、
余りにお金に無頓着になってしまって、
なんだかちょっと怖い気もする。
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未来につながること

2005年02月26日 | 考える
最近の自分の傾向としては、
「未来につながること」をしていないような気がしてならない。

毎日の雑務をこなすこと。
雑用をこなすこと。
今しなければならないことをこなしていくこと。

予定は埋まっているが、
「しなければならないこと」にせきたてられている。

1か月後、2か月後、1年後に、
「こうなっているだろう、だからこれを今しなければ。」
そういうことがない。

なんだか流している感じだ。
忙しいから仕方ないのだろうけど、
やりたいことにたどり着く前に、やらなければならないことで
時間が埋まりそうで怖い。
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めがねを買いに・・・

2005年02月25日 | その他
ねがねを買いに行った。
今のめがねで特に見えにくいということはないのだが、
バイクで北海道に行ったときに、
ヘルメット脱ぐときに落としてしまって
欠けてしまっていたのだ。

いい加減に買い換えようと思って、
お店に・・・
・メガネの寿命は3年くらい
(3年経つと、紫外線を吸収しきってしまい、黄色くなってしまうそうな・・・)
・白い紙に書いてある黒の文字が読みにくい人はレンズに色をつけたほうがよい
(コントラストの関係で眼が疲れにくいらしい)
などといろいろ話を聴いた。

結局気に入るフレームがなかったのでレンズだけを交換で
約30000円なり。

今のめがねに変えてからもう5年経っていた。
(店に記録が残っていたこともすごいのだが・・・)
よく考えたら、ほぼ毎日5年間も使用してきたということは
すごいことだと思う。
なんだか、めがねに感謝したくなった。
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家事が疲弊させる

2005年02月24日 | 考える
なんというか、どっと疲れて
家に帰ってきて、
飯を作って、風呂を沸かして、洗い物して・・・
などとやっていると、ますます疲れて
ストレスが溜まる。

なぜか。
建設的な仕事ではないし、
それをやることにより誰かから感謝されることはないからだろうな。

よく会社の同僚と話すのだが、
家事を受け持つメイドロボットができたら、
300万円でも安いものだと思う。

家事をしていると、
それ自体はたいした仕事ではないのだが、
それらやらなければならないことをこなしてゆくと気持ちが沈んでくる。

昔に比べれば技術の進歩で
皿洗い機やら、洗濯機やら、水道やらで
便利になっているはずなんだけども、
それでも家事はやっぱり面倒くさい。
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金魚の葬式

2005年02月23日 | その他
会社で飼っている金魚が一匹死んじゃった。

派遣の女の子が、ティッシュに包まった金魚と、
箸とを携えてエレベーターへ向かった。
「どうするの?」って聴いたら、
「お墓作るんです!」だって。

金魚にお墓を作るという発想すらなくなっていた
自分にちょっとショック!

お墓を作るのは、ネコクラスからだな・・・
と、思う。

私は小さい生物をあまり好まないので、
魚やら、ザリガニやらにお墓を作ってあげたことはない。

だけど、お墓という発想すらできなかった自分は
感受性がなくなっているなぁ・・・
と、改めて実感した。

派遣の女の子は気も利かないし、
愛想もないし、毒舌だけど、
お墓を造ろうなんて、やさしい娘なんだな・・・
と、これまでの見方をちょっと改めたのであった。
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後ろから付いて行く

2005年02月22日 | テニス
テニスシューズがヤヴァイ状況だ。
既に裏のでこぼこは消え去り、やたらとすべるし、
よく曲がる中央部分は亀裂が入っており、
新品の時には輝いていた色も
もはや薄汚れて汚い。

そこで、新しいシューズを買おうと思っていた。
だけど、ネットで同じ靴が時代遅れなので
6450円(新品は13500円だった)で売っていたので迷わずそれにした。

このシューズは確か2年くらい履いている。
今の靴でも不満は全くない。
世の中は新作がたくさん出ているけど、
全く興味はない。

テニスシューズに限らず、あるモノが気に入ったからって
5年後に同じものを購入できることはまずない。

サイクルが早いのだ。
人間の体なんてそうそう変わらないのに、
シューズがそんなに進化しているのだろうか?

絶え間ない革新のおかげで技術は進歩する。
だけど自分は東京に居るにもかかわらず、
時代の後ろからいつもついてゆく。

モデルチェンジなんてそうそうなくてもいい。
自分のスピードはもっとゆっくりだ。
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眠れない夜に

2005年02月21日 | 考える
何を隠そう、日曜日に
久々に昼の12時まで寝ていたのだ。

そうして日曜の夜はなかなか眠れなくて、
音楽を聴き始めた。
静かな音楽を聴きたくて、
小田和正の「K.ODA」を聴いていた。

中学校の時から聴いているからかれこれ
15年くらいこのアルバムを聴いている。

静かに流れる曲を聴いているうちに・・・
だんだん眠く・・・

・・・
なるわけもなく、この曲を聴いていたいろいろなシーンが
よみがえってくる。

季節の香り、打ち込んだ部活、
彷徨った青春、伝えられなかった想い、
友達、敵、両親、先生。

当時のことがいろいろと思い出す。

自分は人から多くのものを与えられ、
本当はもっと感謝すべきだったのに。

世間を知らない僕は
本当の意味の感謝を知らなかった。

大人になった今は
過ぎてしまった時代を懐かしく思い出す。

でも、過去を懐かしむ、この一瞬でさえ
同じようにいつか懐かしむ時がくるのだろう。

そのとき、今の自分をまたもや「愚かだった」と
そう、思うのだろうか。
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ここじゃないどこかへ

2005年02月20日 | 考える
やることのない休日に、かつては
一人でドライブに行った。
好きな音楽をかけ、孤独と向き合わずに
ただ、時間が過ぎればと思っていた。
しかし、もともとあてどのないドライブは
何かが空しく、未来にはつながらない浪費の疲労であった。

それから時間がたち、
今度はやることのない休日に映画を観るようになった。
近所のビデオ店に毎週通い、それこそ
もう観るものがないくらい映画を観た。

逃避したかったのだ。
一人きりの現実を何とか回避したかった。
忘れたかったのだろう。

どこにも出かけず、部屋から一人きりで外を見上げると
そのころのことを思い出すのだ。

ここじゃないどこかへ-
僕が幸せになれるはずの場所へ。

しかし、それは自分の行動でだけしか
手に入れられない。

結局ここじゃないどこかへなんてありえないのだ。
自分がいやなことでも進んでやっているうちに
幸せなこともやってくる。

まず動くことだ。
そのとき、方向を間違うな。
明るいほうへ進むのだ。
決して「孤独」のほうへ進んではならない。

みんなと一緒にできること、
人と触れ合えるようなこと。
そういう方向に進んでゆくのだ。
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タイムカプセル

2005年02月19日 | その他
ふと、中学生のころに埋めた
タイムカプセルを思い出す。

未来の自分に向けて、手紙も書いた。

内容を思い出すと、
「きっと普通のサラリーマンになっていると思う」
という内容だった。
そうして僕は100円玉を2個入れた。
未来には硬貨が変わっているのだと思って。

中学生は夢を見るにはちょっと遅い。
特に飛びぬけて得意なことも、
不得意なことも、すごく好きなこともなかった。
普通の中学生だった。

あのタイムカプセルはどうなっているだろう。

そして今、タイムカプセルを埋めるのならば、
僕は未来の自分になんと書くだろう。

普通に結婚して、普通の家庭を築いて、
そう考えていた僕の未来はまだ来ていない。

現在は普通であることが難しい世の中だ。
共通の認識が崩れている。

僕は今、残念なことに
タイムカプセルに入れるものを何も持たないのかもしれない。
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