「制限」について考えた。
(この出だし、かなり久しぶり)
以前にも書いたが、制限があることは
むしろ無制限への入り口ではないかと思う。
例を示すと・・・
遠足の「おやつは300円まで」
300円までという制限があることにより、
そこに「選択」という道ができる。
そうして考える。
「300円」の中で一番自分が満足できるおやつはどれか、と。
もし無制限だった場合は選ぶ必要がない。
目に付いたおかしをすべて買えばよいのだ。
「絞り込む」という作業が実は自分の欲求の特徴を際だたたせる。
甘いお菓子が好きなのか、スナック菓子が好きなのか、
量が多いほうがよいのか、飴のように長持ちするお菓子がすきなのか。
人生にも制限がある。
最たるものは、生命だ。
最後は決まっているのだ。
いつか死ぬ。それはすべての人に平等にふりかかるもの。
早い、遅いはあるが必ずいつか死んでしまう。
しかしそれは慈悲なのかもしれない。
生命が永遠ならば、そこには流れのないよどんだ世界が
繰り広げられるだろう。
「明日やればいい」という考えが永遠に続く世界。
永遠の時間を与えられたら、確かに永遠に向上し続けるかもしれない。
だけど、制限がある中で、永遠ではない世界で永遠を目指す
ということがもっと重要であるかもしれない。
栄枯盛衰。行雲流水。
そこには喜びと悲しみ、出会いと別れ、
幸運と不幸があるが、
「ひと」は流れる時間の中で生きることを宿命付けられており
その「制限」の中で最大限の努力を行うことが重要なのだと思う。
(この出だし、かなり久しぶり)
以前にも書いたが、制限があることは
むしろ無制限への入り口ではないかと思う。
例を示すと・・・
遠足の「おやつは300円まで」
300円までという制限があることにより、
そこに「選択」という道ができる。
そうして考える。
「300円」の中で一番自分が満足できるおやつはどれか、と。
もし無制限だった場合は選ぶ必要がない。
目に付いたおかしをすべて買えばよいのだ。
「絞り込む」という作業が実は自分の欲求の特徴を際だたたせる。
甘いお菓子が好きなのか、スナック菓子が好きなのか、
量が多いほうがよいのか、飴のように長持ちするお菓子がすきなのか。
人生にも制限がある。
最たるものは、生命だ。
最後は決まっているのだ。
いつか死ぬ。それはすべての人に平等にふりかかるもの。
早い、遅いはあるが必ずいつか死んでしまう。
しかしそれは慈悲なのかもしれない。
生命が永遠ならば、そこには流れのないよどんだ世界が
繰り広げられるだろう。
「明日やればいい」という考えが永遠に続く世界。
永遠の時間を与えられたら、確かに永遠に向上し続けるかもしれない。
だけど、制限がある中で、永遠ではない世界で永遠を目指す
ということがもっと重要であるかもしれない。
栄枯盛衰。行雲流水。
そこには喜びと悲しみ、出会いと別れ、
幸運と不幸があるが、
「ひと」は流れる時間の中で生きることを宿命付けられており
その「制限」の中で最大限の努力を行うことが重要なのだと思う。