いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

気持ちをつづる

2005年10月25日 | 考える
なんだろう。
最近、ネットの世界から遠ざかっている。

毎日の出来事、それに対する心の動きをblogで文字にするという
気持ちが薄くなってきている。

他の人のblogを読む時間も減ってきている。
なぜだろう。

特に生活が充実しているからというわけでもない。
以前と変わらない生活だ。

自分の気持ちを誰かにわかって欲しいという気持ちが
なくなってきているような気もするし、
ただ単に疲れているからという気もする。

blogは癒しだと思った。
自分の気持ちを正直に綴れるのだと。

その気持ち自体がなくなっているのは
どうしたことなのだろう。
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そういうことじゃない

2005年10月19日 | その他
別れた彼女に言われたこと。

「私の悪いところを言ってくれたら、
 それを全部なおすから、もう一度付き合いたい」

だけど、僕には変われない君の姿が見えるような気がして。
そこまで思ってくれるのは本当にありがたいと思うけど、
別れを決めたのはそういうことじゃない。

君といると僕の何かをとられてゆくような気がする。
気持ちが響きあわない、タイミングが違うそういう集合体。

別れの理由はきっとひとつじゃない。
なおす、なおさないじゃなく、もっと根本的なこと。

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お金を送ってください

2005年10月17日 | 考える
実家から手紙がきたので、実家に電話してみた。
出たのは母親だった。

親戚にのおじさんがガンになったとか、
そういう話をひとしきりした後に、
「お金は足りてる?」と母は聞いてくる。

「あんたは家を出てから一度もお金がほしいと
 言ったこともないからえらいねぇ」

などと言う。母の兄弟はだいぶ悪かったらしく、
祖父によくお金をせびっていたようである。
だから、男の子供はそういうものだと思っているようだ。

親戚にはいろいろとあるが
不思議と我が家にはこれということもなかった。
家族の誰かが病気になることも、大きな怪我することもなかった。
だからいやいや家族のために何かをしなければならないこともなかったのだ。
自分はそれだけで満足で、お金がほしいなどとは思わない。
五体満足に生んでくれただけでも、感謝しなければならないな、
と常々思っている。

そういう気持ちを知ってか知らずか、
毎回「お金は足りてるのか」と聞いてくる。

そのたびに僕は
「家族が元気でいることだけでいい」と言うのだが、
親はそれがちょっと不満らしい。
きっと、「お金を送って」と言ったら言ったで、
それについてもまた何かを言うのだろうけど。
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高次な判断

2005年10月14日 | 考える
会社に行く途中の道で、ミミズが這っていた。
道の上は乾燥しており、ミミズはいずれ死ぬだろうと思った。

どこから出てきたのか知らないが、
どこかで判断を誤ったのだろう。
土の上ならば死なないものを。
アスファルトを道の反対側へと進んでいた。
もしそのミミズが高次な判断ができるのであれば
引き返すことが必要だということに気づくだろう。

だけれども、そういうことはなく、
きっと、道を横切ろうとして
途中で力尽きるのだろう。

視点を変えてみれば自明の理であっても
当人にはまったく気づかないことがある。

高次な判断ができる人がいても、
そのレベルに達していない人には、
その人が信に足るのかどうかを知るすべがない。
いや、ひとつだけあるとすれば、
「無心に信じる」ということだろう。
しかしそれは、危険な賭けでもある。

信じるものが良であった場合は幸せな結果となるが、
逆もありうる。

結局は自分の意思で生きているようでも
あらゆる偶然に翻弄されながらも生きてゆくしかないのかもしれない。
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座右の銘は

2005年10月09日 | 考える
会社で面接試験があった。
そのために練習を行ってくれるそうで、
就業時間後に受ける人たちが集まった。
面接官役は課長たちだ。

その質問の中で、「座右の銘は」
という問いがあった。

しかし、自分は座右の銘などはない。
座右の銘などを唱えると、
それが身を助けることもあるが縛ることもある。
そう思っているのだが、それを理解してくれるのだろうか・・・
とちらと思う。

当たり前のように聞く座右の銘。
それを持っている人のほうが少ない気がするのだが、
果たして外向きの座右の銘をみんな持っているのだろうか。
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人は変われないのか

2005年10月05日 | 考える
その話セリフを聞くのは何度目だろうか。
「友達からその考えはおかしいと言われた」

だからなんだというのだろうか。
繰り返し言っているじゃないか、
「自分の人生は自分で決断して選び取って行くものだ」と。
それをしないでは本当の意味で自分の人生を生きてはいないのだと。

自分の意見よりも周囲の意見を重視して生きていくのならば
言い訳や、愚痴など言わないでほしい。
「勇気がないから・・・
「昔からこうだったから・・・
「だからだめなんだなぁ・・・

自分の人生を生きるということは本当は難しいことなのだ、
と思う。誰もが、周囲とのバランスを取り生きてゆく。
しかし、人によく思われたいという気持ちで生きてゆくのは
自分を大切にしない生き方ではないか。

いったい君は誰の人生を生きているのか、
その問いの意味さえ「本当には」わかりはしないのだろう。

人になんと言われても、自分が納得して
「これが自分の人生だ」と言えるならばそれでいい。

結局君は最後までそのことに気づかないのかもしれない。

僕は君の寂しさを埋めるためにいたのではなく、
互いに高めあうためにいたはずなのに。
残念です。
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たった一人で

2005年10月03日 | その他
君と別れる時がくるなんて、
思いもしなかった。

だけど、それは現実になった。

小さな君がより一層小さく見える。
君は文字どおり、
たった一人で生きていかなければならない。

もう僕は君を手助けすることはできない。
気持ちが時間に負けたのだろうか。

今はわからない。

ただ、哀れだと思う。
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