いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

自由ということ

2008年06月23日 | 考える
1ヶ月前、家族が増えた。
先日、妻は実家に帰っていった。

いままで子供の世話で忙しかったのだが、
昨日、今日と暇になってしまった。

久しぶりの自由となるわけだが、
なんというか、開放感は特にない。

飲めなかった酒を飲んで、
誰にも邪魔されることなくだらだらテレビを観る。

しかし、心のどこかで、
「あまり幸せではない」
という気持ちがしている。

一度「家族で時間をすごす」ことに慣れてしまったら、
「自分の時間」、「趣味に没頭」なんてことは
小さなことに思えた。

自分という人間は暇な時間が増えても、
やはり無為に過ごすだけなんだな・・・と
改めて思ってみたり。

不自由の中の自由こそが
本当の自由なのかもしれない。

「ただただ自由」の中に放り出されたら、
自由を感じることもできない。

再来週には戻ってきてまた3人になる。
今の自分にとってはそれが自然なことに思える。

高さは力なり

2008年06月06日 | 考える
出張のため、新幹線に乗る。

ぼんやりと車窓から外を見る。
景色が開け、遠くまで見渡せた瞬間に、
「本当に地球は丸いのか」
と考える。

確かに地球は丸い。そんなの当たり前のことだ。
しかし、もしそのことを知らない場合は
地球が丸いとは信じられず、水平だと思うだろう。

認識力の差を考える。
視点の高さが、認識力の高さを生む。

毎日行う判断の中で、
基本知識がある場合は寄り大きな視点から
判断することも可能だ。

視点が大きくなければ、
先は見えない、全体像が正しく掴めない。

高い認識力とは、
ミクロからマクロまでの視点を持っていることに他ならない。

普通であること

2008年06月04日 | 考える
普通であることは幸せなのか、どうか。

普通ということは幸せな気がするが、
普通であるということは、「その他大勢」と同じであり、
自分自身の特徴がない、ということにもなりかねない。

人と異なる、ということはいろんな意味で
ハンデとなる

たとえば音楽の好みでも、人気のあるアーティストの場合は
すぐにCDが見つかるが、マイナー好きの場合は簡単には見つからない。

朝、通勤電車の中で乗っている人たちを見回してみる。
普通のサラリーマンが多い。

自分はこの人たちとなんら変わらず傍から見たら、
完全に同化しているのだろうな・・・と思う。

そこには普通である、同じであるという安堵感と
自分自身が量産タイプのその他大勢の人間の一人である、
ということに対してのある種の寂しさがある。