いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

めがねが直った/散髪した/チャイルドシートを購入

2008年02月29日 | その他
朝から散髪に行く。
3ヶ月ぶりだろうか・・・
カットを終えて鏡に映ったのは・・・・
お坊ちゃま!
あと3ヶ月はまたこんな髪型。

こないだ壊れたアイメトリクスは
部品があるということですぐに修理できた。
しかし、部品の交換だけで
渋谷と家を往復するのは結構辛かった。
占めて往復と修理時間で2時間半
修理代金は1500円

いったん家に帰って
今度はチャイルドシートを購入しにベビザラスへ。
38000円がさようなら。

そうして夕方はジョギング。

もう眠い・・・
一日で色々と回るのは辛いよ。
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メガネが壊れた

2008年02月26日 | その他
大枚はたいて買った、アイメトリクスが
突然左のヒンジ部からぽっきり。

まだ買って2年なのに。
しかし、きっと素材はABSなのだろうし、
この2年間雨風にもさらされてきたので
仕方ないのだろう。

それを差し引いてもアイメトリクスは
かけ心地のよいメガネだ。

修理しないとなぁ・・・
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ウオッシャータンクの清掃

2008年02月16日 | レガシィ
ウオッシャー液が減っているということで、
200円くらいのウオッシャー液を買ってきて
早速投入。

「あれ?」

なんだかウオッシャータンクの中に
なにやら水に溶かしたティッシュのようなものが
ゆらゆらと浮かんでいる。

うーん、どこからどう見ても、水垢。

どうにかしたいということで、
早速100円ショップで漏斗としょうゆチュルチュルを買う。
車のボンネットを開けて、
満タンまで入ったウオッシャー液を

「チュルチュル・・ミチュル・・・」

と吸ってみたものの、水垢は比重が重いのか上がってこない。
埒があかないので、ウオッシャータンクを取り外し、
接続されていた前後モーターの接続を切り離し、
前後へのウオッシャー液へのパイプを取り外し、
完全に車から取り外して内部をシャバシャバ洗ったのであった。

自分のような素人でも、
ウオッシャータンクの清掃くらいはできるもんだ。

洗った後は再び新しいウオッシャー液を入れておいた。

洗車もしたし、タンクも清掃できたしで、
よかった、よかった。
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それだけで幸せになるわけではない

2008年02月10日 | 考える
3連休だというのに特にやりたいことも無く、
一日をTV見たり、漫画を読んだりして過ごす。

独り身だったころは、彼女も居なくて、
休みのたびにテニス、テニスで駆けずり回っていた。
でも、ふとした時間の隙間では、
一人で居ることと、スポーツばかりをやっていても、
結局何かモノになるわけではないと、
不安になっていた。

今は一人ではなく、
前よりも広い家に、家では待ってくれる人が居る。
以前に比べれば幸せなはずだが、
飛び切り幸せというわけではない。

本当の幸せは、
違うもののような気がしている。

何か目標を持ってそれに近づく。
誰かの役に立つ。
辛く苦しいことをやり遂げる。

そんなことのような気がする。
何の役割もなく、ただただ自由。
自由の中には幸せはない気がする。

ゆるい制限の中で、生きていくことこそ、
幸せな気がする。

何もしなくて良い、という中には
なんだか、幸せが見つからない気がする。
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さよなら、ばあちゃん。

2008年02月09日 | その他
母から朝電話があり、
祖母がなくなったと言われた。

ホスピスにお見舞いに行ったのが、
ついこの前だが、そのときは元気そうだったが、
薬の力だったのだろう。

82年の生涯はどうだったのだろうか?
幸せだったのか、そうでなかったのか、
一生を同じ県、同じ地域で過ごして、
何を思い、何を感じたのだろうか。

世代交代だな、と思う。
祖父も祖母ももう一人も居ない。

両親も年老いてきている。
そして自分も親になろうとしている。

世代は回っている。
自分が年老いて、そして死ぬとき、
自分は何を思うのだろう。

死はすぐ隣に居るのだと、改めて感じる。

それがいつかわからないが、
悔いの無い人生を歩まなければ。

田舎に帰っても、
昔居た人はもう居ない。

時は流れ、二度と戻らない。
次にばあちゃんに会うのはお墓の前だろう。

さよなら、ばあちゃん。
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自分探しの答え

2008年02月08日 | 考える
「自分」を探していた。

今の自分は本当の自分ではないのではないか。
もっと隠された才能があるのではないか。
なにか大きな使命があるのではないか。

ところが、そういうことは一切無くて、
自分はただただ平凡な毎日を送ることしか出来ない、
一般人であった。

毎日を振り返ると、何か特別な努力をしているわけでもなく、
毎日を浪費しているのに、ただただある日何かが
降ってくるのではないかと、いう傲慢な思い。

「自分探し」なんて、する必要は無かった。
探しているのは、「自分」ではなく、
必要とされている「自分」、何か他の人ととのつながりがある「自分」
結局、自分自身がいかに有能であろうとも、それは意味を持たず、
他の人のために「有用」に働いたときにこそ、意味を持つ。

今はそう思う。

結局のところ他の人に「必要されるか、否か」
それだけがその人の価値を決めると思う。

「自分を探すのは自分ではなく、自分を必要とする他人が探すもの」
それが、自分探しの果ての自分自身の答えだった。
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