いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

価値観と命

2004年11月30日 | 考える
テニスの知り合いが
結婚するという話だった。
しかもおめでた婚。

そこまではよくある話だが、
その後の言葉を伝え聞いて絶句した。
「子供を堕ろしたい。1年間テニスが出来なくなるし、
 子供はほしくなかった」

何だ、その理由は・・・
確かに産もうが、産むまいが私には何の関係もないし、
彼女は子供を育てるのに向いてるとは思えない。
だけどなんだか、生まれてくる子供も(生まれるかどうかわかんなけど)
浮かばれないなぁ。
彼女の気持ちもわからないではない。
彼女は30すぎ、彼氏は20代前半で生活力もまだそれほどではない。
彼女も子供好きという訳ではないし、結婚に向いているとも思えない。
仕事も長期に休まなければならないだろうし。

しかし、テニス>命という価値観にだけは
どうも納得がいかない。
テニス選手でもないというのに。

ただ、彼女の価値観の中では、テニスが何よりも大事なのだろう。

なんだか、それを聞いてものすごく寂しい気分になってしまった・・・
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実は不要

2004年11月29日 | 考える
昨日から考え続けている。

転職をした先輩と飲んだときのこと、
「俺についてどう思うか率直に意見を言って欲しい」
と言われ、
「やりたいことがはっきりしないのに、
 会社が正等に自分を評価していないという理由でやめるのはどうか
 と思うこと」
を率直に述べると反論もせずに
先輩は怒って帰ってしまった。

褒めてほしかったのだろうか。
「転職なんて勇気がありますね」と。

他人の意見を受け止める度量がないのならば
最初から聞かないでほしい。

仕事を3年も一緒にやってきたのだから、
どう思うかぐらい予想付くだろうに。

真実を突くことにより、
知り合いを失ってしまった。

人に気持ちに集中することを訓練していたら、
その人自身が隠しておきたいことにまで、
気付くようになってしまった・・・。

そこで悪いのは言ってしまう自分自身だ。
よくわかっているが、言えないことがフラストレーションになってしまう。

それとともに
中身のない会話を続けることも苦痛になってきている。

きっと後一歩なのだと思う。

すべてを気付きつつ、
指摘せず、受け入れてうまくやっていく。
その能力がほしい。

鈍感と敏感の切り替えスイッチがほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分と向き合うということ

2004年11月28日 | 考える
自分の悪い癖は、
「こういう風に考えているでしょう?」
と他人に言ってしまうことだ。

しかも、悪いことにそれが当たっていることが多い。

図星を指されると、人は激しく抵抗する。
自分自信を見つめていない人ほど、抵抗が激しい。

なぜか、認めていないからだ。
自分のマイナスの行動、思いは否定していたい。
誰だって、自分の悪い点、ずるがしこい点、だめな点は無視したい。
なかったことにしたい。悪いことを考える自分をだめだと感じる。

私は逃げないようにしている。
どうしてそう思うのか、追求する。
人から指摘されれば、それについて考えるし、
むしろ自分の悪い点を指摘されるのはとてもありがたい。
自分では気づかないことが多いし、
人は、悪く思われるのを嫌って率直な意見をなかなか言ってくれないからだ。

自分と向き合うのは勇気のいることだ。
だけど、それを乗り越えればより統合された、
成長した自分になれるというのに。

まぁ、でも大多数の人にとっては、
余計なお世話な訳で・・・
口は災いの元ですねぇ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書きたかったことは・・・

2004年11月28日 | 考える
tokyo24さんの「退くのも勇気。」にトラバしています。。。

私がブログをはじめたきっかけは、「なんとなく」でした。
いつまで続くかわからないが、とりあえずやってみようと思って書きはじめました。

でもきっと心のどこかに、
「自分の気持ちは他の人はどう感じるのか」
ということを知りたいという気持ちもあったように感じます。

ここまで書いてみて、
過去を振り返ってみると・・・
主題というか、何度も書いていることは・・・

「孤独」
「自分自身」

そんなところだと思います・・・

ああ、なんだかあまりに自分の日記にまとまりがなくて、
主題とか、そういうものがないのがなんというか自分らしいところです。

うーん、ガラにもなく自分のBlogを分析しようとしましたが、
やっぱよくわからないですね、自分のことは。

昔の日記読み返すのはしんどいし。
誰か、分析してくださいよ、本当に。
あー、もっとしっかりした人間にならないと。

きっと、だらだらと続いて行くのでしょう。
いつか、書き尽くす日まで。
それがなんだか、自分らしいということのようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反省から

2004年11月27日 | 考える
12歳のころ、これまでの人生をふりかえり、
自分の生き方を反省した。

親から育ててもらったけれども、
それを当たり前のこととし、
恩を返さなかった自分。
好き放題に生きてきた自分。
少しのことでかんしゃくを起こしては、周囲に迷惑をかけてきた自分。

考えれば考えるほどそういうだめな自分を思い知った。
そして激しく責めた。

責めに責め、そうして、最後に心の底から
別の想いが、沸き立ってくるのを感じた。

「オレはだめではない」と。
「それを証明するために生きてやる。」

自らのだめだしを打ち破りたい。
自分はもっとすばらしい人間であるはずだ。

あれからもう20年にもなろうとしている。
何かが変わったのだろうか。

今にして思えば、純粋なあのころはが遠い昔のことのように思える。
自分がすばらしいのか、そうでないのか、
そんなことはわからない。
だけど、自分には必要としてくれる人がいる。
自分自身を責めたりせず、正直に受け止める心がある。

「こういう立派な人間になる!」という強い気持ちはなくなって、
自然体でいられる自分になりたい、と今は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休み明け

2004年11月26日 | 考える
祖父がなくなった人がいた。
会社に2日ぶりに出社してきた。

朝礼時に、特に挨拶はなかった。
彼は同僚から集められたお金での電報について、
どう考えているのだろうか。
また、忙しい業務の合間を縫って電報を送るという
雑務をこなした人に対しての感謝の言葉もないのだろうか。

有給明けに、
「昨日はありがとうございました」
と言っている台詞を支社で初めて聞いたとき、
どうして自分の有給なのに、ありがとうございましたと
言うのだろうかと、いやな気分になった。

だけどそれはきっと、
自分がいなかったときに、
自分宛の電話をとってくれた人、伝言メモを残してくれた人、
自分に代わって何らかの業務をしてくれた人に
対してのありがとうございますだったのだ。

休み明けには、
きちんと挨拶したい。
そう思った出来事でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見守られた孤独

2004年11月25日 | 考える
一人ぼっちはいやなもの。
そう、考えていたけれど、
いつのころからか
独りでいる時間を楽しめるようになった。

というか、逆に独りでいる時間を
大切にするようになった。

独りで物思いにふける。
自分自身と対話する。
そういう時間がことのほか楽しい。

だけどそこにはまた逆説があって、
独りだけど、ひとりではない、そういう時間なのだ。

独りということは、確かに物理的には自分しかいないのだが、
精神的にはひとりではない。

母親が近くにいる子供が一人遊びしているような、
「見守られた孤独」。

見守ってくれるひとがいるから、
思い切り独りになれる。

独りになりたいという話をすれば、
暗いだの、友達いないだの言われるが、

一度この孤独の時間を持った者は、
かけがえのない時間として、
それを認識する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボーダーラインはどこですか?

2004年11月24日 | 考える
義援金を払った人は、払ってない人を非難する資格がありますか?
地震の義援金は払ったけれど、台風被害の義援金は払っていない人を
両方とも払った人は非難する資格がありますか?
献血した人は、献血していない人を非難できますか?
赤い羽根をつけた人は、つけていない人を非難する資格がありますか?
募金の金額が多い人は、募金の金額の少ない人を非難する資格がありますか?
日本のことしか考えない人を、
世界の孤児、災害、飢饉を考えている人を非難する資格がありますか?
車に乗ってない人は、車に乗っている人を非難する資格がありますか?
働いている人は、働かない人を非難する資格がありますか?
ボランティアをやっているひとは、やってない人を非難する資格がありますか?
結婚して子育てしている人は、独身の人を非難する資格がありますか?
タバコを吸わない人は、タバコを吸う人を非難する資格がありますか?

どこが、共通のボーダーラインですか。
どこまでやれば、人を非難できる資格があるのですか?
何を持って人を非難できますか?
その、時間ですか、量ですか、金額ですか?

「私はこれだけやったのに、あなたはやっていない
 だから、こうするべきだ」

そんなこと、言われても。
そんなことを互いに言い合って、どうなるのでしょうか。

だれか、教えてください。
ボーダーラインはどこですか。
どうすれば、人を非難する資格が手に入りますか。
そうして非難した先にすばらしい世界がありますか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大いなる逆説

2004年11月23日 | 考える
自分自身は大切だ、自分自身を大切にしなさい。
その教えを守り、
すべて自分のためだけに行動する。

自分の幸せを考えて、生きる。

さぞかし幸せになれるのかと思いきや、
なにかが足りない気がするのだ。
空しくなってゆくのだ。

本当の幸せは、「人のために生きる」ことで得られるような気がする。

そこに大いなる逆説を感じる。

残念ながら、人間は独りでは完結できなくて、
人から感謝されたとき、本当の満足感を得るような気がする。

「自分が役に立っているのだ」ということ。

「論理」ではなく、「つくり」としてそう成り立っている。
そんな気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求めて求めて

2004年11月23日 | その他
ずっと探している。
何かはわからないけれど、
何かを探さなければならないような気がして。

ずっと求めている。
現状には満足できなくて。
思い描いていた未来はこんなはずではなくて。

子供のころに読んだ「みらいのせいかつ」
チューブの中を流線型の移動体が走る。
雲にも届く、超高層ハイテクビル。
海底にも、月にも人が住んでいる。
食べ物を創造する機械。
ボタンを押すだけで話せる、ブローチ型の通信機。

そんなもの、今はどこにもありはしない。

子供のころに書いた「みらいのゆめ」
そんな夢もかなえていなくて。

求めて求めて、求め疲れて、
決して手に入れられないさまざまなものたち。

僕が今この場所にいて、こうして生きていること、
東京にいることなど、想像もしていなかったのに。

僕は田舎に生まれ、田舎で小さな幸せな家族と一生を静かに過ごしたかったのに。

想像していた僕の未来は、どこにもありはしない。
だけど、きっと永遠に満たされないとわかっていても、

それでも、求めて、求めて。

何か使命を持って生まれてきたのだと、
そう信じて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする