いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

意味があったのだ

2004年10月31日 | 考える
2年前の今日、ノートパソコンを買った。
社内の研修を行う部署だったので、
移動時にDVDを見ようと思って買ったのだ。

ところがその後移動が決まり、
使い道がなくなった。
その他のことにも使用できそうだったが、
いかんせんCPUがクルーソーということもあり、
使ってていらいらすることも多かった。

今の生活には不要なので、売りに行った。
売値は75000円。
奇しくも2年前の10月31日21万で買ったノートPCは
2年後の今日、売られていきました・・・

昔の自分ならば、
2年しか使ってないのに売っちゃって、買った意味あったのかなぁ・・・?
とつぶやくところだが、今の自分はそうは思わない。

ノートパソコンというものがデスクトップとどこが違うのか、
モバイルとは何か、などいろいろなことを学んだ気がする。
それは実際に購入して使用してみないとわからないことだった。

何事も経験しないとわからない。
頭で考えるのではなく、実行してみること。
データとリアルは違う。

無駄なことも、無駄であったと後で判断できる。
昔はそれさえも許せなかった。

完璧を求めていた。
自分自身が完璧ではないというのに。
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つりあいが取れなくて

2004年10月30日 | その他
君の気持ちとつりあいが取れなくて。
会いたくないと思うときには会いたいと言われ、
寂しいときには構ってもらえない。

違うことを考えなければいけないときに
気持ちを聴かれても答えられないし。

すれ違いが多くなっていく。

気持ちの波はコントロールできないけど、
シンクロさせることはできるような気がしていた。

だけど、違いばかりが目に付くようになってきている。
これは乗り越えられる壁なのかなぁ。

今はわからなくなってきている。
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どうして結婚できないのか

2004年10月29日 | 考える
先日友人33(♂)と飲んでいて、
「どうして結婚できないのか」
ということを聴いてきたので
「それはですね、しっかりしすぎて隙がないからですよ」
と答えた。相手は大いに頷き、
「それは以前にも言われたことがある。一人暮らしが長いと
 なんでも一人でできるようになるからね・・・」

うーん。
確かにそうかもしれない。
普段は強くて、弱音もはかないような人が自分の前(だけ)では
弱音もはくし、甘えてもくる。
というほうが、自分が特別な存在なのだと認識できるから
相手にとってはいいのだろうな。

「結婚していない(できない)人」はよくよく見るとやはり理由があるような気がする。
理由なしでその状態というのはまれだ。

自分はどうだろうか。
きっと理想が高すぎる、それだけのような気がするが
これがなかなか克服できない。
許せないものは許せないのだ。

ああ、結婚はまだまだ先になりそうです。
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コタツ難民

2004年10月28日 | その他
寒い。

最近めっきり寒くなってしまった。
昔使っていたコタツは捨ててしまったので、
新しいのを買いに行った。

ところが、ないのである。
売り場自体が小さいし、
オイルヒーターやら、ホットカーペットやら、
赤外線のヒーターやらで暖房器具コーナーは
群雄割拠の戦国時代を髣髴とさせるような品揃え。

いつの間にやら、コタツはメジャーな存在ではなくなったらしい。
暖房器具も多様化の時代か。

そんなおしゃれなのでなくていいから、
確実に暖めてくれる10年使えそうなコタツないかなぁ。
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重たいオトコ

2004年10月27日 | 考える
自分のことを振り返るに、
なんだかいつもいろんなことを考えてて、
付き合う場合には相手の人が大変だろうなぁ
と思う。

本当は安定していたいのだ。
気持ちはいつもフラットでいたい。

だけど、小さなことで傷ついたり、
いやになったりして、
でもそれを言えなくて押し黙る。
黙っているうちに、どうして相手と自分はこんなに違うのだろうと
悲しくなって、「どうしたの?」と
聞かれるけど、それを説明する気持ちはなくなっている。

相手にしてみたら「訳わからない」ということになる。

どこまで我慢をすればいいのか、
どこまで相手の領域に踏み込んでいいのか。

いつも考えてしまう。

そういうふうに考えていると
疲れてしまって、結果的に会いたくなくなる。

言わなければ
誰にもわかってもらえない。

だけど、言ってしまえばさらに
違いが際立つ。

どっちにしても、気まずくなることに変わりはない。

違いが際立っても、「目指しているものが違う」と
相互に理解しあえたほうが、建設的なのだろうか。
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配慮とは

2004年10月26日 | カウンセラー勉強記
産業カウンセラーの閉校式。
講堂に集まった生徒は90人あまり。
グループは12~13名でごとに
組まれており、順番に名前を呼ばれて、
呼ばれた人はグループ全員が呼ばれるまでその場に立っていくという
形のものだった。

生徒の中には
車椅子の人が2名ほどいた。

順番がまわってきて
名前を呼ばれたとしても、
その人たちは立つことができない。

自分のグループにそのことを指摘した人がいた。
「カウンセラー講座という心を扱う場所であるならば
 もっと配慮があってもよかったのではないのか」と。

私は正直に言ってではどうすべきだったのかということについて
判断できないでいる。

でももし、自分が車椅子で
立てなかったとしても、なんとも思わないだろう。
人生は不公平なものだと知っているから。

逆に、
「車椅子の人たちがいるので
 立たないで手をあげることにしましょう」
というふうな配慮をされることによって余計に
みんなに申し訳なく思う。

この問題は、いまだ自分の中で決着していない。

2名の人たちはどういう想いで、
閉校式を迎えたのだろうか。
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終わりなき連鎖~繋いで繋いで~

2004年10月26日 | 考える
あれはいつのころだろうか、
かつて親に聞いたことがあった。

「育ててもらったし、言葉では言い表せないほどのものをもらってきた。
 この恩をどうやって返せばいいのか」と。

親はこう答えました。
「恩返しは、してもらったその人にだけすることではないのだよ。
 自分が親に、周囲に、してもらってありがたいと感じたことは、
 自分の子供に、困っている人、周囲の人にしてあげなさい。
 そうすることが本当の恩返しなのだよ」と。

「そういうものかな・・・」
とそのときは思いました。

人の世には終わりなき連鎖があるのかもしれない。
それは憎しみもあれば、思いやり、親切ということもある。
同じ連鎖を繋いでゆくとすれば、
何を繋いでいけばよいのでしょうか。

長い人生の中で、お世話になりながらも返す機会もなく
途切れてしまった恩でさえも、誰かに返していけば、
回りまわってその人に届くかもしれない。

できることならば、たくさんの人にもらった
厚意を繋いで繋いで。
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弱みを嫌う

2004年10月25日 | 考える

他人の弱き部分を見つけては、

攻撃している人がいた。

その人はまだ、気付いてないのだな、と思う。

自分自身が嫌う他人の弱さは、

実は自分自身の弱さであるということを。
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おわりなきはじまり

2004年10月24日 | カウンセラー勉強記
7ヶ月に渡ったカウンセラー養成講座も今日が最終回だった。

きついこともあったが、講座を終えてみて、
自分自身の成長を肌で感じることができる。
出会った人々には感謝したいと思う。

先生方の挨拶の中で、最後の最後に気付かされた言葉があった。
「皆さんは訓練の結果、ありのままの自分を話すことができるようになりました。
 だけど、普通の人はありのままの自分自身を話すということには抵抗があります。
 自己開示は簡単にできることではなく、世の中では「できないこと」のほうが、普通なのです。」

今までの疑問が氷解した瞬間でもあった。

自分自身の思いをそのままに述べる。
そのことはむしろ自分の中では当たり前であった。
しかし、他の人はそうではなかった。

だんだん見えてきた。
自分は自分自身を飾らず、ありのままに出す。
それを世の中は受け止めてはくれなかった。
「また始まったよ・・・」みたいな対応が常であった。
しかし、自己を見つめずに責任は周囲にのみあるのだと
頑固に信じ続けた。
それゆえに孤独となった。
ますます孤独を周囲のせいにした。

だけど、自分自身が無責任に発した言葉が他人を傷つけ、
孤独を際立たせたこともあっただろうし、
時と場所をわきまえず本音で話すということは
話す側にも問題があるのだと
思うようになった。

出会いが縁となって、
学びが生まれ、
自己と向き合い成長する。

講座は終わったが、
命尽きるまでは日々向上を目指していきたい。
そう思った。

「おわりなきはじまり」がまた始まる。
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忙しい時間

2004年10月23日 | 考える
忙しいときほど、用件が重なり
さらに忙しくなる。

暇なときには暇なのになぁ。

産業カウンセラーの試験勉強をしなければならないのに
プライベートも会社も忙しくなってきた。

こういうときこそ、優先準備が必要で、
何が今大事なのかということをいつも考えなくてはならなくなる。

忙しいときというのは
暇はなくなるが、
「何が大切なのか、何を優先すべきなのか、
 どの時間を大切だと感じているのか」
を感じることができる時間なのかもしれない。
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