最近漫画のドラゴンボールを読み返す機会があり、
読んでいたら唐突に昔の出来事を思い出した。
すごく個人的かつ他の人から見たらくだらないことなんだろうけど。
それは、小学校5年の時だったと思うが、クラスで学級委員を決めることになり、
「だれか立候補か、推薦はいないか」と先生が言ったので、
「どうせ誰も立候補しないのなら、やるかな」と考えた私は立候補したのだけれど、
誰かが手を上げ、O君を推薦したため、立候補した自分と、
推薦されたO君とどちらにするかでクラスで投票が行われた。
(今にして思えば、なんで投票があったのかよくわからないけど、普通は立候補した人じゃないの?)
結果、投票の結果はO君が多数で私は学級委員にはなれなかった。
その時に、「あぁ、自分はクラスのみんなには必要とされていないのだなぁ」と思った。
それを機に何かの「役」に立候補することや、「他の人のために何かしよう」という気持ちが急速になくなった。
学級委員は自分のことだけでなく、他の人を気にかけ、作業もしなければならず子供にとっては面倒で負担だ。
だけど、「人のために尽くすことはよいことだ」と教わっていた私は
やってもいいかと考えたのだけど、私が学級委員になることはクラスのみんなは支持してくれなかったのだ。
今、振り返ると、何とも言えない気持ちになる。
クラスのみんなからNoを突きつけられたような気がして、他人への不信感の元になった出来事だったと思う。
でもまぁ、よくよく考えたら、ただ単に自分勝手かつ被害妄想だっただけで、
この出来事に囚われる必要性は全く感じないけど、当時はショックだったんだろうな。
今では取るに足らない話だけど、
漫画を読むと当時の記憶がよみがえるという話でした。
読んでいたら唐突に昔の出来事を思い出した。
すごく個人的かつ他の人から見たらくだらないことなんだろうけど。
それは、小学校5年の時だったと思うが、クラスで学級委員を決めることになり、
「だれか立候補か、推薦はいないか」と先生が言ったので、
「どうせ誰も立候補しないのなら、やるかな」と考えた私は立候補したのだけれど、
誰かが手を上げ、O君を推薦したため、立候補した自分と、
推薦されたO君とどちらにするかでクラスで投票が行われた。
(今にして思えば、なんで投票があったのかよくわからないけど、普通は立候補した人じゃないの?)
結果、投票の結果はO君が多数で私は学級委員にはなれなかった。
その時に、「あぁ、自分はクラスのみんなには必要とされていないのだなぁ」と思った。
それを機に何かの「役」に立候補することや、「他の人のために何かしよう」という気持ちが急速になくなった。
学級委員は自分のことだけでなく、他の人を気にかけ、作業もしなければならず子供にとっては面倒で負担だ。
だけど、「人のために尽くすことはよいことだ」と教わっていた私は
やってもいいかと考えたのだけど、私が学級委員になることはクラスのみんなは支持してくれなかったのだ。
今、振り返ると、何とも言えない気持ちになる。
クラスのみんなからNoを突きつけられたような気がして、他人への不信感の元になった出来事だったと思う。
でもまぁ、よくよく考えたら、ただ単に自分勝手かつ被害妄想だっただけで、
この出来事に囚われる必要性は全く感じないけど、当時はショックだったんだろうな。
今では取るに足らない話だけど、
漫画を読むと当時の記憶がよみがえるという話でした。