いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

器が小さいことを思い知らされ・・・

2006年11月28日 | 考える
先日会社でハブが壊れた。
PC同士をつなぐ、あのハブだ。
そのままでは仕事にならないので、
応急処置でそこら辺に転がっていたハブをくっつけた。

壊れたハブは24ポートでそのタイプに予備はないから、
誰も買わないので、購入の手続きをしたのだが・・・
ハブが壊れて、騒ぐだけ騒いでいた同僚は
新しいハブが来て、緊急対応していたハブから
LANコネクタをつなぎ変えている作業を手伝いもしない。
それどころか、床に這いつくばって作業している横で、
箱を見て「今度のハブはファンレスかぁ。」
みたいなのんきな世間話。

なんだか、みんなのためにと作業しているのがばかばかしく
なってしまった。
そもそもネットワークの管理者でもないし、
購入すれば、その物品の管理者にならなければならない。

ネットワークが復旧したけど、
自分の中の周囲との人的ネットワークは切れた気がした。

ただ、見返りを求めるならしなければいい、
ということもある。
何かをして、見返りがないということで
腹を立てているところは自分も器の小さい人間なのだと、
改めて思い知らされ、そんな自分にもさらに腹がたったという話。
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停滞

2006年11月21日 | 考える
最近、自分自身が停滞していると感じている。
外界は流れているのに、自分自身は同じ場所にとどまろうとしている。

最近、新しいことをしていない。
新しい本も読んでいない。
何か、全体的に停滞している。
そんな気がする。

今までの経験から、こういうときには
飽きるまで停滞するのがいいと思ってはいる。
ただし、長すぎるような気がする。

停滞していたいのに、実際には何かしらの
現実的な処理が発生するので、
実際にはぼんやりもしていられない。

何もしないで一週間ぐらい自堕落に過ごしていたい。
ばねも伸びるには一度縮まないと。
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「普通」ということ

2006年11月15日 | 考える
通勤電車の中で、
時々信じられない人を見る。
最近はもうあんまり気にもしなくなって、
なんとも思わない。

自分の親に見せたらきっと目を疑うのだろうけど。
今日はロールケーキを食べてる人だった。
立っている自分の目の前で
ロールケーキをパクパク。

以前にみかけた「電車の中でひげをそる人」
よりかはまだましだが、
「食べる姿」というものが美しくない姿だと知るのは
いつのことになるだろうか。

昔はテレビドラマでも「食べる姿」というものは
放送されなかったという。
人が食べている姿はあまり美しいものではない。
ということだったらしい。

自分にとっての「普通」は「世間の普通」ではない。
最近よくそういう姿を見る。

個性が大事とか、自分の好きなことをすればいいとか、
そういうもろもろの風潮などが重なって、
新しい「普通」ができあがるのだろうか。

時代は動き、常識も普通も変わってゆく。
それが真実とはいえ、電車の中で堂々とご飯を食べたり、
化粧をしたり、家との区別がなくなってゆくのを見るのは
なんだかなさけない感じがする。

自由には責任が伴うとよく言うが、
確かに自由にするということで
得るものと失うものがあるのだろう。

人は人の中で生きてゆくのに、
最近なんだか自分の中だけで生きている人が
多い気がしている。

そういう自分もきっと他の人から見れば
自己中心でマナーもなっていないということなのだろう。
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認めたくなかったこと

2006年11月08日 | 考える
仕事をバリバリこなして、
通勤中でも本を読んで、
移動中でも音楽を聴いて、
時間は一分一秒も無駄にしないで、
周囲の人には常にやさしく、
仕事もプライベートも充実していて・・・

自分はそういう風に生きていけるのだと、
そう思っていた。

強い人間だと思っていた。

だけど、現実の自分はそんなことはなく、
怠け者だし、時間も無駄にしている。

理想と現実とのギャップがどんどん埋まってゆく。
そうして「自分」というものが
もっと鮮明になってゆく。

そこには「無限の可能性」なんてものはなく、
ただただ、過去自分がしてきたことが積み重なり、
自分がどういう人間なのかが
だんだんと浮き彫りになる。

もう少し行けば、もう、言い訳はできないだろう。
自分自身への評価も下さなければならない年代が
やってくるだろう。

認めたくなかった自分。
それを認めてしまえば、案外楽なものだ。
ただ、そこから先にもまだまだ道がある。
それこそが本当の勝負なのかもしれない。
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自分探しの旅の終わり

2006年11月07日 | 考える
自分探しの旅に出たい。
そう思ったことがあった。
結局、自分探しの旅には出なかった。

物理的に移動したところで、
自分が探している「自分」は見つからないような気がしていた。
結局、本当の自分自身なんて探さなくても、
いま、ここにいる自分が、
本当の自分なのだとなんとなくわかっていたのかもしれない。

自分自身をそのままに受け止めること。
それができたときに自分自身を探す旅は一応終わるのかもしれない。

とはいえ、本当の自分自身は見つかっても、
次には「理想の自分」を探す(もしくはつくる)旅が始まる。

一生かかっても自分自身のことが一番わからないのだろう。
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