いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

覚悟とさわやかさ

2005年03月31日 | 考える
覚悟とさわやかさの間には
何かしらの関係があるような気がしてならない。

言い訳しない人、
前向きな人、
自分が殿であると思っている人、
そういう
覚悟のある人には、現状についてさしたる努力もしないで
不平、不満を言ってばかりの評論家や、批評家にはないものを感じる。

それは、なんというか、いさぎよさというかさわやかさだ。

何でも引き受ければよいのではないし、
自分の境界線はここまで、と線を引けばよいのでもない。
さまざまに変化する状況を捉えて柔軟に対応する。
そういう
覚悟を決めた、迷いのない対応はどこかしら、さわやかさを感じさせる。
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孤独ではない人

2005年03月30日 | 考える
テニスの友人iさんは友達がたくさんいる。
休みの日は、いつも友人と過ごしている。
一人でいるところは余り見たことがない。
顔が広い。趣味が多い。

iさんに対して
そういうイメージを持っていた。

そのiさんが腕が悪くなって、
テニスを休まなければならなくなった。

「ひどいんだよ、みんな飲み会とかにも誘ってくれなくてさ
 腕が悪くなってから、休日は一人で過ごしてばかりだよ」

こないだ、そうぼやいていた。

自分の中ではiさんこそ、孤独ではない人のように見えていた。
だけど、真実は違うのかもしれない。

「隣の芝生は青く見える」

本当に「孤独ではない人」なんて
いないのかもしれない。
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反作用

2005年03月29日 | 考える
テニスコーチと合宿に来ていた人が話していた。

「悪いフォームの場合は現状のプレイスタイルをすべて否定して
 良いフォーム、ラケットの握り方、プレイスタイルに強制すべきだ」

それに対して、コーチはこう答えた。
「その人のフォームが悪いといっても、すべてが悪いわけではない。
 よい部分はそのまま残して、悪い部分だけ改善すればよいと思います」

後でその人は、「あのコーチはコダワリがないのでつまらない」と
いう風なことを言ってたのだが・・・・

そのコーチは、「何々が得意」というような、特徴的なスタイルではなく、
どちらかというと平凡なテニスをする人であるが、
その台詞を聞いて、とある言葉を思い出した。

作用、反作用の法則。

作用が強ければ反作用も強い。
人は安楽な道を選びがちだ。
現状を全否定するのは簡単だ。

「このやり方が間違っていた」
「あの人はダメな人」
「自分自身はなんてダメな人間なんだろう」

だけど、本当にそうだろうか。
完全なものなど、あるわけがない。

その悪い部分だけを取り出して、あたかも全体が悪いように
判断するのはとても危険なことだ。

全否定はすっきりして、
わかりやすくて、痛快だけれども、
全否定はまた、大きな反作用を連れてくる。
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横断歩道にて

2005年03月28日 | 考える
道の反対側に、子供が立っていた。
小学生の2,3年くらいだろうか。

歩行者信号は赤。
車は来ていない。

考え込んでしまう。
僕は赤信号でわたっていいものかと。

勝手なもので、子供には信号を守って欲しい。
だけど、いつかこの子供も赤信号無視を覚えるのだろうけど。

なんてことを考えている間に信号は青に。

子供ができたらきっと赤信号無視はしないだろうな・・・。
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客観視

2005年03月27日 | テニス
こんばんは。
フリースの毛玉がどの程度になれば
そのフリースの寿命なのかがわからないsilent_soulです。

ところで・・・
この土日はテニスの合宿にいます。

そこで、ビデオカメラを持ってきている人がいて、
練習風景をビデオで撮っていました。

夜に自分のサーブやら、ボレーやらを見たのですが、
なんだか意味不明な動作でした。

当然ながら、これまで「テニスをしている自分の姿」というものを
客観的に見るということはありませんでした。
しかし、他人の目線で自分自身を見れるということは
新鮮な感じがしました。

人の癖や、動作の特徴はわかるけれども、
自分自身の動作などはよくわからないものですが、
ビデオってすごいな、などと小学生のような
感想を持ってしまいました。

「意識する」といっても、
なかなか自分の姿はイメージしにくいものですが、
こういうものを使うと、簡単に理解、イメージができるものですね。

「客観視」するということは
何かにつけても大事なことだな・・・
と思いました。
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人に会いに行く

2005年03月26日 | その他
缶入りコーンポタージュスープの
コーンが底のほうに残っていつも悔しい思いをしている
silent_soulです。

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人は一生の間にどれくらいの人と会うのだろうか。
これまでの人生を振り返って考えると、
キーマンがいるような気がする。

あのとき、あの場所でその人に会えたから
今の自分がいる、みたいな。
または、あの人のあの一言が、
多大な影響を与えた、とか。

人と会わないと自分の世界は静かで乱れもなく、
平静に日々は過ぎていくけれども、
それが人生の目的かと問われれば、そういうわけでもないとも思う。

個性的でない人はいない。
確かに基本となるタイプはいくつかあるだろうし、
何かの特徴で分けることも可能だろうが、
どこ出身でどのような生活をしてきたから、
この人はこんな人、とも決め付けられないものがある。

私はどちらかといえば、人と会うよりかは
一人静かに本を読んだり、考え事をしているほうが
好きなのであるが、もう十分考えたような気もしている。

多くの人に会うことによって
何かを感じるとることができるようなそんな気がしている。
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固執

2005年03月25日 | 考える
若いころ(まだ若いですよ!)、自分の考えに固執して、
自分が正しいと感じたことは、
やたらと人に勧めていたし、説得しようとしていた。

以下に自分が正しいかを述べ、
論理的に説明し、
ワッと言い立てた。

だけどいつのころからか、
「正しい」ということの多様性に気付いた。

自分の「正解」は相手の「正解」ではない。
そんな簡単なことに気付いたのだ。

それまでは絶対に正しい唯一の道があり、
そこを行けば幸せ、はみ出れば不幸せ。

そんな狭い考えだった。

今は融通が利くようになったのか、
何を言われても、まぁ、そういう考え方もありだな・・・
と思うようになった。

これは向上か、もしくは堕落か。

どちらかというと、自分に甘く、他人に甘くで
やっぱ堕落だな・・・
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相手が見えない

2005年03月24日 | 考える
話をしていて(というかむしろされていて)、退屈に感じることがある。
自分には興味のない話を微にいり細にいりえんえんとされる。

僕には君がバスの予約をしようがしまいが
そんなことどうでもよいのであって、
もっとかいつまんで筋だけ話してもらえないか。

バスの時間が何時と何時で、
集合時間が何時で、
それに間に合うにはどう行けばよくて、
~さんはどうする、こうする、なんて、
本当にどうでもいいことだ

相手がその話を聴きたがっているかどうか、
態度を見ればわかるだろうに。

そういう話をえんえんとされると、
で、結局どうなのよ?
と聞きたくもなるものだ。

感情の見えない、事実だけの話を延々と
されることほどストレスを感じることはない。
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マニア

2005年03月23日 | その他
皆さんこんばんは。
いつも買うお気に入りの商品が
いつも真っ先に店頭から姿を消すsilent_soulです。

会社でショックを受けたこんな会話・・・
Mは他部署だが同じ機器を担当している人だ。

私「ここのところの数値がはっきりしないんだよね・・・」
M「そうですねぇ、メーカーに聞いたほうがいいかもしれませんね」
私「そうだね、確認しようか?」
M「いやー、そんな細かいところ気づくような『マニア』はいないでしょう」
私「あ、そだね・・・」

そうか、そういう細かいところを気にする私はマニアなのか・・・
確かにこだわりが強かったりするし、
一点集中的に気になったりするけども・・・・

マニア・・・

響きがいやだなぁ。
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タバコが嫌い

2005年03月22日 | 考える
最近分煙が進んでいる。
都内でも路上喫煙禁止地区が増えてきた。

飲食店でも、禁煙と喫煙の区別が以前よりもはっきりしてきた。
そのせいなのか、最近タバコの煙に敏感になった気がする。

タバコを吸っている人は
近づいただけでわかる。

外食していて、なんか臭いなぁ・・・・
と思っていたら、喫煙の席から煙が流れてきていた
こともあった。

仕事場でも吸っている人がいるのだが、
その人は花粉症で、この時期には調整が大変だ。

その人がタバコをすうと、自分は窓を開けるのだが、
窓を開けると、今度はその人が花粉でつらい。

なんちゅーか、うまくやる方法ないかいな?
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