いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

雨のにおい

2008年07月13日 | 考える
外出するついでに
たまには歩こうと思い、

駅と駅の間を歩く。
晴れていた空はだんだん曇ってきて、
遠くで雷も鳴っている。

傘を持っていないが、
雨は降るのだろうか・・・

そう思っていると、
突然の大雨が。
夕立だ。

近くのビルのピロティーに駆け込む。
外を見ていると、大粒の雨が地面を叩く。

焼けたアスファルトで蒸発する雨。
小さいころ、外で遊んでいて、
よく嗅いだにおいだ。

夏が来た。
それを臭ったとき、そう思った。

このごろ、外に出る機会もなく、
クーラーの効いた部屋でガラス越しに
外を見ていることが多かった。

子供のころに感じた、風や雨や太陽と
しばらくご無沙汰している自分がいた。

雨はすぐに止み、ビルから出てまた歩き出した。
立ち止まらずに。
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想像の余地のない過去

2008年07月06日 | 考える
まだ生まれたての赤ちゃんのときから、
写真を撮っている。
もちろん、デジカメで、である。
デジカメのデータは、画素数の差こそあれ、
デジタルデータだから、媒体さえ持てば、
永遠に残る。

しかも、一切色あせることもなく、
鮮明な画像で、だ。

あいまいな記憶よりももっと正確だし、
確かだし、言って聞かせるよりも、
明確だ。

なんて面白くないんだろうか。

大人になったとき、きっと自分が小さかったころのことなど
忘れている。
それを尋ねたとき、鮮明な画像を突きつけられるよりも
人の話から、自分で想像するほうがもっと面白い。

想像の余地などなく、
鮮明な過去、ごまかしのきかない過去。

なんだかなぁ、と思う。
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増える過去

2008年07月06日 | 考える
あまりに暇だから、
CDを聴く。

もう20年も近く前のアルバムだ。
それだけ長くたっているにもかかわらず、
まだ聴けるなんて、すごいことだと思う。

世間的には価値がないのだろうが、
もう20年聴いてきた。

どの曲にも自分の過去が詰まっている。
30を過ぎると、どんどん過去が溜まってくる。

思い出す、ということが多くなる。
あのときにはどうだったのか。
今ならわかることもあるし、
わからなかった時代の自分を懐かしく思い出す。

過去が増えていく。

将来を思い描くことよりも、
過去から何かを取り出して使っていくようになっている
気がする。

30年あまりの人生の中で
残ってきたものと、既に忘れてしまったもの。

永遠性を含むものだけが、
まだ、自分の周りにはある。

この先、40代、50代、60代と、
進んでいったときに、今まわりにあるものが
まだあるのだろうか。

自分の人生もいつか終わる。
そのとき、自分は何を持っているだろうか。
一生持っているものは自分のこころ以外に何があるのだろうか。
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意志の力(結果の素)

2008年07月02日 | 考える
妻が実家に帰ってはや1週間。

ふと我が家のリビングの机を見たら、
うっすらホコリがたまっている。

平日は帰るのが遅いので
掃除している暇もなく、先週末は忙しくて
掃除もできなかった。

ホコリはこうして少しずつ、
しかし確実にたまっていくのだろう。

結果の前には必ず原因がある。
その原因にも原因があり、そのひとつには
「意思」がある。

「部屋をきれいにしたい」という意思、
その結果(方法)としての掃除
さらにその結果としての「きれいになる」ということ。

きれいにしたいという意思を失った今は
自分がそれを持ち、行動しない限りは
少しずつ、ほこりは降り積もってゆき、
快適さが失われる。

それは突然ではなく、少しずつ確実に。

意志の力が結果を生む。
たとえそれがどんな結果であろうとも。
コメント (2)
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