どうやら自分は、
考えていることが顔に出る(!素直な!)人間のようだ。
それゆえにわかりやすいと言われることもある。
その一方で何を考えているのかわからない、
普通にしているのに怒っていそうなどとも言われる。
本当は感情に起伏が激しく、
少しのことで機嫌を損ね、
少しのことで機嫌がよくなる。
また、そういう自分が小さく見えて、
その感情の起伏の激しさを疎ましく思っているので、
いつも感情に振り回されないように、
無表情を装っている。
それがよいことか悪いことかわからないが、
きっと対人関係においては
プラスに働いているものと信じている。
人格というか、気分というか、人柄というか、感情というか
そういうものの「安定性」は思っているよりもきっと重要だ。
いつもどんなことが起きてもあわてることもなく、
怒りもせず、淡々としている人がいる。
そういう人になりたいと思うのだけれども、
自分の心は少しのことで揺れてざわめく。
一人で生きるなら感情に振り回されても
思いのままに生きればそれでよい。
だけど、人とともに生きるには、
やはりその対価として多少の自由を差し出し
窮屈に耐えつつ行くしかないだろう。
考えていることが顔に出る(!素直な!)人間のようだ。
それゆえにわかりやすいと言われることもある。
その一方で何を考えているのかわからない、
普通にしているのに怒っていそうなどとも言われる。
本当は感情に起伏が激しく、
少しのことで機嫌を損ね、
少しのことで機嫌がよくなる。
また、そういう自分が小さく見えて、
その感情の起伏の激しさを疎ましく思っているので、
いつも感情に振り回されないように、
無表情を装っている。
それがよいことか悪いことかわからないが、
きっと対人関係においては
プラスに働いているものと信じている。
人格というか、気分というか、人柄というか、感情というか
そういうものの「安定性」は思っているよりもきっと重要だ。
いつもどんなことが起きてもあわてることもなく、
怒りもせず、淡々としている人がいる。
そういう人になりたいと思うのだけれども、
自分の心は少しのことで揺れてざわめく。
一人で生きるなら感情に振り回されても
思いのままに生きればそれでよい。
だけど、人とともに生きるには、
やはりその対価として多少の自由を差し出し
窮屈に耐えつつ行くしかないだろう。