いつものように子どもたちは園庭で「こおりおに」を楽しんでいました。参加する子も多く、鬼決めにもとても時間がかかっている様子です(以前にブログに書いたことがありましたね)。この「おにきめ」、みんなが足を差し出して、「おにきめ、おにきめ、おにじゃないよ」と言いながら指で足を順番に叩いていって鬼を決めるのですが、最近はそれが足ではなく、みんなが手を出しての鬼決めに変わりました。今日、子どもたちが手で鬼決めをしている様子を見ながら、最初にそれが始まった時のことを思い出しました。「こおりおにするひとぉ~」の呼びかけに応じて子どもたちが集まった時、今年に入ってから車椅子での生活を始めた子が「ぼくもやる」と一緒に加わった時のことでした。これまでは足で「おにきめ」をしていたみんなです。どうするのかな?と見ていると、「てでやればいいんじゃない」との誰かの声が聞こえ、次の瞬間にはもう足に替わってみんなの手が差し出され、これまでもそうであったかのように、「おにきめ~」が始まっていました。以来、その子が加わる時にはいつも、誰も何も言わなくても、当然のようにみんなが手を差し出しての「おにきめ」が定着することになりました。
「共に生きる」という言葉を、まったく自然に、生活の中で実現することができる子どもたちの姿に、私たちはいつも教えられます。そして、「神の国はこのような者たちのものである(マルコ10:14)」の聖書の言葉を思い出すのです。
「共に生きる」という言葉を、まったく自然に、生活の中で実現することができる子どもたちの姿に、私たちはいつも教えられます。そして、「神の国はこのような者たちのものである(マルコ10:14)」の聖書の言葉を思い出すのです。