普段はクラスでお祈りしている子どもたちが、週に一度礼拝堂でみんなで一緒にお祈りをします。そこでいつも聖書のお話をするのですが、私は子どもたちが聖書のお話を、楽しみながらそれぞれの感性で受けとめて聞いてくれたらそれで良いのだと思っています。教訓めいたことをそこから導き出したり、教え込んだりすることは極力避けるようにしています。でも、今日はいつもと少し違ったお話でした。
10月の聖書の言葉に選ばれている箇所のお話の後、カルカッタの街の路上でたくさんの人々が寝ている写真と、マザー・テレサが施設に運び込まれた瀕死の病人の顔近くにかがみ込み、語りかけている写真をみんなに見てもらいながらお話をしました。小さい子どもたちには難しいかなとも思いながら、でもそれ以上に、子どもたちにわかってほしい、また下館幼稚園のお友だちならきっとわかってくれる(感じてくれるという方が正確かもしれませんね)という願いと希望がありました。みんなとても真剣に聴いてくれていましたね。
いつも子どもたちと一緒に、食べ物のないお友だちや、お家のないお友だちなど「せかいじゅうのこまっているおともだち」を想い、神さまが助けてくださるようにと祈っています。みんなはテレサおばあちゃんのようなことはできないけれど、苦しんでいたり、困っていたり、悲しんでいるお友だちのためにお祈りすることは、「小さくされた人々」の中にいるイエスさまのためしていることになるんだよ、ということを知ってもらえたらとても嬉しいな。
10月の聖書の言葉はこんな言葉でした。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25章40節)
みんなとてもよく覚えてくれていましたね。テレサおばあちゃんのこと、そして今月の聖書の言葉を、どうかみんなの心の中に留めておいてください。