老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「自己責任」に関して…

2018年11月04日 20時40分01秒 | その他
 シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放されて無事に帰国をされたことを喜んでいますが、この問題に対して又もや自己責任論がSNSなどで賑やかな話題になっているようです。

◆曰く、“自ら紛争地域に入って拘束されたのだから自己責任”とか、“何があっても自己責任の覚悟で行ってくれ”というような意見が中心で、要するに“国に迷惑をかけた”、“自業自得”という類の非難が集中しているようです。

 この事件で、開放の為に果してどれ位のお金が動いたのかなどは、私たちには知る由もありませんが、上記の非難の多くは、身代金として国からの金が動いたという事が大きな要因にもなっていると思われます。

 それ以上に、和を乱す人を嫌い、それに反したら村八分にするという日本の悪しき伝統の代表的なものでしょう。


◆これに対して、大リーグのカブスに所属するダルビッシュ投手が自身のツイッターで、80万人以上が犠牲になったとされる1994年のルワンダ大虐殺の例をひき、「危険な地域に行って拘束されたなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります」などとつづり、安田さんの解放に「一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かった」と安田さんを擁護するような意見を書き込みましたし、サッカーの元日本代表の本田選手も「色々議論されているけど、とにかく助かって良かったね」と書き込んだりしていて、ツイッターでは盛り上がっているようです。

 何れにせよ、有名なスポーツ選手が政治に関する発言を、堂々と実名でできるような環境になったことにある種の驚きをお覚えますが、やはり世界に出て行く中でチャンと自分の意見を述べることの大事さを感じられた大きな証で、一種の清々しさを感じます。


◆私自身としては、安田さんが過去にもイラクで拘束された経験があることを知り、今回再度の拘束事件に巻き込まれたことに対しては無条件で容認するものではありませんが、ここら辺の本人や周りの方の苦悩は、帰国前後の安田さんの奥さんの対応や、11月2日に行われた本人の記者会見で「自己責任」を認めた上で謝罪や感謝の意を述べられる様子を見て本当に良く判りました。

 無責任な行動で国や国民に多大の損害を与えながらも、反省や謝罪のない政治家や官僚達と比べて、自己の責任と正直に向き合っていると言えるでしょう。


◆所で、最近のこの自己責任という言葉の使われ方には少し違和感を抱いているのは私だけでないと思い、少し経緯などを調べてみました。

 元々、自己責任原則という言葉がありましたが、その意味は金融商品取引において損失を被ったとしても、投資家が自らのリスク判断でその取引を行った限りは、その損失を自ら負担するという原則を言い、投資家の自己責任原則ともいい、英訳はrules of self-responsibility あるいは the principle of self-responsibilityで、契約順守に関する言葉だった様です。

 それが、2004年にイラクにおけるボランティア活動中の日本人3名が反政府勢力に拘束される事件が起こった時から、政府首脳や保守系メディアが政府の方針に反して活動する人達をバッシングするための格好の言葉として「自己責任」という言葉を利用してこき下ろしはじめたように思います。


◆しかし、民主主義社会では政府の発表だけを信じるのではなく、自分の目で真相を掴み、これを世に知らせるジャーナリストの存在が本当に重要なことは、最近の森友問題や各種資料の隠ぺい問題などを見ても明白です。

 また、海外の出来事についても海外の通信社から映像を買ってばかりでは“フィルターを通された真実”を眺めることになり、使命感あふれるジャーナリストや報道カメラマンの存在は社会にとって極めて重要でしょう。

 更に、安田さんのような行動を「自己責任」と言う言葉で抑制するのではなく、人道的価値観に駆り立てられた人たち(だと私は思っています)が、海外の厳しい環境の中でも何とか活動したいと苦労を覚悟で飛びこんでいる事が、国際社会では決して良くない日本のイメージを少しでも高めている点も評価すべきでしょう。


◆更に気がかりなのは、最近ではこの「自己責任」という言葉なり、その言葉が持つイメージが、政治分野だけでなく社会的な弱者を蔑む使われ方をしているのが余りにも目立つことです。
例えば、
・不摂生で糖尿病になった人に、国の金を使うのは如何なものか…
・痴漢されるのは、隙があったからでは…
・LGBTは趣味の問題、生産性がない…等々です。

 また、“国に迷惑をかけた”或いは“自業自得”というのなら、その対象となるべき人はもっと身近に沢山居るでしょう。
・国の将来のあるべき姿などはお構いなしに、目先の選挙に勝つことだけを目的にしている政治家。
・我が身を守るために、国家財政の健全化などを無視して、国会議員の増員や各種のバラマキが政治だと思っている人たち。
・政治家への忖度に重きを置き、公僕と言う意味を忘れてしまった官僚たち。
(まさ)