高い波の時も低い波の時もsecond

日常についてつぶやくブログ

避難所的書き込みふたたび

2021-06-21 09:08:32 | 日記
次回からは息子のことなども書かねば。

コロナ禍は様々な影響を及ぼしているけれど、
諸々の制約や、それに伴う人々への心身への影響(例:活動制限された高齢者の方の認知症が進む、等)も起こったりしていますが、
元々その人の中にあった潜在的なものが
露わになるというのもある気がします。

それまでは、多少の考えの違いはあれ、そこそこつながれていた人同士が、
コロナウイルスに対する向き合い方の違いというのが明確になったため、
もう以前のようにはお付き合いは出来ない、という現実。

反ワクチンやノーマスクと言った所にまで至らなくても、例えばこの時期会食は慎重になるのか、または何とも考えていないのか、
と言った点ですね。

今まで、コロナ以前は良く通っていたカフェは、今後もういかないだろうな、ということが昨日はっきりしました。


緊急事態宣言のある地域で、しかも私の住むところは、それにも関わらず感染者がなかなか下がらない、ちょっと困った状況なのですが、
そんな時でもノーマスクで接客されていました。
これは、私からはちょっともう考えられないことなので。

ワクチンやマスクに忌避があっても、他者に押しつけなかったり、毎回そればかりSNSなどでアピールしたりはしなかったり、間違った要望を行政などにしなければ、まだ関われるかな。
飲食店は不特定多数の人と接する仕事、、なのでこの時期も、というのは私的にはアウトですね。

息子が今、学齢期をもう過ぎたのは或る意味幸いだったのかもと思います。
あの頃、特に小学校期、当時の担任の先生などの対応で揉めたり悩みましたが、
それに加えてコロナ禍に伴うこの地域での学校対応の不確かさがあったりしたら、
なかなか全てを学校対応で言うのはハードルが高かったでしょう。
勿論どれも大事なので言っていきたいと思うけれど、学校と言うところは、あまりにも要望が例えそれが真っ当なものでも重なれば、親を単なる「クレーマー」「モンスターピアレント」としか見なさず聞き入れてもらいにくい体質があります。
今この時期の母親達は発達の心配あるなしに関わらず、本当に日々心配だと思います。
コメント
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