高い波の時も低い波の時もsecond

日常についてつぶやくブログ

年度が替わる

2021-03-30 14:47:28 | 日記
4月から内職の日を少し減らし、家の片付けなどに当てます(できる?)。

そしてちょっと新たな日々が始めること2つ。
なんだけど、、折角離れて会うことの無かった嫌な人にもそれぞれの場で会うこととなりそうなのがやや憂鬱です;
でも以前のような密な関わりはないだろうし持ちたくもない。
振り回されるのは沢山だから。

それとは別に・・・。

もう、過ぎ去った日々であるし、次年度はあんまり書かないようにしたいけど、
子どもの学齢期関連で。
異動発表(教職員)見ました。
学齢期の頃は、時に初期は、この新聞見るのが心臓に悪いほど、スリル&サスペンスな時であって、
「この先生が異動しないで残ってくれますように!」か、
逆に、
「早くあの先生どこか(違う学校)に行ってくれないかな;」
のどちらかを願ったものでした。
残念なことに後者の願いは叶うことが無くて、定年までおられ、他の保護者を苦しませたりしていました。
きっと他校に行ったとしても、同じ事が起こったと思うだろうなぁ・・・。

今は、ただ淡々と眺める感じですが、
卒業校校長先生がまた変わられるんだ、とか、他の主要な先生はまだ見えるんだな~、とか、
→息子が見つけました。お一人異動、そして昇格だ~~。
しかし期限付職員の先生のように新聞には載らないケースもあるのでどうなるんだろう??
中学は、、もうお名前見ても分からない先生方で。

中学以降で、思えば、嫌い、とか、憎い、とまで思い詰めてしまうような先生はいなかったことに今更ながら気がつきました。
中には癖強な先生も見えましたが(苦笑;)。
凹んだりはしたけれど、「ああ、こういう先生なんだなぁ~。」と思うけれど、例えば他のお母ちゃんと悪口に花を咲かせるほどでは無かったですね(笑)。
そうした先生含めお世話になった先生がたのことは、今どうされているのかな、とこの時期思ったりしています。
次年度もそれぞれの場所で、どうかご活躍を。
まぁ、保護者、は子どもの黒子のような存在なので、遠くからそっと思うくらいで丁度良いのだと思います。

コロナ禍は未だ収束はしていないので、
小学校支援級の同窓会来年度も中止との連絡は頂いています。
私は出ないから関係ない、けれど息子がやや落胆していました。
次は自立のためお金使うだろうからもう行けない、、と言っているけど(高校の同窓会なども)、そんなことは無いから。
行って良いし、むしろ行った方が仕事人生には必要だとも思う。

コロナは早く終わりますように。

次年度、不安も少しあるけれど、まま良い時期であって欲しいです。

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遠足気分?

2021-03-25 11:05:17 | 日記
書ける範囲で。

今はまだ良いけど、中年になったら気をつけた方が良いとは思うが。
息子のおやつ好きなところ。

まあ今、限られた楽しみだから仕方ないのだけど、会社帰りなどで買い物に行き、ポテトや唐揚げ、そしてお菓子などを良く買ってきます。
この頃は私の買い物でお菓子を占める割合は減ったのではないかと思う。
代わりに大量の息子が買った中から少々お裾分けを頂く感じ。

現在早朝出勤、お昼ご飯も実は早く(10時くらい)、社内食堂が開いていない時間になったときはカップ麺(自販機)でしのぐそうです。
休憩はその時だけ。
その時食べるお菓子を毎回家で選んでいます。
なんだか遠足気分みたいだね。

以前、主治医の元を訪れたとき、先生から「痩せたね」と言われたそうで。
確かにこの所そうかな・・・。
やはり夕ご飯は食べ甲斐のあるものを頑張って作らないとね。
→いま親として出来るのはこれと何かの時のアドバイスくらい、本当にそれくらい。
会社から連絡帳とかあるわけではなし、懇談とかも勿論無いよ~~~。もし保護者が出る、と言うときはそれなりのことが起こったときではないかと。

会社によっては働く障害者さんをサポートする立場の社員が雇われている所もありますが、
それは大企業とか郵便局とかであったりする所。
(そこでは保護者との連絡もあるようです)
息子の所のように人事の人が一人で全部を取り仕切っている所ではとてもとても・・・。
しかし、業務はハードですが、理解はある方で、何人かお仲間のかたが働いているようです。
とはいえ、働くのは大変だね。

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来た・・・。

2021-03-19 20:19:22 | 日記
前の記事を修正、少しだけ。

良かったことを書き足し、そうでなかったことはややファジーに編集しました。

久々に恨み節も書いたら、罰が当たったのか(多分季節的と思うけれど)
今日は目眩が久々に来てしまいました。

当時の気持ちは変わらないけれど、修めどころ、コントロールはしないと。

良い思い出の方が多かったのだから。

正に「闇ではなく、光を」ですね。

目眩は寝て治そう。
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いかんいかん・・・。

2021-03-18 23:45:45 | 日記
もう過去は見ないで。
未来を見よう。

最初の息子主治医だったHドクターも言っている、
「闇ではなく、光を」
と。

思い出すのは良かった過去だけ。
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卒業いろいろ 2

2021-03-18 20:42:46 | 日記
3月は、様々な卒業の季節・・・。

高校がいち早く行われ、次いで中学、そして小学校、幼保ですね。
コロナ禍の中、今までのようには行かない面もあるけれど、気持ちは変わらず込めて行われると良いですね。

思い出に残っている卒業の日は3つあって、どれが一番、とは本当はランク付けたくはないのですが、
何よりも直球に響いたのが中学校での卒業式でした。
全体の卒業式で、通常クラス(息子はそこに交流としている)での生徒の名前を呼ぶときの担任の先生の声が涙声になったり、
その後の支援級での卒業のお祝いを行ったときも、
1~3年の時の思い出の画像が映像で流れてきたり、上4役の先生がそれぞれそっと見に来て下さったり、
3年生の3人それぞれに先生方が1通づつお手紙を下さったり、
講師として見えていたことのある先生も駆けつけてギター演奏して下さったり、
最後の見送りも含めて、今こう書いているだけでもじ~んとなってしまいます。
その前の「卒業の日」の時があまり良くなかったこともあって、それだけにここまで暖かいお祝いに何とも言えなくて、もの凄く私が泣けてしまったのは今も忘れられず。
その後、丁度中学の近くを歩いていて、卒業の日の見送りの音楽を聴いてでさえ、まるでパブロフの犬ではないですが反射的に涙が出てしまうくらい。

涙、と言えば保育園での事も。
役員をしていて、上の級の子たちの卒園後の謝恩会を手伝ったときは、親は涙でも園児達は和気藹々、だったのに、
息子達の番の時はなんと先生や親は勿論、園児達も別れを惜しんで号泣でした!
息子はご本人さんならではで、今ひとつ共感のチャンネルがその時は合わなかったからか泣かなかったけれど;
でもそれだけ良い先生達で、別れたくなかったんだよね。
この時も去ってしまうのが名残惜しかったのでした。

*中学の時も、息子は泣かなかったけれど(天敵で争っていたG君はもの凄く泣いていたようだけど)、この時はやはり名残惜しさを感じていたようでしたよ。

そして高校。
まだ学校が続くような感覚でいて、卒業なんて信じられなかったけれど来てしまった、という感じ。
でも泣けてしまう、というよりは、確かに涙も出たけどそれよりも、次への旅立ちへ、という感じの方が強い卒業の日でした。
でも、担任の先生、副担任の先生共に涙ぐんでいた、、特に副担任の厳しかった先生(でも変な厳しさではなくて、私は好きだった)が泣きはらしていて驚いたのでした。
この時、式に、当時の支援級担当ではなく、その時は交流級のあの涙声で生徒名を読んでいた先生だったけど、その頃支援級にいた先生が、行けない主任の先生の代わりに来てくださったことも、しかも遠隔地域からは唯一来てくださったことにも感謝です。
教室では、クラスのみんなでお世話になった担任・副担任の先生へサプライズのお手紙と歌が。またそれぞれの生徒達の学校への思いも話してくれました。
一杯同級生や先生達との息子の写真を撮ったなぁ。
高校の卒業は、直球にこそは中学や保育園のようには響かなかったけれど、後からじわじわやってきた、という感じでした。
卒業翌日にすぐ自動車学校入校という(在学時には運転免許は取れない校則だった)忙しい日々が一旦落ち着いた頃に、親の私は「燃え尽き」を起こしました。
(その前に多分は予兆はあったのですが)
当時の教室に似た学校風景のし~んとした映像見て、「今の3年生の教室は、こんな感じなのかな?」と思えて涙が出てきたり。

*以上、心に残った卒業の日々でした。

残念な日となったのは小学校で・・・。
式後の支援級教室でのお祝い場面に上役はどなたも顔を出されず、
見送りも6年生の担任の先生以外はあっさりとその場を離れ、見送ったり名残惜しむ様子がなかったのは、今思っても残念な感じで。
当時は色々揉めた親の私の影響なのかと思ったのですが、6年生全体となるとそうばかりでも無かったのかも知れない・・・。
思うに、小学校の日々での先生方の対応は、肝心要な時にことごとく「はずしてくれる」対応でした・・・。
(学校側として誤ってはくれたときでも、仕方なく言った感が強かったり、以下略すけど、担任、周りの先生の不備は色々!!沢山!!!良い先生との出会いもあっても短い期間だったりで。)
→多少の不備はあったとしても、肝心要なポイントには絶対外さなかった中学の時ともの凄い対照的です!!!!!

卒業の日、、先生方の、その時担当した生徒(と親かな、)への想いが、ダイレクトに現れてしまう日でもあり、そこは或る意味怖くもあります。
暖かく、名残惜しく見送ってくださるのか、、
ああ、やっと終わった、出て行ってくれる、あの親とも会わなくて済む、という思いが露わになってあっさりしたものになってしまうのか。
(できれば、せめてお別れの挨拶はあって欲しかった。その後影でああやっと、と本音を言うのはかまわないから、卒業、学校如何に関わらず、別れ方は結構重要な気がする。)
先生達にとっては繰り返される行事でも、その子と親にとってはそれぞれ一度限りの日。


卒業を向かえるご家庭の皆様へ、
それぞれのその日が、素敵な、心に残る日でありますように。次へのステップに向けて、希望ある日になりますように。
もし、そうでなかった日になったとしても、、
マーヤの地下放送ではないけれど、それが明日への出会いをより美しくするための前触れの日、になることを願っています。


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