2000年のおわら風の盆は9月1日(金)~3日(日)と、土日にかかる
ということもあり富山駅は、胡弓の音色と「越中おわら節」が流れ、おわら一色でした。
八尾出身の父は、とりわけこのお祭りが大好きでした。
駅から、病院に直行すると、母がドクターの説明を一緒に聞いてほしいと待っていました。
息子を、父の元に残し、個室にてドクターの説明を聞きました。
入院して、三日目ということもあり、検査中でまだ原因不明とのこと。そもそも何故入院した
のかというと、おしっこがでなくなった。と、この時初めて聞きました。
夏から、食欲もなく、疲労・倦怠感、節々の痺れに痛み・・・元々、我慢強い人でしたが、
我慢できず、自分で運転して受診!即入院です。
この時は、前立腺癌等疑って、検査しているが、わからない。とのこと。
人工透析をしなければ、生死にかかわりますから、手続きするように・・・と。
父は、人工透析によって身障者手帳を持つのを嫌がり、10月3日の誕生日までの免許証の
書き換えの心配ばかりしていました。
・・・・・・二度と車を運転することは、なかったのですが・・・
その後も9月の週末は、毎週富山に通い、名古屋の弟と共に父を見舞いました。
相変わらず、原因不明?元気?に歩いていた父が、一週ごとに、押し車から
、車いすに・・・・・・・ 実はと、ドクターが病名を告げたのは9月30日。
前日から、緩和治療としてモルヒネを使っている??と知った日。入院から、一か月になろう
という日です。
父は胃癌と肺癌のダブルキャンサーで、肺癌が、脊髄や骨盤、
頭蓋骨まで、転移していて・・・余命半年だという
病院は、5年間も父の肺癌を、見落としていたのです。
今後の相談に、家に戻ろうとした私達と一緒に、家へ帰りたがった父・・・・
明日一番でまた来るから・・・・と私が説得しました。
まさか、翌日の朝に余命一か月に訂正され、午後には一両日と言われるとは、
思いもよりませんでした。連れて帰ればよかったです・・・・
2000年10月1日PM10:25この日は一度も、目覚めることなく父は70歳で他界しました。
もうすぐお誕生日だったのに・・・昨日は、まだ起き上がっていたのに・・・
お見舞いに富山に来ていたはずの私と弟は、そのまま父の葬儀をすることになりました。
二年後に、入院中のガラス屋の叔父を見舞いに富山に行った私は、また同じように急変で、
2002年10月1日の夜大好きだった叔父を、みとることになるのです。
昨日、雪かきの後、喘息が出てしまいそのあとに、書いた下書き?今読み返してみて、
迷いましたが・・・・投稿しました。
この数日主人にちょっとした異変がでています。糖尿病のような気がすると本人はいっていますが、、、。
ちょっとした体からのサイン、気をつけなくてはと思いました。
義父のガンももう体中にあります。
今回した放射線治療で咽頭ガンの腫瘍は小さくなったようですが、体が このところ弱ってきて、、、。
後悔はしたくないですよね・・・
健康は、本当に財産です。
私の喘息は、運動誘発からの一過性です。
おとなしくしていれば、おさまります。
なかなかすっきりしないのが、気になりますが
インフルエンザが流行りだした今
ちょっと、怖っくて
マスク常備の半引き籠りです(笑)
してきたんですね
お父様はまだお若かったのに
辛かったでしょうね
私の父は今病院で管につながれ
生きているといえるのか・・
できることはお見舞いにいって
顔をみるだけですが
それでも生きていて!と願います
やはり、病院通いなんですね・・・
お母様・・・大丈夫ですか?
グラスオニオンさんも気をつけてくださいね
インフルエンザタミフルの効かないのやら、耐性のある強烈なのが、流行っているみたいです。
奇しくも10月1日に重なるようなことがあるんですね。
私も昨年5月に胆のう炎疑いということで即入院させられましたが、最近胆のう癌疑いだったことを医者に聞きました。病魔の正体はなかなか突き止められませんね。
姉は高度な癌治療の後遺症で不自由してますし、義母は髄膜炎治療で入院していて、今家内と病院通いが大変ですし、ひとり住まいの兄の肺炎も気になっています。
本当に健康に勝る幸せってないですね。
春には山菜とり、夏は釣りと
仲がよかったです。
まさか、命日まで同じになるとは思ってもいませんでした。
若い時には、気にもしませんでしたけど
健康でい続けるって、努力も必要ですよね。
小父さんも、ご自愛くださいね