まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

6匹の子供…自然淘汰

2014年06月16日 | 日記
自然淘汰は自然選択とも言う。

自然界で、生態的条件や環境などによりよく適合するものは生存を続ける。
そうでない劣勢のものは自然に滅びていくこと。
転じて、長い間には劣悪なものは滅び、優良なものだけが自然に生き残ること。

「淘汰」は選び分ける…悪いものを捨て、よいものを取ること。
と言う意味があるそうで。

長い年月…進化がおきるための3つの条件とは…
変異:種のメンバーは少しづつ異なる
性質を持っている。
遺伝:親の性質の一部は子に伝わる。
子孫の数:性質の違いは子孫の数に違
いをもたらす。繁殖成功度。

この事は全てチャールズ・ダーウィンの進化論で私が学んだ事の引用だが…。

6匹生まれた燕の子供のうち、2匹が死んでしまった。

巣立ちの時、旨く飛び立てなかったのだ。

2匹ともメスで、庭と玄関の靴箱の下でみつかった。
 

2度めの繁殖はどうなるのか?

卑小な人間である私が心配している。

コメントにもあったように、燕が飛んでいるのは目にしても、巣づくりが出来る家は限られているのが現状。

田舎でも、古きゆかしい…人情味が溢れて厚かましいほどだった…昭和中期時代とは違う。
誰かが家に居た。
無自覚でも燕の番が出来た。
そんな時代は遠い昔。

人間は、あらゆる意味で守りに入り(何から何を守っているのかは解らないのだが)精神は逼塞して余裕がない。
心情は狭く、狭くなっている。
イライラする。
狭量と言うのは、些細な事に神経がとられる事…言い換えればケチという事。
経済的な貧乏とは別に心魂がケチくさく、日常生活を下方にばかり修正していく。
汚れるから、邪魔になるから、玄関戸開けっ放しは防犯上悪いから…

下方修正は負債を抱えた企業の決算報告に似ている。

日本の現在の政治状況が個に反映していく。

燕の死体を埋めながら…その事を思った。

自然にやさしいとか、生態系と共に生きるとか…スローガンには縁がない私だが…

減少している渡り鳥たちが絶滅する事は生物的につらい。

放射能が洩れつづけている福島にも燕は変わりなく(数は減っても)帰巣しているのだろうか。

その事も気になる。

燕達に寄せて、もの思う6月の夕方。



カラ梅雨の予感。























コメント
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