まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

once upon a time…昔、むかし。

2013年06月13日 | 日記
先週から持越して、まだまだ、大掃除が続いている。

本の山、ビデオの山の中に10年日記が見つかった。
片づけの途中で小休止。
休憩と休止の連続の様な気がしないでもない。


10年前の2月から始まっている。

の性情のなかには、つねに人を蔑視するくせがあり傲慢である。
自分の中にある怠惰をいさめる事ができず、蔑視をやめる事こそが自分自身をやめる事…。
もしくは勇気を無くすことだと勘違いしている。
その事こそが人間観察に疎漏をきたす原因であることに気がつかない。

自分そのものに実力がなく、質実がない場合に夢想や妄想がうまれる。
ささいな事で怒りをあらわす者。顔色を変える者の知能は低い。
賢い者は静かである。
人、物事、現象を理解するという事、すなわち己の中の「知」を育てる事。
そのあとは、筆力か?はたまた筆圧か。
文字が判読できない。
怒りであろうと推測する。
とはどうやら私自身の事である。

10年はひと昔。
むかしむかし〈ワンス アポン ナ タイム〉は童話の冒頭部分に使われる言葉。

むかし、むかしあるところに生真面目ながいました。
は、山があれば上り、谷があれば下り、その時々でまっしぐらだったのです。
ある時の事です。の前に山と谷とが同時に現れました…。
もう、まっしぐらが通じません。
そんな感じだったなぁ。記憶に霞がかかる。

今の私もその頃とそれほど変わってはいない。呆けているだけ。
山も谷もどっちもある。どっちもある人生を、なんとか生きて行こうと思ってはいる。

むかし、むかし〈ワンス アポン……〉は「今よりも良かった時代」という意味合いもあるらしい。

確かに今よりも若くて、ずっと痩せていた。







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渡り鳥…今年も渡るか。

2013年06月12日 | 日記
燕の卵が孵りました。

今の所5匹なんだけど、中に小さいヒナが2匹〈弱そう〉育つかなぁ。
心配です。

 
弱い2匹は、なかなかお顔を見せてくれない。

燕の巣は、春の雨で湿った泥と枯草を唾液で固めて作っている。
クリエイターですよ。
感心してしまう。
巣の中に卵の個数が多くなると、後に産卵された卵ほど生育環境が悪くなる。
育ちきれないヒナもいる。


悪そうなヒナに見えてしまうのはなぜ?

この悪そうな??ヒナのエネルギーは私に欲しい物の一つ。

燕はそもそも戦う事の苦手な鳥。
相手を威嚇できる鳴き声も、木の中に巣を作る能力も持ち合わせていない。

でも代わりに神様は、群を抜く飛翔能力と、人間の住まいの近くに巣を作る能力を与えたもうた。

渡りの季節まで生き残れるヒナは一割強である。
激しい生存競争の中、悪〈わる〉でもなんでも生き延びて来年も又帰りますように。

心から希望する。
燕の来ない春は、やはり想像するだに辛い。青い地球の終末を予感させる。

今年は何匹巣立つやら。頑張れ。ファイト。

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こんなに遠くまで…また来てしまった

2013年06月10日 | 日記
6月8日土曜日  珠洲市の知人宅で、「なみさん」のライブがあった。

なみさん〈南正人〉は〈停電の中のコンサート、命の祭りでの逸話、大麻で逮捕‥‥原発小唄発禁…〉数々の武勇伝の持ち主。
泉谷茂、忌野清志朗、尾崎豊‥等のミュージシャンにも影響を与えている。

音楽を愛する者にとって神様でもある。
地元のバンドが2組前出。
日常の歌。輪島川の歌。お米の歌。
ギターも、歌も、中々にいい。
今宵は賑やかに始まりましたね。


おもむろに、「なみさん」登場。
禿げ頭を掻きながら無造作にステージに上がる。
楽譜はない。メモ1枚。
「お米の歌を聴きました。僕は太陽の歌を歌います」
2、30年使い込んだアコースティック・ギターを片手に歌い始めた。
地元の人も、随分と前からのファンも、友人も、主催者もなく、ただ彼の歌が響く。
カントリー〈田舎〉の夜です。
友人の話で恐縮だが、S子さん、O氏は熱狂的な、なみさんファン。
「一回は聴きにいきなよ」何度も言われていたのだが、彼のライブは初めてです。

休憩をはさんで…
こんなに遠くまで…また来てしまった。
やさしく包んでほしいけど…その影もない。
寂しさが…寂しさが…通り過ぎてゆくだけ

高校生の頃、深夜放送で流れてきた、「なみさん」の歌。
声が変わっていない。

ベトナム戦争という時代背景のもと、メッセージソングを歌い始めた頃。
回帰線というアルバムに入っている。

ちょっと目頭が潤む。泣けてきた。

夜明けに、「なみさん」とあれこれ昔話。共通の友人の話。
聡明な頭脳です。

日曜日には、珠洲焼の友人宅で一泊。
「南正人に行けんかった。残念やぁ」
嘆く事しきり。ワインと焼酎〈なんちゅう組み合わせやねん〉を痛飲。
ひさしぶりに呑んだ。
疲れていますけど、心地いいです。
そんな邂逅でした。
























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断捨離…大掃除…蔵書の整理

2013年06月05日 | 日記
書庫に入る。
奥の八畳間が私の本及びビデオの倉庫である。
書庫ってあなた、言うに事かいて、何かっこつけてますの?
この八畳間には、窓がない。
物置部屋と言ったほうがいい。

諸般の事情で長らく積んでおいた本の山、ビデオの山。
頭の中は、整理整頓の四文字。
鼻の中はすぐに埃でいっぱいになる。

もう三日目に入っている。

引っ越しの度に整理した筈だが、思い入れのある本は、後生大事に抱えている。

片づけながら、あら…こんな所にこの本が、あれあれ、懐かしい。手を止めて思い出にふける。
座り込んで読みふける。
もしかすると、本の中にへそくりが隠してあるかも。
遅々として進まない。

部屋の匂い、黴の匂い、思い出の匂い。渾然一体でむせてくる。
「捨てる」 心は「鬼」の一文字。

エンデの「モモ」時間泥棒と盗まれた時間を取り返してくれる女の子のお話。
あぁもったいない。埃を落とす。
「指輪物語」大事、大事、捨てたらあかん。「お江戸瓦版」こんなのいつ読んだんやろ。
フォーサイスの「オデッサ・ファイル」捜してたよぅ。もう一回読みたかったからぁ…。

キングの「ニードフル・シングス」キャイーン。なくしたと思った。ブックオフで買ってしまったやんか。
漱石も蕪村も西洋哲学史も埃と黴にまみれてある。司馬遼太郎も、萩尾望都もちゃんこ鍋状態。

手塚治虫の「アドルフに告ぐ」も出てきた。

収容所群島。もったいない。もう一回読まなければ。

ビデオはテープに黴がついている。
デビッド・リーンもルネ・クレマンも不燃物ゴミ。
デニーロもハンクスも汚れでまだら模様。
ただのダイオキシンの塊。

片づけは明日も又続く。
断捨離は、山の彼方、虹の彼方、遥か彼方に飛んでいく。

ゴミとなりはてたビデオすら捨てられない私であった。

今日の所は。














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風呂上がりの夜空に

2013年06月02日 | 日記
我が家のお風呂のお話。
地震の後、崩れかけた壁そのままで、本格的な修理もできない。

修理を頼むと馬鹿高い。

少しずつ、手を加えたり、手抜きもしたりで、だましだまし。

初めは狭い脱衣場の壁と床。息子が手直し。

       
お次は浴槽。
合歓さんが調達。粗大ごみの中から。
       

暇をみつけては、少しずつ。

キリギリスの合歓さんが、蟻の歩み。

  

李さん一家がよくやった。なんとか完成。

ある物で、出来る様に、工夫する。

当たり前のど真ん中の話ですけど。

今夜はお風呂上りに、格別の夜空を見上げる。
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