まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

善人なおもて往生す…いわんや悪人をや。善人とは…

2013年06月20日 | 日記
親鸞聖人の歎異抄の中の一節である。
「 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、
いかにいわんや善人をや。
この条、一旦そのいわれあるににたれども、
     本願他力の意趣にそむけり。」 

悪人については解る。
わたくし、合歓さんと暮らしている。ネムを悪人と言わずして誰を悪人呼ばわりできる。
と言うほど断固たる自信がある。

それより善人とはなんだろう。
長く疑問であった。
自分以外のひとを思いやる。相手の立場に立って物事を考える。誘惑に負けず正しい行為を行う。
国家を憂える。戦争は回避する。富は分配する。
私自身が正義感の塊、藤原の鎌足〈なんのこっちゃ〉ようするに清く正しく、普通らしく。
しかるに正しいとか、普通とか、そんな言葉自体に引っかかる私もいる。
善人は困るのである。自分の行為を言葉で固める。嘘ですら守ろうする。
善であると信じていることが、または信じたがっていることが、真実の姿〈真実の実相〉を見る事を避けさせる。
その事に気づかない。
悪意は拒む事ができる。
善意は拒めない。

現在の私は、顔も身体もメリメリと壊れているが、〈脳も粗鬆〉でつり合いが取れてきている。
どの世界にも、小さな矛盾や、ずるさや、引け目はある。
同じくらい、誠実さと信念、もしくは勇気だって存在している。
齢を重ねた分だけは出世したのである。
 自慢したい。ぷふぷふぅ。

歎異抄とは親鸞聖人の口伝が、歪んで伝わることを悲しんだ唯円房がそれを嘆きしたためた物。

つまり嘘吐き達に真信の教えを知らしめた物である。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする