夜ノヤッターマンの感想~。
ドロンボー一味の子孫たち、ウォー・ギルティ・プログラムをかけられちゃってるんですな。
でも、実際のヤッターマンを見て、世間で言ってることより自分の先祖を信じることにしたと。
良かった。
……一番信じてもらえるはずの子孫にまで否定されて。
ドロンジョ様の肖像画が泣いてるように見えましたからね。
全ての罪を背負って、ボヤッキーがどんな思いで死んでいったか。
それすらも塗りつぶされ、誰も理解しようとしてなかったんでしょうな。
ボヤッキー「私にドロンジョ様の逆臣になれというのか!!」(CV:津川雅彦)
トンズラー「ヤッターマン側はドロンジョ様の戦争責任を糾弾し、処刑することを狙っているでマンネン」(CV:ケンドーコバヤシ)
きっとこういうドラマがあったはずだ!!(ちょっと待て
東京喰種√Aの感想~。
アニメオリジナルストーリーか!
てっきり原作をなぞるもんだと思ってましたからね。
だから√Aなんですな。
しかし。
こうなってくると、後々の展開が不安半分期待半分ですね。
(アニオリと言われたら、警戒すんのが普通です)
原作だと拉致監禁から脱出した後、アンティークを離れて、心を無くした喰種たちを狙って狩る同種喰いの喰種になるカネキチ君ですけど。
アニメだとアオギリに入るという展開に。
……うーん;
まぁ、現行の連載でもさ。ヒナミちゃんがアオギリ入りしてますしの。
アオギリに入る=人間を食物として見下す連中とつるむ、と同義なのに;
いきなり不安な展開キター;
原作で、復讐は何も生まないと、憎しみの連鎖を一度は拒否したはずのヒナミちゃんが汚れてしまってるわけですから、カネキチ君が汚れてはいけない理由は無いのかもしれませんですけどさ。
……あんた、人間時代の友達がまだ居るよね?
それについてはどう考えてるわけ?;
そこらへんをしっかり語ってもらわないと困りますね。
この展開;
ラブライブ(再)の感想~。
副会長、死なないかな。(おい
ほんまにうちよった、のうみそでたやないか。
西川のりおか。
何あのヘッタクソな似非大阪弁;
関西人には辛すぎる;
主人公、あいかわらず頭あったけぇなと思いましたけど。
副会長の似非関西弁の前では、そんなもの何の問題にもなりませんよ!
寄生獣の感想~。
死んだ子犬をゴミ箱にポイのシーン。
ヒロインにその行為を咎められて、何で文句言われたのか理解できなくて。
ミギーにそれを指摘されて、ゴミ箱から拾い出して子犬を木の根元に埋め直すんですけど。
ここのところ、原作では「最初からこうしていればあの子にも嫌われなかっただろうに」となってるところを「~村野にも嫌われなかっただろうに」に改変されてましたな。
ここ、どうなのかな?
音楽の使い方は非常に良かったんですけどね。
(人としての大切な「慈愛」の感情に歪を抱えてしまったという物悲しさを表現している良い曲でした)
「あの子」と「村野」じゃ意味合いがだいぶ変わりますからの。
あの子、だと、特定個人ではなく大勢居る人間の1人、って意味合いになり。
パラサイト細胞が体内に拡散し、厳密に言って人間では無くなりつつある現状の主人公シンイチの内面を言外で表現しているように思えるんですけど。
村野、だと、ヒロインそのものを指す言葉ですから。
倫理観に欠陥が出てきつつあるけど、人として、他人を求める心に以前と今とに何ら違いは無い、って意味合いに感じられる。
クサイ言い方すれば、彼の心からまだ人を愛する心は残っているよと。だから全然心配ないんだよ、と。
そんな感じ。
「あの子」だと冷たいし。
ヒロインと主人公の関係が危ういものになってるように感じられて、視聴者としてはショックですけどさ。
それを考えれば、確かに「村野」の方が聞き良いですよ?
でも、原作で読み取れるこの場面の状況からすればさ、「あの子」の方がしっくりくると思うんですけどね。
ショック受けた視聴者がここで視聴を切ることを恐れたのか、単に冷たさを嫌っただけなのか;
どっちなのかなぁ?(おそらく、原作どおり冷たくするより、暖かく改変した方が面白い、って脚本家が思っただけだろう、と思いつつ)
ドロンボー一味の子孫たち、ウォー・ギルティ・プログラムをかけられちゃってるんですな。
でも、実際のヤッターマンを見て、世間で言ってることより自分の先祖を信じることにしたと。
良かった。
……一番信じてもらえるはずの子孫にまで否定されて。
ドロンジョ様の肖像画が泣いてるように見えましたからね。
全ての罪を背負って、ボヤッキーがどんな思いで死んでいったか。
それすらも塗りつぶされ、誰も理解しようとしてなかったんでしょうな。
ボヤッキー「私にドロンジョ様の逆臣になれというのか!!」(CV:津川雅彦)
トンズラー「ヤッターマン側はドロンジョ様の戦争責任を糾弾し、処刑することを狙っているでマンネン」(CV:ケンドーコバヤシ)
きっとこういうドラマがあったはずだ!!(ちょっと待て
東京喰種√Aの感想~。
アニメオリジナルストーリーか!
てっきり原作をなぞるもんだと思ってましたからね。
だから√Aなんですな。
しかし。
こうなってくると、後々の展開が不安半分期待半分ですね。
(アニオリと言われたら、警戒すんのが普通です)
原作だと拉致監禁から脱出した後、アンティークを離れて、心を無くした喰種たちを狙って狩る同種喰いの喰種になるカネキチ君ですけど。
アニメだとアオギリに入るという展開に。
……うーん;
まぁ、現行の連載でもさ。ヒナミちゃんがアオギリ入りしてますしの。
アオギリに入る=人間を食物として見下す連中とつるむ、と同義なのに;
いきなり不安な展開キター;
原作で、復讐は何も生まないと、憎しみの連鎖を一度は拒否したはずのヒナミちゃんが汚れてしまってるわけですから、カネキチ君が汚れてはいけない理由は無いのかもしれませんですけどさ。
……あんた、人間時代の友達がまだ居るよね?
それについてはどう考えてるわけ?;
そこらへんをしっかり語ってもらわないと困りますね。
この展開;
ラブライブ(再)の感想~。
副会長、死なないかな。(おい
ほんまにうちよった、のうみそでたやないか。
西川のりおか。
何あのヘッタクソな似非大阪弁;
関西人には辛すぎる;
主人公、あいかわらず頭あったけぇなと思いましたけど。
副会長の似非関西弁の前では、そんなもの何の問題にもなりませんよ!
寄生獣の感想~。
死んだ子犬をゴミ箱にポイのシーン。
ヒロインにその行為を咎められて、何で文句言われたのか理解できなくて。
ミギーにそれを指摘されて、ゴミ箱から拾い出して子犬を木の根元に埋め直すんですけど。
ここのところ、原作では「最初からこうしていればあの子にも嫌われなかっただろうに」となってるところを「~村野にも嫌われなかっただろうに」に改変されてましたな。
ここ、どうなのかな?
音楽の使い方は非常に良かったんですけどね。
(人としての大切な「慈愛」の感情に歪を抱えてしまったという物悲しさを表現している良い曲でした)
「あの子」と「村野」じゃ意味合いがだいぶ変わりますからの。
あの子、だと、特定個人ではなく大勢居る人間の1人、って意味合いになり。
パラサイト細胞が体内に拡散し、厳密に言って人間では無くなりつつある現状の主人公シンイチの内面を言外で表現しているように思えるんですけど。
村野、だと、ヒロインそのものを指す言葉ですから。
倫理観に欠陥が出てきつつあるけど、人として、他人を求める心に以前と今とに何ら違いは無い、って意味合いに感じられる。
クサイ言い方すれば、彼の心からまだ人を愛する心は残っているよと。だから全然心配ないんだよ、と。
そんな感じ。
「あの子」だと冷たいし。
ヒロインと主人公の関係が危ういものになってるように感じられて、視聴者としてはショックですけどさ。
それを考えれば、確かに「村野」の方が聞き良いですよ?
でも、原作で読み取れるこの場面の状況からすればさ、「あの子」の方がしっくりくると思うんですけどね。
ショック受けた視聴者がここで視聴を切ることを恐れたのか、単に冷たさを嫌っただけなのか;
どっちなのかなぁ?(おそらく、原作どおり冷たくするより、暖かく改変した方が面白い、って脚本家が思っただけだろう、と思いつつ)