(1)先日も書きましたが、人間は、ほかの動物のように外的環境に適合・適応しようとするだけではもう生存すら維持できないまでに人口が増大し、生活が複雑に発展してしまいました。
(2)テレビ番組に「ポツンと一軒家」というのがあります。見るとわかるように、あれは、人間社会から隔絶された原始生活や自然生活をしているわけではありません。逆に、住んでいるところが人里離れているところというだけで、生活用品・食品などの生活手段は十分に都市生活を持ち込んでいます。
かつて小野田さんという残留日本兵が終戦を知らずにルバング島で生き延びたということがありました。イギリス人のガリバーのことを知っていますが、その小野田さんも、一部は自力で必要なものを作り、一部は現地調達して可能な最新の技術や生活を企図したわけです。
(3)もっとも、都会の生活者の多くが、出来合いの製品の中から自らの都合に合わせて選択しているだけ〔つまりカネの力だけで生活している〕という場合が多いのに対して、地方や人里離れて生活する人の中には、何らかの機会に習得した技術を持っていて、都会人よりも先を行く水準の人を見ることもあります。
しかし、個々の例はいまおいて、全体としての社会を考えた場合にいえることは、全員が直接・間接にこの経済の中で生産に従事しており、それによって収入を得て、その収入で自らが生産したものを買い取って生活しているということです。
(4)ところが、この社会の内部を見ると、誰かが作ったものを誰かが買ってくれるから成り立っているのに、言い直すと、社会全体としては、生産者(大半は勤労国民)=消費者(大半は勤労国民)ですが、個々に見た場合には、たとえば同じ自動車でも、A社の自動車とB社の自動車というように互いにしのぎを削っています。これは、A社ならA社が、必要とされる自社の車の台数をアンケートでも取って調査してから生産するわけではなく、経験的にこれだけ売れるだろう、こういう性能やデザインのよいのものを作ったから、他社のものより売れるだろう、というような希望的観測で生産販売をおこなうために起こることです。
(5)もちろん、なにがしかの市場調査をやっているはずですが、それでも完全には把握できません。ですから、できるだけ自社の車の製品を知ってもらえるように宣伝・広告に努めます。この経費がバカにはなりません。しかし、そういう努力にもかかわらず、自社製品の市場性が判明するのは、「売れてみて」ということになります。
(6)売れなければ、ムダなものを作ったことになりますが、それはともかく、なぜそうなるのかというと、この社会が、一方では全体としては生産者—消費者として依存しあっているのに、その一方では各人がバラバラに私的所有をして、ばらばらに生産しているから、ということがあります。
(7)残念ながら、こういう矛盾をどうしたらよいのか、一致できるまでの議論を見ていません。これは国内的にも国際的にもそうです。その結果ひずみが大きくなって、とうとうトランプ地震が起きました。
いまトランプ氏にどんな理論があるのかよくわかりませんが、とりあえず「トランプ氏の身勝手」といっておきましょう。そして、必要なことは、ミャンマーの地震同様、被災者の救済に力を注がなければならないということです。
それには、われわれが賢くなって「科学と団結を勝ち取る」ほかに手はありません。

昭島市市街の桜(3月30日):もっと豪華になるはず・・・。
【コレクション 206 戦後社会運動資料】
やはり、運動は大事です。しかし、上が長くなったこと、パンフ自体が大きく内容を説明しきれないことなどのため、内容が概観できる1・4・7㌻を下の載せてほかは割愛します。
このパンフはA4判24㌻です。A3判の用紙6枚を重ねて二つ折りしてできています。
全体は
1㌻ 下に掲載
2㌻ 刊行の言葉 法政大学大原社会問題研究所
3~4㌻ 推薦の言葉 8名
5㌻ 推薦者 84名
6~7㌻ 刊行資料案内 下の掲載
8~23㌻ 各新聞雑誌内容紹介
24㌻ 刊行にあたって 法政大学出版局
1㌻

4㌻

5㌻

以上です。
今日はここで。

多摩川のオタマジャクシ(3月27日)

オタマジャクシ(3月27日)