(1)昨年発生した能登半島地震は、新年早々に日本が地震国であるという認識と備えを求める大災害でした。そして一年がたった今思うのは、阪神淡路の時や東日本大震災の時と同様、やはり今度も復興のスピードは遅いし、政府の指導性がよく見えなかったな、ということです。
(2)この先のことはわかりませんが、この先もきっと元のようにはならず、いくらか復興したように見えながら、住民の要望・希望とはズレたものだったり、肝心な住民が住まなくなっていくところで、絆とか復興というスローガンのリフレーン〔繰り返し〕を聴きながら、結局は自助努力を強いられる、それが関の山だろうと思われて憂鬱です。
(3)少し話が変わりますが、私は電車に乗って出るとき、これは、日常の生活範囲を越えたところへ出かける場合ですが、本を読むことをしませんし、眠ることもまずありません。どうしているかというと、ずっと景色を見ています。
(4)たとえば、東京から新幹線に乗ったとします。東海道方向でも東北方向でもどちらでもよいですが、乗ってから1時間、家が途切れないことがあるでしょうか。これは、見えないという意味でなくて、続いているという意味です。多分ありません。あってもいいのですが、言いたいのは、そういう景色でも飽きずに見続けているということです。
見ていると、いろいろなことが浮かんできて、ますます引き付けられるのです。たとえば、上に書いた連続する家並みを見た時などは、選挙時の開票が浮かんできたことがありました。そして、この一軒一軒の人が投票に行ってその結果があそこに集約されるのか・・・と。
(5)いや、何が言いたいかというと、政府とか政治とか政治家とかいうものは、我々が思っているほど、国民のことを見ていないのではないかということです。
だれかが困っていても、たとえば地震の被災者が困っているのがはっきりしているのに、自分の親兄弟がその当事者ならば、なんとかして救助しようとするだろうに、実際はそうしない。
家が全壊・倒壊して住めなくなっているのなら、使いもしない軍事費を増額するようなことをせずに、その資金で立て直ししたらよいのに、そしてその方が経済的波及効果もあるのに、そうすると「家は私有財産だから」とか言い出す。
(6)だいぶ雑駁になりましたが、電車に乗ったときに、一軒一軒の投票結果が開票結果に現われてくることを考えたことがあると上に書きましたが、実は、いつも思うのは、「一軒一軒が抱える悩みは何だろうか」ということです。
カネがないと悩む。しかし、カネあれば悩みがないわけではない。カネがある悩みもある。
そうして、「震災は、悩める民が政治不審を集中的に醸し出す機会」なのではないかということです。
【コレクション 156 旧幕府】
今日、久しぶりに取り出して拾い読みをしました。実におもしろいです。旧幕府というタイトルですが、おもに幕末のことです。
大きさは、B5判、8㌻です。B5判4枚分の横長の用紙を二つ折りし、さらに二つ折りするとできます。
全体は、
1㌻ 下に掲載
1~5㌻ 解題・推薦 中村彰彦 順逆史観を超えて
樋口雄彦 雑誌「旧幕府」に集った人びと
紀田順一郎 『旧幕府』とその時代
6㌻ 収録記事一覧(抄) 下に掲載
7㌻ 主要執筆者紹介
8㌻ 刊行案内 体裁:A5判 全5巻 計4500㌻
定価:7万円(予価:5万円)
発行:平成15〔2003〕年1月 マツノ書店
1㌻
6㌻
以上です。
今日はここで。