きょうは、またまた日本の無節操ぶりを世界に示した日になりました。
日本は、あの悲惨な戦争を引き起こし、日本国民にも周辺諸国にも多大な犠牲と負担を強いた責任を問われ、ふたたび世界に受け入れてもらう条件として日本はポツダム宣言を受諾して、二度と軍事国家にならない、軍事産業は解体すると約束したはずだ。
ところが、戦後ずっとそれを裏切る経過をたどり、とくに2015年以降はもうとめどなく戦争をできる国家になり、重ねて軍需産業を育成していくべく英・伊と国際協力までし始めた。
しかも、国民の代表が集まる国会で審議をするでもなく、支持率が低迷して、なおかつパーティー券問題で追い込まれた「死に体の政権」が、国民を道づれにするつもりか、戦闘機の輸出までも閣議決定で決めてしまう・・・。
そして、歯止めになるかと期待した「平和の党」は、今度もまた、いくらかブッテ見せて、結局、結局、結局、賛成に廻った。
Y・O君、君は元気か。
上の写真は、わが家の西に見える空だよ。この空を、今は米軍と自衛隊の飛行機やヘリコプターが、ひどいときは、夜9時過ぎの1時間に10回以上も飛び交うこともあるんだよ。もちろん、市には対応を求めて苦情を言ったがね。
でもね、心配なのは、やがてこの空を日本の爆撃機が飛ぶことになるかもしれないんだよ。君はどう思う。
あのころ君は、君の生い立ちのこと、君の身体をめぐるご両親の悩みのこと、思想上のことを語り、ぼくはぼくで、同じように、本当に親密にいろいろなことを語り、よく相談した。
中学・高校時代に、君とはよく語った。ぼくにとって君はよい兄だった。
その君から賀状も来なくなって、もう何十年たつだろうか。
君の居場所も消息ももうわからないけど、ぼくは君に聞きたい。
「まだ、おれの考えを間違っていると思うかい。」
きょうはね、『進退録』昭和19年のところをずっと調べていたんだ。
そしたらね、1日で5人も戦死者が出てきたよ。
そのうちの一人は、山林学校を卒業してめでたく帝室林野局に就職できたと思ったら、即日徴兵されて、それから2年も戦地を連れ回され、結局19年3月戦死だよ。いちども自分を生かすことなく終わった。そう追い込まれた。
たまんないねぇ。君ならわかるだろう?。
歳のせいかなあ。ふと話したいと思うことがある・・・。
「うん、おれはまだ元気だ。でも、去年6月に、4つ下の弟が逝ってなあ・・・」