NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

海と夕焼  ―三島由紀夫の文学と思想―

2020-11-28 | コラム
三島由紀夫氏の没後50年の
節目の年にあたり
三島氏の文学作品を
読んでみました。



海と夕焼という短編は
本人も傑作と自賛するもので
美麗な文体は
やはり
天才文学者という趣であります。



ただ
結論から申しますと
やはり
キリスト教や
奇跡という超自然に対する認識が歪んでおります



作中の
フランス人寺男は

子供十字軍に参加しようとして
聖地に向かいますが
途中で
奴隷商人に騙されて
売り飛ばされます。


そして
高徳な僧侶に出会い
日本に渡来して
寺男となり
美しい海を見るために
聾唖の少年と山に登る
といった話です。




しかし
フランス人アンリに出現するキリスト様、十字軍への従軍を促すそれは
ルルドやファチマの聖母出現譚のようなリアリティに欠けます。



少なくとも
私は
十字軍への従軍を促す
キリスト様や聖母の話は
聖人伝でも読んだことは
ありません。



つまり
一般的なクリスチャンが
海と夕焼を読んで
感動するとは
思えないのです(あまりに荒唐無稽なので魂に響かない)。



私は
戦争経験世代の
本当の哀しみや挫折は
解りません。


しかし
崇高な理想は
現実の厳しさのなかで打ち砕かれることは
解ります。



とはいえ
それは
キリスト教を棄て
寺男になれば充たされるような類いのテーマではなく(その手の欧米人がいますが、あまり信用出来ません)、

宗教全般や人生に
何を期待しているのか
という根本義の問題です。



人々は
奇異な出来事や超人的な業に関心を寄せ
奇跡やしるしを求め
劇的な成功を待望します。


しかし
本物の宗教は
そのような
世俗的な成功を
約束しないです。



三島氏におかれましては
バタイユやサドといった
おかしな近代知識人の謬説を透過することなく
純粋に聖人伝を読了して頂きたかったです。




そうすれば
海と夕焼は
もっと感動的な
深いテーマに至り
ノーベル文学賞が取れたはずです。




おわり





高橋記






三島由紀夫氏の思想と行動。 ―総括の序章―

2020-11-25 | コラム
正直に申しまして
同時代的なリアルタイムで

右翼人として
強烈な印象に残っているのは
野村秋介氏でありました(朝日新聞社にて自決)。



その野村氏は
三島由紀夫氏の思想と行動に多大な影響を受け
新右翼の代表的な人物となった
訳であります。


いわゆる
戦後右翼は
観念右翼となって
単なる政権の走狗となり
日米安保に安住しました。



しかし
本来の右翼
影山正治、葦津珍彦といった
純粋右翼は

日米安保
あるいは
ヤルタポツダム体制(YP体制)の超克を
必然とし

大東亜共栄圏の
軍事的、世俗的解釈に異を唱え

本来の古神道
神社神道への回帰を唱導したのであります。





まず
三島氏の思想と行動を
道徳的に総括します。



カトリックの倫理から言えば
自死は
汝殺すなかれの
神の十戒に反します。



また
三島氏が賛美したところの
ソドミーも
道徳的には誤りであり
聖セバスチャン殉教者への憧憬には
違和感を覚えます。



そして
自衛隊を国軍にするというイメージは
フランス絶対王政時代の
ナショナリズムの傲慢なあり方を
彷彿させる
謬説であります。



楯の会は
やはり
近代国家の軍隊であり
武士団ではありませんでした。



剣道とボディビルは
近代の剛直を象徴し

本来の
日本の剣術や柔術では
ありません。




すなわち
三島氏の文学的な世界観は
リルケ、バタイユ、サドに影響され

カトリックへの
ある種の幻想も
近代思想のフィルターを通した
歪んだ像であります。




それは
カトリックの無免許運転を自認した
福田恒存氏と同様

日本の近代知識人の
限界を露わにするものです。



ここにおいて
三島由紀夫氏の思想と行動の
総括を致しますと

近代日本の
代表的な知識人の陥穽
限界を見たということであります。




但し
その理想と志は
今まさに
受け継がれたのであります。











高橋記(ウルトラコンサバティブ)






国会と議会の内容について。

2020-11-04 | コラム
国会が始まり
様々な論議がなされております。


地方の議会も
様々な論議がなされているようです。



しかし
もはや
危急存亡のときであり
些末なスコラ神学論争を
している場合ではないです。



議員さまにおかれましては
具体的な政策提案の場として
議会を活かして頂きたく存じます。



企画書プレゼンの場として
頂きたい。


いつまでも
だらなことをしている
時間はないです。



議論は
朝まで生テレビのようなものに
任せて下さい。



お願い申し上げます👶




おわり





高橋記(一国民の願い)



現実と政策の齟齬、もしくは大衆とエリートの乖離。

2020-11-01 | コラム
現下の経済社会において
高齢化と少子化で
生産年齢人口が減り

さらに
コロナ禍や災害によって
民の苦悩は
増大しております。




私は
繊細で弱い子ですが

9の年の14日生まれですので(ユダヤ占いでは強運です)
窮すれば開き直り
蛮勇を発揮しますが

普通に真面目な方は
生きずらい世の中であります。



しかし
現下の日本を導くエリート層は
生活の心配が要らない感じですので

民の気持ちが解らないのです。



よって
貧乏で苦悩した人
子育てに苦悩した人
介護で苦悩した人
道を誤ったが改心した人が

天下国家の仕事
学問、行政、政治家、マスメディア等に
勤め、起業すべきです。



そして
行政の皆さんは
いったい日々
何を考え何をしているのか解らないので
各部所で
毎日ブログか何かで報告して下さい。



県の土木センター様の事業計画と予算が
全く解らないです(そもそも新川の県庁舎が要らないです)。



新田知事におかれましては
各部所の報告会を開催し
新年度の事業計画を県民にお知らせ下さい。



何らかの行事イベントの挨拶はもうよいので

足元の森林政策課さんと話をし
森林組合さんに現状を伺い

道路や河川の工事をしておられる土木建設業さまや造園土木さまに
意見を伺うべきであります。



例を挙げるならば
街路樹の高木は伐採するか否かを
今の段階で判断すべきです。


私は
剪定コストが掛かり
視認性が悪いので
全伐すべきと考えます。



何れにしましても
これからは
今まで通りには行きませんので
気合いを入れて下さい。



お願い申し上げます🙇




おわり




高橋記(おうし座不動宮🔥)



清掃業。 -聖なる神事もしくはエッセンシャルワーク-

2020-08-08 | コラム
私は
清掃業の
アルバイトを
10年ぐらいしていました。



その間に
イエローハット創業者の
鍵山秀三郎氏の著作や講演会により

清掃業の意義を再確認し

NPO法人で
清掃業務をすることに
なりました。




私は
清掃業は
聖なる神事を行う役であると思います。

そして
コロナ禍により
顕在化した

エッセンシャルワーク
社会の基幹的業務であると
自認しております。



とは言え
特殊な清掃業務より
日常清掃の社会的評価は
低いです(実感として)。



私は
日常清掃を
女子にかつけてきた(押し付けてきた)

近代男尊女卑社会が
気にくわないです。



清掃や介護や子育てを
女子にかつけてきたからこそ

最近の男子は
物わかりが悪く
凡庸なのだ
と思います。


だら男子の
増殖を 
なんとかせんなんと思いますが

一番良いのは
トイレ清掃を
することだと思います。




おわり




高橋記🐮

具体的政策提案。 -国編-

2020-08-03 | コラム
大阪の財務省官僚の方は
森友案件により
亡くなられ
さぞ
哀しみと慚愧の念であったでしょう。



この世は
不条理で
真面目で善良な人が
犠牲になるものです。



正直
近代右翼思想にかぶれた人々の
犠牲になったということです。




但し
もし自分が
公文書改竄を命じられた場合は
断りますし

それがだめなら
辞めます。




ならぬものは
ならぬからです。



昨今の中央官僚のみなさまは
仕える長上が
しょぼいので
やる気が出ないと思います。



なので
本会と直接に協働事業を為し
具体的政策を実行して参りましょう。




まず
主任ケアマネ制度の
実務要件は
緩和しないと
新規に介護事業に参入出来ないです。




国土交通省のボランティアサポートプログラム(花壇整備·道路草刈り)は
有償とし
地域のNPO 、自治会に
予算を下さい。


草刈り機、石飛散防止具を貸与·寄贈し
実務指導(土建業者)を行い
資格を創設して下さい(もしくは現在の刈払機資格の内容拡張)。





国道の高木街路樹(ケヤキ等)は
すべて特殊伐採して下さい。


大気浄化や景観としては
管理しやすい
低木を
花壇だけに植栽し

中央分離帯は
コンクリートで固めて下さい(もしくは無くす)。


高木の剪定や中央分離帯の草刈り·剪定に
時間、お金、労力をかけるなら


環境林や防災林を
耕作放棄地や公園、河川に
作る方が賢明です。



私が
魚津桃山運動公園より
新川文化ホールで
全国植樹祭をした方が良かったと思いますのは


自然林を伐採して
意味不明な苗木を
里山に植栽するという
旧態依然な全国植樹祭を

電通さまと為すのではなく



YKKさまやイオンさまのような
自然植生度の高い
平野部の森づくりを
すべきだからです。




現在の
里山整備事業の殆どは
必要ないもので

水源保全や大気浄化
生物多様性等を勘案すれば


里山の下草刈りや
除伐などは
必要ないです。


むしろ
道路や河川や公園の
草刈りに
予算と人材を下さい。



山に杉や檜を新たに植えるのを止め
今ある杉や檜を伐採することに
予算や人材を下さい。



未だに
急斜面に杉を植える森林組合があり
その労力が
無駄です。



ごみの処分、焼却は
広域でなく
小学校区に
焼却炉を作り
各自で
ごみを搬入するのは
如何でしょうか。




すべてのことを
専門業者に任せるのではなく
アマチュアでも
きちんと仕事をしていく
有償ボランティアが

介護、福祉、環境
農林水産業等の
発展に繋がると思います。




中国やヨーロッパの内地で
畜産肉を食してきたのは

水産物の流通、加工が
未発達だったからですので


日本は
畜産業を止め
水産業、漁業と

加工、流通業に
絞るべきです。


陸上動物は
ジビエに絞ることです。




今日のコロナ禍により
私の極論と思われたものも
リアルに具現していくでしょう。





日本の予言詩(五島勉氏に捧げる)


『日昇る処
別のもの現れ

菩薩の
南島に住むを識る


瑠璃の光
東の果てより

遍く
天下を照らす』





高橋記

新型コロナによる新たなアイデア。-食医の復権-

2020-05-10 | コラム

日本の和方では

万病一毒説がある。

 

 

甲田光雄先生の

断食少食療法も

体内の毒を浄化することに

主眼がある。

 

 

今般の新型コロナ蔓延により

生命の危険を感じた私は

先月4月から

本格的に少食生活に突入した。

 

 

と同時に

献立作成と食品選択の

研究を再開した。

 

 

すなわち

食医としての栄養士を復活させる

という

原初的な野望に目覚めた。

 

 

まず

炭水化物については

食物繊維を重視し

糖質を減らした。

 

 

よって

胚芽を除いた白米や小麦は

主食の座から外した。

 

 

一方で

大麦(押し・もち麦)、オーツ麦(オートミール)

などの雑穀が

再評価されつつある。

 

 

 

私個人は

貧乏なため

玄米、雑穀、あんこや餅のお菓子は

ハレの日に頂く神穀に位置付けて

普段の献立には入れていない。

 

 

 

普段の主食は

果物(レモンを搾るのではなくレモンを食す)

おから(豆腐や豆乳ではなく)

葉もの(ホウレン草)、根菜(大根、人参)、芋(長芋、里芋)とし

ご飯、パン、麺はなしにした。

 

 

大麦やオートミールも

ケロッグ様等のシリアルを

ハレの日に頂くことにした。

 

 

 

具体的な

平日の献立は

1日2食(昼と夕)となり

 

炭水化物は

果物、野菜、海草(昆布、わかめ、もずく、海苔、寒天)、きのこ(しいたけ、えのき、舞茸)、種実・堅果・豆(ごま、くるみ、栗、ピーナッツ、おから)を案分する。

 

動物性タンパク質は

魚介(あさり、シジミ、えび、しらす等の小魚)に絞り、肉や乳製品はハレの日のものとした(外食)。

 

 

植物性タンパク質は

炭水化物群との部分集合でもある

ごま、くるみ、ピーナッツ、おから、きなこが

優先される。

 

 

ビタミン、ミネラルは

まず

天然塩を多く摂取し

砂糖は黒砂糖とする。

 

 

 

脂質は

魚油、米油、ごま油、椿油などから摂る。

 

 

 

あと

香辛料だが

日本料理は

辛さや苦さが弱すぎて

薬膳力が低い。

 

 

 

もっと

唐辛子や山椒を多用し

ハバネロ的調味料を

創発すべきである。

 

 

 

そして

お茶とお酒を

明確に薬と位置付け

酒は百薬の長であることを

証明せねばならぬ。

 

 

 

煙草も

マヤ文明の神事に使用された

薬草であり

本来

白檀やフランキンセンスの如く

聖なるものであった。

 

 

日本には

フランシスコ会の方が

平戸に薬草として

伝えたのであり

 

パイプやら紙で包んで

吸うものではない。

 

 

すなわち

薬草と酒の扱いが

近代において歪められ

聖なる供物は

人間の堕落に加担したのである。

 

 

言うまでもなく

麻の役割も

煙草と同様に歪められた。

 

 

 

私が

本年4月から始めた

医学的なエビデンスの確定作業は

神農氏のそれに匹敵する

文明論、人類学的な試みでもある。

 

 

 

とはいえ

その営為は

旧来の偏狭なセクト主義や独善

内輪のりと自己完結的な教団化の陥穽に落ち込むつもりはない。

 

 

 

何れにせよ

新型コロナは

人類の浄化に資する毒であり薬であろう。

 

 

 

 

 

 

 

高橋記(栄養士)

 

 


新型コロナによる新たなアイデア。-社会保障と税-

2020-05-10 | コラム

現下の社会状況は

尋常ではない

非常事態である。

 

 

 

しかし

何とかせんにゃ

この国も

江戸幕府のように

潰れてしまう。

 

 

 

そこで

最近浮かんだアイデアを

ブレーンストーミング的に

提示していくことにしたい。

 

 

 

まず

社会保障制度改革である。

 

 

今後

経済に困窮し

生活に困らない階級、階層

産業、事業は

存在しない。

 

 

 

いくら

公務員やセレブ資産家であろうと

国や自治体にお金がなくなり

国民や法人が納税出来なくなれば

 

水道、電気等のインフラ

農林水産物、食料の生産、加工、流通といった

基幹産業がたち行かなくなる。

 

 

銀行残高の0の数を誇っていても

敗戦後のように

農家に行って

さつまいもを貰わねばならなくなる。

 

 

結果的に

いわゆる格差社会は

現実的になくなる。

 

 

 

よって

今般の定額給付金の10万円を

毎月のベーシックインカムとし

 

同時に

公的扶助の生活保護制度を廃止すべきだ。

 

 

 

そして

年金生活者以外の

年金、医療、介護、労働保険を払っている現役世代には

 

今まで払ってきたお金を

本人に返却し

 

上記の社会保険事業から

国は撤退すべきだ。

 

 

 

保険は

個人が自由意思で

民間の

日生さんや

損保さんや

共済に入れば良い。

 

 

 

税制については

消費税(贅沢品)だけにし

 

住民、法人

贈与、固定資産、車両等の税を

全廃すべきだ。

 

 

今般

明らかになったのは

税の不公平な運用であり

現下の政治、行政制度は

莫大な税と社会保険料収入を

善用できない制度であることだ。

 

 

よって

公益事業を

税から寄付による運用に

代えるべきである。

 

 

つまり

資産家の寄付を

財団とし

 

その公益財団が

新たに公共交通、公共放送、郵政事業を

始めたほうが良い。

 

 

 

孫社長や三木谷社長が

新たに公益財団法人を作り

新たな電信電話(全国無料Wi-Fi化)

新しい日本放送協会

郵便、運送業

道路公団的事業を

始めれば良い。

 

 

 

孫社長におかれましては

 

坂本龍馬の志に

立ち返り

 

この国のために

奉公して頂きたく

 

何卒

宜しく

お願い申し上げます。

 

 

 

おわり

 

 

 

高橋記(コラムニスト)

 

 

 


小国寡民の実現。-新型コロナの意義-

2020-04-29 | コラム

今般の新型コロナ蔓延により

社会の本質があらわになり

真に必要な産業、事業が

浮き彫りになってまいりました。

 

 

近代の集団教育

宗教中心の人間らしい教育システムにとってかわったコンドルセ的な啓蒙思想の国家主義

もはや必要がないのであります。

 

 

 

実際

道徳や人格

職業教育

読み書きそろばん(国語と会計)

家庭科(掃除、調理、子育て、介護)といった

現実の必要に

 

現下の学校教育カリキュラムは

全く役立ちません。

 

 

 

現在の学校教育カリキュラムでは

傲慢で

勘違いした人物しか

出てきません。

 

 

今の学校で習う

スポーツは

近代スポーツに過ぎず

未だに武道必須など

必要ありません。

 

 

 

学校で習う生活の基本も

きちんとした清掃のプロ

調理のプロ

会計のプロに習わなければ

時間の無駄です。

 

 

国語の授業も

中原中也の詩を読んで

悦に入っているのではなく

漢籍の素養を学んだ方が良いです。

 

 

音楽や芸術の教科も

的外れで

必要ないです。

 

 

図工も

きちんとした大工さんに

技術を学ばないと

危険でしかないです。

 

 

 

すなわち

今の学校は

社会で役立たないし

純粋基礎研究をする人にとっても

時間の無駄です。

 

 

9月始まりとか

そのような小さい話で

まとまっては

なりません。

 

 

少なくとも

現下の学校カリキュラムは

全て改変せねばなりません。

 

 

今の学校教育は

公民館と家庭教師(親か誰かできる人)

オンザジョブトレーニング(農家や森林組合で草刈りを学ぶ等)

大学、研究所(純粋基礎研究と応用研究)に

分化し

 

今の小中高校、6・3・3・4制は

終了すべきです。

 

 

すなわち

新型コロナにより

実現できるのは

近代の超克であり

 

近代資本主義という

大量生産、大量消費

大量流通、大量交通システムの

終焉です。

 

 

そして

小地域で

生産と消費を行い

 

公民館で

学校、生涯教育を行う

 

小国寡民の理想を

実現する好機であります。

 

 

 

おわり

 

 

 

高橋記(目標:公民館で生涯学習)

 

 

 


記者会見とタウンミーティング。-記者会見不要論-

2020-04-06 | コラム
正直に申しますと
政府や自治体の記者会見なるものが
公益に資しているとは
思われません。



記者の質問が
大概
的外れであり

どうでもよい細かな問いや

つまらないイデオロギーに基づく批判的な問いなど

時間の無駄です。



もしも
政府、自治体が
広報するならば

直接に

国民や地域住民に
語りかければ良いのであります。



その意味で
タウンミーティングや
インターネット(ユーチューブなど)で

直接
民と対話された方が
良いです。




何をしても
批判は出るので

もはや
官房長官の記者会見とか
自治体首長の記者会見は
止めて

タウンミーティング
民との直接対話に

変えて下さい。



インターネットの発展により
旧態依然で無意味な記者会見は
終焉を迎えるべきであります。









高橋記(政府・自治体の広報支援事業)