NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

事業の成功の不能について。

2018-10-30 | コラム
私と本会は
首尾一貫して
事業の成功の不能状態である。


任意団体から
NPO法人になっても

正直
うんまいこといったためしはない。


この行き詰まりに対し
ジョブス氏関係の本を読んだ。


すると
準備を怠るのは
事業の失敗の言い訳を用意している
という名言があった。


図星である。



勉強でもスポーツでも
事業でも仕事でも
ボランティアでも

全力でしないのは

全力で努力しなかったから失敗した
という言い訳が出来るからだ。




介護福祉士受験講座をしたことがあり
受からない人のパターンが

全力で勉強すれば受かるが
忙しくて出来なかったので
落ちたと
自らを納得させているように見えた。



それは
自分も同じで
全国植樹祭の森づくり事業は

準備期間があれば
もっといいがに出来たが

草刈りや剪定で疲れはて
準備出来なかったという言い訳を
作っていた。


それは
銭にもならんプライドの裏返しである。



やはり
自分に甘過ぎたことを
反省し

厳しく事業を総括せねばならぬと
思う次第であります。



おわり



高橋記


宗教にポップな音楽などいらない。

2018-10-28 | コラム

コミック雑誌なんかいらない
という内田裕也氏のロックな映画があった。


最近でいえば
素敵なダイナマイトスキャンダル
のようなノンフィクションをベースにした映画である。


ときに
最近の宗教界は
世俗化し
世間と妥協して
意味不明な動きを見せている。


端的な例は
安易な大衆音楽との迎合である。


まず
カトリックのミサに
フォークは要らない。

グレゴリアン聖歌で充分である。


仏教に
ダンスミュージックもユーロビートも
ポップも要らない。


私の出身大学である
佛教大学を経営する知恩院が
ポップさを売りに
布教活動をしているらしいが

それは
大間違いだ。


民が
宗教に期待するのは
静謐における
魂の改心と聖化である。


お経や声明を
真面目に唱えて頂きたい。


心身を鍛練し
そこから発せられる

無言の教えで

人々を
導くことが
宗教の本懐である。


行基、鑑真
法然上人は

浄土において
今日の三宝の有り様を

嘆いておられるだろう。






高橋記(佛教大学社会学部社会福祉学科卒)



内村博士の御言葉集。

2018-10-28 | コラム
かつて
内村悦三博士が
2017年全国植樹祭 in 魚津桃山運動公園 の招待をうけられるも
来られなくなりました。


私は残念で
「せっかく天皇陛下のご尊顔を拝す好機ながに」
と申しますと

内村悦三博士は
「平成天皇にお会いしたことがありますので
よろしおすわ」
と述べられました。

何らかの機会に
解説の任を担われたようです。



今回
内村博士の二日目の宿泊場所として
氷見温泉郷で民宿を探し(当日)
見つからず
富山市のビジネスホテルとなってしまい

私は
自身のむちゃくちゃな事業展開を詫びました。


すると
内村博士は
中国で宿泊場所を探して見つからなかったため

結局
Deng Xiaopingさん(軍の主席で実質のトップ)の別荘に宿泊された話をされ
場をなごまされた。



今回の内村博士の
来県により
あらためて
大物の器の大きさに圧倒されました。



人生いろいろであります。



高橋記