NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

蜂に刺され、対策を検討しました。

2017-08-30 | コラム
ぼくは
昨日
小型のスズメバチと思われるものに
3か所刺されました。

刺すスピードや筋肉質の体躯
腫れ方や痛み等を勘案すると
やはり
スズメバチのようです。

しかし
落ち着いて
思い出してみますと

刺されたのは
手袋の黒い箇所と
ヘルメットの下の後頭部であります。

つまり
黒色の箇所であり
蜂が刺す色彩です。


今後は
蜂対策として

黒色ではない手袋や作業服、スパイク地下足袋などを
揃え

森林香のような強力な防虫線香を焚くことにしようと
決意を新たに致しました。

おわり

高橋記




蔓植物の繊維としての利活用。

2017-08-29 | コラム
草刈りを実施しておりますと
藤か葛のような蔓植物に苦労します。

あまりも
蔓植物が多いので
何とかならないか思案しておりましたが

やはり繊維・布としての利活用が最適なのではないか
という結論に至りました。

京都の丹後市などでは
藤布を生産されております。

木綿が普及する以前の
北陸では
一般大衆の服は藤布などが一般的であったそうです。

したがって
何らかのテキスタイルにおいて
藤や葛などを利活用する方策を
官民挙げて
研究開発したらよいと思います。


おわり

高橋記(ファッションコーディネイト色彩検定3級、繊維製品品質管理士は挫折)

教育の研究。 -学問と実践について-

2017-08-25 | コラム
私の個人的な話で恐縮ですが
どうしても本音で語らねばならぬ時代が来ました。

私は
勉強で生き残るしかないという野望によって
いわゆる富山県の御三家(高岡、富山、中部高校)の一つである中部に入学しました。

しかし
進学校特有のエリート意識や
冷たい感じになじめませんでした。

また
ナチュラルで圧倒的な学力を有する神童を散見して
学校はさぼることに決定しました。

そして
古文や国語の山下先生の授業だけに参画するといった
生活に堕落しましたが

その間に
漢籍の素養を身に着けたことは
不幸中の幸いでした。

ここで
最も大きい点は
私の人生観が
高校時に決定づけられたことです。


すなわち
知識人の自己欺瞞の発見と
知識、学問に対する不信感であります。


その後
とび職のアルバイトや土方のアルバイト
運送業の仕分けのアルバイトや
介護や清掃業の仕事をしてきました。

そこにあるのは
現場作業員への尊敬と
頭でっかちな知識人、ホワイトカラー労働者への不信感であります。


吉本隆明氏は
魚津のカーバイトで終戦を迎えられた
一介の労働者でありました。


彼の人間力や学問力の根源には
現場作業からくるものがあると思います。


すなわち
学問を究め
天下国家に貢献するにしても
何らかの現場作業や
丁稚奉公が必要だということであります。


リカレント教育や
社会人入学が
重要になってくる理由はそこにあります。


私が
中部高校生やそのOB(神通会)の皆様に言いたいのは

あなた方のミッションは

苦悩する民百姓を導く
北斗七星になることであって

銭にもならないエリート意識に惑溺することではない

ということであります。


陰ながら
石井知事や
森富山市長の活躍を
応援しております。


おわり


高橋(だらぶつ)





教育の研究。 -国語教科書を契機として-

2017-08-24 | コラム
極めて個人的な話であるが

私は
小学校の国語の教科書に載っていた
詩や文学で

文学や和歌が好きになったのではない。

以下
人名が多いため
敬称は略します。

最初は
学校の図書館にあった
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ(最近復活したようです)を読んで
文学に覚醒した。

ショートショートは
星新一、眉村卓、筒井康隆と
お決まりの路線に移行した。


漢文や中国の古典も
三国志演義は柴田錬三郎のもの
福永光司や諸橋轍次へと
自分勝手に進んでいったのである。

和歌への目覚めは
坂東眞砂子の狗神の主人公が
国語の教師で
額田王の歌を諳んじるというところで感動してからで
比較的に後発である(坂東さんの文学は私の後半生を決定づけたものであります)。


ここで
判明するのは

国語や漢文や古文の教科書に載せる
詩や文学は

私が選んだほうが良いということである。


灘中灘高における奇跡の授業は
案外実現可能であり
「銀の匙」にこだわる必要もない。


何れにしましても
「あんにゃのNPOちゃ森づくりしとらんかよ」という
富山県民の不平不満の叫びが聞こえてくるようですが

森づくりの前に
人づくりが大切であり

その中核に
国語と読書があるということを
言いたかったのであります。


おわり


高橋記(中部高校落ちこぼれの富山県高校再編への意見:まず富山と中部を一つにせねばならぬ)