NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

Captain Sensible - Glad It's All Over

2017-07-31 | 音楽
Captain Sensible - Glad It's All Over

まんがとロマン主義の精華。

2017-07-30 | コラム
藤子不二雄氏の傑作
「魔太郎がくる」シリーズにおいて
あまり知られていない事実がある。

魔太郎の近くに引っ越してきた
あべきりひと(きりと)の
母親はあべまりあであり

キリストと
マリアさまのメタファーであったのだ。


富山県民の陰鬱さと
現世への諦念の如き無気力な様は

漫画やアニメ
文学、映画における
異常なまでのロマン主義となって昇華される。


富山県民のロマンチストぶりは
角川文庫や角川映画に
その端緒を見るであろう。


私は
一貫して現場作業員であるが

寧ろますます
その華蓋(四柱推命における学問芸術の星)的要素が強まり
異常なロマンチストに転落してきたのである。

おわり


高橋記

王政復古の小号令

2017-07-30 | コラム
あくまでも
一般論であり
ブレーンストーミングの一部に過ぎない
私説であるが

ここで
本心を述べておきたい。

私は
日本の王政(天皇制)については
推古・持統帝のような
天皇親政を企図している。

少なくとも
明治の絶対王政と
それを明文化した明治憲法

そして
その始原たるドイツ帝国は
目指すべきものではない。

天智・天武帝も素晴らしいものだが
やはり
推古・持統帝の安定感には敵わない。


フランスにおいては
フランス王国の復活と
ガリカニズムの放擲を願う。

イギリスは
イギリス王座への実権の付与と
国教会の終焉と
カトリック世界への回帰を願っている。

ロシアは
ロマノフ王朝の復活である。

中国と朝鮮は
王朝を復活し
マルクス主義を国教とすることを止めるべきである。


ルイ16世
ジェームス2世
ニコライ2世の
名誉回復を希望する。


そして
これらのことを実現するためには
近代の民主主義や議会主義
実定法主義の脱構築が不可欠である。


また
ゴイム牧場として
ユダヤ以外の王座を毀損し
自らの王座を創立せんとする
シオニズム的な
世俗的な救済論の過ちを指摘しておく必要もある。

私は
王座と祭壇の
古の荘厳と崇高を復活し

万古不易な
平和主義を具現したいのである。


高橋記(教皇は太陽、国王は月)


I Girasoli

2017-07-29 | 音楽
I Girasoli

道端に咲く花を愛でる。

2017-07-29 | コラム
路傍に咲く
オレンジ色のユリや
白いユリ

そして
ひまわりがなんとなくよかったです。

おわり


高橋記

主権概念の放擲について。

2017-07-28 | コラム
現在の
実定法は

主権在民であり
国民主権であるとされる。

しかし
主権とは

世俗的な権力と
宗教的な権威の

全てを有する
絶対権力を意味するものである。


つまり
教皇至上権論者が
主権は教皇が有するとしたことの
アンチテーゼとして
国王側が国王主権を唱えたものである。

結論を言えば
ボニファティウス8世も
フィリップ4世も
誤っている。

聖権も俗権も
両方の剣は

国民、国王、教皇のいずれかが
独占してはならぬ。

何となれば
キリスト様の国は
この世ではなく
「チェーザルのものはチェーザルに、神のものは神に」返すことを唱えられたからだ。


教皇は
聖なる事物にのみ関与すべきである。

聖座が
世俗的な事物に関わったことが
逆に
三部会を招集させ
アングリカンとガニカリズムを出来(しゅったい)させ
東ローマ帝国を崩壊へ導いたのである。


つまり
主権という概念は
あってはならぬ尊大な概念であり
放擲すべきなのである。


高橋記(研究テーマ:近代政治システムの超克)

Kajagoogoo - Too Shy • TopPop

2017-07-27 | 音楽
Kajagoogoo - Too Shy • TopPop

富山県民について。

2017-07-26 | コラム
富山県民は
異常なまでに閉鎖的である。

県東部は
とくにそうである。

本会の
ボランティア活動の草創期には

行政窓口に行っても
冷遇されたし
相手にもされなかった時期があった。

はっきり申せば
富山県でNPO的なる活動を
周知させ
普及することは至難の業である。

僕は
大変に忍耐強いので
そういった厳しい環境で
自らを錬磨し
鼓舞してきた。


その根底には
寧ろ
怒りや執念に近い
宿曜占術の胃宿そのものの
情念の発露があったに相違ない。

今回
不二越の会長様が
富山県民は閉鎖的であると述べられたが

正確には
世代間で
著しい相違がある。

最近の
若手の行政の先生方は
物分かりが良いし
接客も素晴らしい。


不二越の会長様は
もう少し
若手の社員と語り合ってみれば
案外富山県民の印象は
がらりと変わるに相違ない。

ただ
富山県から出て
もう一度帰ってくるほうが
やはり
視野と人間が広がってよいと思う。


ぼくも
関西に行って
本当の愛を知ったので
人間が救われたのである。

富山にずっといれば
内向的な人物で一貫し
NPO的なることなど
していないと思うのであります。


おわり

高橋記


日本の岐路。

2017-07-26 | コラム
様々な人々が
理想主義を持ち
頑張っておられる。

私は
真面目な人々が
不遇と不条理な境遇に陥り
理想主義を放擲していく様を散見してきた。


キリストを裏切ったとされる
ユダは
死の直前に
マリア様に会っているようである(神秘家の著書)。

その時
ユダが絶望に陥らず
マリア様に素直に謝っていたら
結果的には
ペテロの否認と同じような感じに収まっていたと思われる。

つまり
希望が
失望や絶望に転じるということは

それ自身が
人間の浅はかな知恵による
誤った推量や誤解に過ぎないということである。

ユダが
裏切った事実は
ペトロがあの方を知らないと言ったり
十字架にキリスト様が付けられたとき逃亡した弟子たちと
あまり変わらない。

むしろ
その後
ユダが失望し
マリア様に素直にならず
絶望して死んでしまったことが問題なのである。



日本は危急存亡である。


しかし
気持ち
メンタル
魂が大切である。

絶望とは
誤った推量である。

希望とは
人間と世界の本質を正確に捉えた認識である。


高橋記(コラムニスト)

Moulin Rouge! Nature Boy!

2017-07-25 | 音楽
Moulin Rouge! Nature Boy!