NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

予定説に抗う。

2017-06-18 | コラム
最近の人々は
ローマ帝国末期の如き
欺瞞的な喧騒に
自らの懊悩を紛らわせている。

しかし
人生は
懊悩と不安と
失望の連続であって

その陰鬱を糊塗する営為は無駄である。


むしろ
陰鬱なさまに惑溺し
自らの孤独と幸薄さを噛締めるべきである。


陰翳礼讃である。

しかし一方では
運命論やペシミズムには
抗わなければならぬ。

ピューリタンの予定説は
誤った神学説である。

人生は
人々の自由意志によってどうにでもなるはずであって

希望の徳が賞賛され
絶望が死に至る病とされる理由がそこにある。


今現在の情況

安部総理を戴いていることから
自らが生き長らえていることに

感謝の念を抱くことから
日本の再生が始まるのである。


ところで
なんだかへんて子(さびしんぼうの原作)や
眉村卓氏の著作は
なぜ本屋にないのでしょうか。

もし絶版ならば
復刻を希望します。


高橋記





最近のテレビについて。

2017-06-09 | コラム
最近のテレビは
現世の苦悩を糊塗隠蔽する欺瞞に満ちている。

すなわち
不自然なまでに
明るさと元気良さと
仲良さを強調して

かえって一般大衆の要望ニーズから乖離している。

現世は
苦悩と不安に満ちており
灰色かブルー
真っ暗闇が
この世の色合いではないか。

その意味では
NHKさまのドキュメント72時間が民の現実である。

スターは芸能で光り輝けばよいのであり

俳句や短歌に点数も優劣もないのだ。

人生の哀歓を詠うのに
5段階評価もなにもない。

俳句や短歌は
すべて自己満足、自己完結である。

何れにせよ
おもしないテレビを放映するなら
スポンサーの会社様に
NPOのスポンサーになっていただきたいのである。



おわり

高橋(好きな時代:天平時代、1980年代)

これからの森づくり。

2017-06-03 | コラム
現時点の
森林植生と遷移について
まず精緻な現地探査が必要である。

すなわち
富山県の植生分布について
一般概念で先生方にお聞きしても
その概念、一般化の方策は
まちまちだからである。

ある方は
低山帯までは
常緑広葉樹林

ある方は
落葉広葉樹林

あるいは
混交林が現実の植生であると述べられた。


特殊個別の植生を
一般化して理解したいのは
人の常である。


富山県は
常緑広葉樹林帯であり
照葉樹林文化圏だと規定すれば
あたかも進歩した文化圏であるような気がするし
わかりやすいからだ。

しかし
ぼくは
洞杉や周辺の植生を
素人ながら観察すると
いろいろな広葉樹や杉などの針葉樹が混生しているような感じであり
新潟県と石川県の境で
多様な植生が見られるのが富山県ではないかと思うのです。


その境界と混沌が
アジールであり
余白であって
聖なる世界への入り口ではないか。


何れにせよ
魚津桃山運動公園も
100年後には
潜在自然植生を顕在化しているでしょう。


おわり


高橋記(研究テーマ:人工林と原生林の植生と遷移を明らかにする事)