日時:1月31日
内容:清掃(公衆トイレ1か所)。
感想:
故西部邁氏が
むかし
ジャーナリズムとアカデミズムの連携という説を唱えておられました。
しかし
戦後のアカデミズムは
革命理論としての陽明学などという(三島)
意味不明なコラムを提出する程度でありました。
ジャーナリズムとしては
三島由紀夫氏以上に面白い論客が日本にいないので
コンテンツに窮して
有名人の個人情報保護違反を頻発するしかなくなった
というのが
私の説です。
要するに
右翼も左翼も
小林秀雄や福田恆存や
吉本隆明や丸山眞男などの
いかにもそれらしい事を言っているようで
単なる西洋かぶれやマルクスかぶれの類の論客しかおらず
その昭和論客なき後の論客が
あまりにしょぼいので
ジャーナリズムは目的を見失い
かっての異端審問官として
個人的罪過を糾弾し
自己批判せよという暗黒世界に堕している
という分析であります。
結局
政治家、行政、芸能人、ジャーナリズムの皆さんは
何か仕事がおもしないがや(社会貢献の実感がない)
と思います。
今
ジャーナルすべきは
ロシアや中東の紛争と平和の方策
能登の震災と復興の視座
被差別部落やアイヌ文化の歴史と融和の視座
障害児者、社会の最底辺の生活者(私)等の
歴史、現状、問題解決策であります。
その前提として
本物のアカデミズムを
再構築すべきであります。
終り
高橋記