NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

6月への意気込み。

2017-05-31 | コラム
時は今
天が下知る
皐月かな(光秀謀反を決意したる歌)
であります。

6月は
魚津城の戦いと
本能寺の変を想起します。

森づくりや地域経済活性化は
これからであり

全国植樹祭は
イントロダクション、プロローグであります。


ところで
昔ぼくは
京都の建勲神社の近くにいました(織田信長公)。

しかし
前までしか行っておらず
今となっては
鎮魂の祈りを捧げるべきであったと思います。

そういったことが
個人的にも国のためにも
大変有意義であることに
最近気づいたのであります。


世俗の営みと
聖なる事物に触れる営為を
並行して成し遂げていくことが
今後の課題であります。

自然徳と超自然徳の調和
恩寵は自然を廃さずむしろ完成させるということでありましょう。



高橋(研究テーマ:藤沢令夫におけるプラトンの意味)


全国植樹祭に参加しました。

2017-05-30 | 報告
第68回全国植樹祭とやまに参加しました。

天皇皇后両陛下のご尊顔を仰ぎ見
渾身の思いを込め
国家泰平を御祈念奉りました。

この日は
小雨が降ったりしましたが
徐々に晴れてきました。


天皇皇后両陛下は

この日拝むことが叶わなかった立山を

翌日

富山県美術館から
拝見になられたとお聞きし
感無量でございました。


石井知事や
稗苗県議会議長
村椿市長といった

お迎えする側の偉い人も
高徳な人々でありました。

まさに
天地人の最適化です。

感動のるつぼであり
神に感謝
であります。



高橋記







第68回全国植樹祭とやまへの意気込み。

2017-05-26 | コラム
全国植樹祭に向けて草刈り等を積極的に行って参りました。

その結果
全ての刈払機が
壊れました。

黄色いリョウビ君一号機は
激しく毀損し
再起不能となり
闇に放擲されました(農協さまに引き取って頂きました)。


おそらく
私のメンテナンスが行き届いていなかったのと
哀しみとも怒りともつかぬ
激しい情念が澎湃と出来(しゅったい)したためでしょう。

それはあたかも
碇シンジ君の繊細と激情に通底するものであり
如何ともしがたいものであります。



何れにしましても
天皇皇后両陛下の竜顔を仰ぎ
この国の安寧を祈る所存であります。


おわり


高橋記


国家再生の視座。

2017-05-26 | コラム
行政の方々とさまざまな事業を協働してきた
私としては

昨今の政治家の
専横と逸脱、人間力と見識の低下に伴う事象について
一家言を有する。


私も
政治家の皆様の政治力を有効に活用し
ロビー活動を積極的に行ってきた。


それは
行政の皆様が
私のようなだらおんじゃを相手にしないためと
天下国家のためである。


しかし
その深層には
学識と見識において
私の右に出るものはいないであろうという自負がある。

少数ではあるが
立派な政治家はおられる。

しかし
学識や国家経綸の策を有しておる方は
私からみると極めて少数である。

よって
私の経綸を少しずつ露わにしていくことにした。

基本的に
西欧と近代
ユダヤ・キリスト教
哲学的な認識論(真理論)と存在論についての
共通認識が
この国に共有されていないことが問題の一つである。



したがって
宗教学や哲学
人文社会学の深化が
まず第一義的に重要である。


ITや人工知能などが
本質的な人類の福祉に寄与するとは思えない。


孫社長の経営手腕はすばらしいが
彼の究極的な未来ビジョンは
あまりにプリミティブな幸福のイメージに帰着している。

それが
昨今の指導者層の知であるなら
世界的には
日本がだらにされているのも肯ける。


大学の経営は大切であり
ユダヤ人やイエズス会は
学校建設に
先ず意を用いてきた。

よって
日本も
少子化に拘らず

教育機関、研究機関

純粋基礎研究、応用研究に

予算を投じるべきである。



学校建設の基準は緩和し
NPO、公益法人が
自由に学校開設出来るようにすべきである。


福祉、教育、医療、学問は
憲法89条の原則によって
今も国営事業である。

よって
NPOへの行政の補助は
薄くなるのである(89条からは微妙に逸脱している)。

公益的な事業を
真に民営化すべきであり
国家主義から脱するべきである。


高橋記

憲法第9条はそのままで良い。

2017-05-24 | コラム
なぜなら
一朝有事の際には
義勇軍を募り
戦うしかないからだ。

それが
ボランティアの本当の語源である。

それは
田畑を自衛する武士の始原でもある。


今後の世界情況は
全く予断を許さない。

したがって
三島の憂国は
現実のものとなるかもしれぬ。

しかし
日本を護るのは
楯の会でも
自衛隊でもなく
全ての国民である。



高橋記


近代社会主義の本質。

2017-05-24 | コラム
今後の日本のために
人文社会学の深化が必要である。

社会的正義を志向する
人々は
なべて社会主義の迷妄に拘泥し
近代の桎梏と闇のなかで救いを求めている。

しかし
厳密には
社会正義の実現は
この世とあの世で成し遂げられるのであり
人間の力、社会の力で成就できるものではない。

いかに日本共産党の日本共和国憲法草案があり
27テーゼと32テーゼ、福本イズムがあっても

あるいは
第三世界革命論や
トロツキズムや革命的祖国敗北主義の
理論闘争を為しても

フェビアンな社会主義やベルンシュタイン的修正主義を唱導しても


社会主義の本質は
近代個人主義アノミー、宗教的個人主義と哲学的個人主義の専横
に抗う
人工的な全体主義に他ならない。

そこには個人や家族や町内会
中小自営業者や宗教団体の活躍する余地がない。


あるのは
国家ないし超国家組織と
公共事業、ニューディールとケインズ
スーパーエリートと奴隷的な労働階級である。


フェビアン協会やマルクスは
労働者階級の救済を思案したのではなく

古代の王朝
すなわち
一般大衆の「隷従の道」を準備したのである。


おわり



高橋研究員(研究テーマ:旧左翼と新左翼の超克)



本多静六の言

2017-05-24 | コラム
真の成功には
速成もなければ裏道もない。

あせらず怠けず
長い道を辛抱強く進んでいくよりほかはない。

本多静六


撰者:高橋