図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

「伊勢と芸能」

2009年05月10日 | 講演会
平成21年度 式年遷宮記念シンポジウム 「伊勢と芸能」

主催 (財)伝統文化活性化国民協会

司会進行 小沢 昭一

芸能鑑賞 上方落語「宮巡り」 桂 文我

       「伊勢音頭」 伊勢音頭保存会

       「伊勢大神楽」 伊勢大神楽講社

シャツなどの大きさにL、M、Sなどがありますが、Mのミディアム(中ぐらい)は、英和辞典の中に「霊媒」という意味も載っているそうです。
霊的なものと私たちをつないでくれるものがミディアム(霊媒)。
複数形はメディアで、人と人の仲立ちをするもの。
聖職者が大衆化したものが芸能で、神様をなぐさめると同時に人をなぐさめてくれます。

昔の東京の小学生の修学旅行は、伊勢参りだったそうです。
江戸時代は旅行大国で、政治・経済が安定していると旅が盛んになり、特に江戸中期は盛んだったとか。
建前・方便として伊勢参りと称して、旅をしました。
なぜ伊勢なのかは、ほぼ日本の中心で、緑が多く、雪が降らないから。

「東の旅」という落語は駅伝形式の長い話で、大阪から見て伊勢は東なので「東の旅」。
その中の「宮巡り」というお伊勢参りの部分の落語を、亡くなった桂枝雀さんの弟子で、米朝さんの孫弟子の桂文我さんが話してくれました。

「伊勢大神楽」は、代表の山本源太夫さんの笛も素晴らしく、獅子舞が人の上に乗り、大きな獅子の花魁道中を演じてくれましたが、見事でした。 

講演会

2009年02月05日 | 講演会
テーマ 「エンターテインメント小説の水平線」

講 師  海堂尊(作家・医師)  ゲスト:筒井康隆(作家・俳優)

会 場  全電通ホール

人気作家さんだけあって会場は満員でした。
先日、講演会に行ったばかりなので、今回はパスしようかと・・・
でも、先日はヤン・イーさんを囲んでのコーナーには参加せず、夫より早く帰宅して夕食も作ったので、今回は夕刻からでしたが、夕食にカレーを作っておいて出かけることにしました。
行って、よかった~。

結論は、「水平線はない」とのこと。
海堂さんは3年前突然小説を書き始めたそうですが、書くことが楽しく、多くの人に読んでもらえるので、楽しんでもらえるものを書きたいし、純粋に書けてるそうです。
本は生きていくことを豊かにしてくれるので、ジャンルを問わず色々な本を沢山読んでほしい。
先日、実家に置いてある筒井さんの文庫本を積み上げてみたら、自分の肩までの高さになったが、それ位ファンなので、自分が楽しむために筒井さんをゲストに招いたようなものとか。
筒井さんから文体の影響を受け、雰囲気は庄司薫だと思っている。
ランキングをあてにしない読書がいい。

海堂さんが20分ほどお話になった後、対談となり、後半はお二人の推薦本の紹介となりました・・・

海堂さん推薦・・・
◎新装版 三国志(全5巻) 吉川英治 (小6で読んだ)
◎麻雀放浪記(全4巻) 阿佐田哲也 (大学時代に読んで麻雀にはまり 1年留年)
◎プリズンホテル(2)秋 浅田次郎
◎ダンシング・ヴァニティ 筒井康隆
◎ジョーカー・ゲーム 柳広司 (筒井さんは、1、2話はバツグンにおもしろかったが、3~5話はテンションが下がりつまらなかったので、2話を最後にした方がよかったと思われたそう。
角川書店、宝島社、東京創元社が協賛の講演会でしたが、筒井さんは販売本に押す落款を角川書店の社員に押させていたと海堂さんが暴露し、そういうことをしてもらっていて角川書店の本を批判していいんですかぁ、などと言われてました。
でも、筒井さん、紳士的な常識人でした)

筒井さん推薦・・・
◎モンテ・クリスト伯(全7巻) アレクサンドル・デュマ (小5、6年で読んだ。児童用に簡略されたものを読まなくてよかった。まさに「神は細部に宿る」を実感)
◎東京島 桐野夏生 (井上ひさしは反対したが、自分が谷崎賞に強力に推した)
◎金魚生活 楊 逸 (1作目は日本語の言い回しが問題とかで芥川賞を受賞できなかったが、3作ともどこも変わらない。中国の言い回しやことわざが出てきたからではないか。これ以上日本語がうまくならないでほしい。
海堂さんは、読みづらかったし、文学に対する考えが違うと思い、個人的に合わなかったとか)
◎チーム・バチスタの栄光 海堂尊 (医学以外も書けると思った。強烈なキャラクターを真ん中に持ってきたのが良かった。これから沢山書いても、これだけは残ると思う)
◎テンペスト(上・下) 池上永一 (一人二役の主人公が魅力的。長いので読むのに数日かかったが、いつの間にか主人公と一緒に自分が歩いていた。
海堂さんは、長さを減量してほしかったそうですが、それでもワクワク感、ビックリ感があったとか)

本日もダラダラ書きまして、失礼しました~。   
コメント (2)

講演会

2009年02月01日 | 講演会
テーマ 「お茶大で学び新聞記者から文筆職人への道」

講 師  芥川賞作家 楊 逸 (ヤン イー) 

会 場  お茶の水女子大学講堂

楊さん、写真で見るよりハツラツとしてステキでした。
ちょっと林真理子さんに似ているような・・・。
同じ会場で卒業式をしたが、初めての袴がきつくて具合が悪くなり、途中退席してしまった。
生まれつきの方向オンチで、道だけでなく、人生にも迷ったとか。
寒い都市ハルピン生まれで、両親は教師だった。
文化大革命の2年前に生まれ、オモチャもない貧しい暮らしで、父親の本を読んでいた。
漢字は象形文字で絵のようなので、字が読めなくても何となく分かった。
5歳半のとき、知識人の再教育政策のため、農村へ。
中国では都市と農村の生活の差がひどく、電気・水道もなかった。
父はひどい近眼で、草の代わりに苗を抜いてしまうので、学齢前で唯一無職の自分と母とで農作業をした。(姉・兄は学校へ行っていたので)
その後、都会へ戻り、シラミの頭をした自分がいじめられることはなかったが、みんな近寄らなかった。
学校の休み時間、自分なりに物語を変えた話をするようになると、周りに子供が集まるようになった。
人生は決められていて、何々になりたいと思っても、現実にはダメな社会だった。
日中国交回復10年後、高校に入る前頃、日本に住む叔父から手紙が届き、カラーで撮った家族写真を見て、すごい衝撃を受け、世の中には別の世界があったと思い、日本に興味を抱いた。
資本主義の外国は、人間が人間を食べる社会だと教わっていたが、日本に行ってみたいと思った。
ある日ビザが下り、大学をやめて留学・・・親に3万円もらい日本に来たが、お金がないことを実感する日々だった。
日本語が話せないので言葉のいらない工場で働くことに・・・昼間は日本語学校、夕方5時から朝8時まで働いた。
工場で聞くラジオで、次第に日本語が分かっていく喜びを感じた。
駐輪場のおじさんにその日覚えた日本語を毎日しゃべっていた。
留学で来日したことを思い出し、お金がないので国立大、女性なので女子大に。
お金がなかったので個人ではどこにも行けなかったが、地理学科のフィールドワークで日本のいろいろな所へ行き、日本を深く知ることができた。
川口市の鉄工所、横浜みなと未来都市計画地、原風景のような田舎・・・来日前は、日本は全部東京のような所と思っていたが、いろいろ見て聞いて違うことが分かった。
留学生向けの日本事情の授業を全部受講・・・そこで芥川の『蜘蛛の糸』など本格的に日本の小説を読んだ。
日本らしい日本は、飛騨高山だと思う。(中国人だが、なつかしさを感じる)
大学3年生頃から詩を書いていたので、書くことのできる仕事をしたかった・・・中国新聞社で働いたが、新聞社に中国からの花嫁が助けを求めて電話してくることがあった。
離婚を考え、子供2人をかかえてできる仕事として中国語教師に。
離婚して子供2人と楽しく暮らしていたが、安定すると意欲がなくなる。
教師で一生終わってもいいと思っていたが、中国でデモが頻発するようになると生徒が減ってきた。
ヒマができ、自由に暮らしていたので会社勤めはダメだと思い、副業として書くことを始めた・・・『ワンちゃん』を書く。

長々と失礼しました~。

新作は『金魚生活』とのこと。
『ワンちゃん』は読みましたが、『時が滲む朝』は予約27番目。
今日予約した『金魚生活』の方が早く読めそうですよ。

音羽お受験殺人事件をモチーフにした『森に眠る魚』(角田光代)を読んだばかりですが、舞台となった近くにすぐ行くことになるなんて・・・。
コメント (4)

講演会

2009年01月09日 | 講演会
テーマ 新選組とその時代

講 師 浅田次郎

会 場 京王プラザホテル多摩

浅田さん、会場を京王プラザホテル八王子とカン違いして、遅刻しました。(お車は用意されなかったよう)
昨日のこの講演会が仕事始めだとか。勿論、執筆はとっくに始めていたでしょうね。
浅田さんは私が本を借りに行っている図書館のそばにお住まいなので、図書館やスーパーでお見かけしたことがあります。
浅田さんのこと好きでもないのに、有名人に弱いミーハーな私は、以前、同じテーマの浅田さんの講演会に行ったのに、また行って来ました。
やっぱり、ほとんど以前と同じお話でした・・・

現在57歳。
浪人生のとき、三島由紀夫の自殺がキッカケで自衛隊に入隊。
除隊後、アパレル関係の仕事をしながらライターもしていたが、ヤクザの世界に入ったことは一切ないとのこと。
土方歳三はどんな子供だったか、口伝ての話として残っているが、やんちゃ坊主で鼻っ柱の強い子だったそう。
近藤勇は土方より1歳上で、二人とも35歳で死亡。
近藤勇は、残されている写真よりも、もうちょっとカッコ良かったのでは。
京都に行くキッカケとなった決定的な事件・・・
本格的に幕府が講武所を作ろうとしたとき、そこの師範に近藤は内定をもらっていたが、発表のときにひっくり返された。
自分を否定されたというより道場を否定されたと思い、師範に採用されなかったのは百姓の出だからだと思った。
近藤の実家の宮川家は庄屋で名字帯刀を許されていたが、それでもコンプレックスがあった。
近藤、土方の生まれた所は甲州街道沿いで、甲州街道は徳川幕府直轄で治めていたので、二人とも生まれながらに公方様の子であると思っていたのではないだろうか。

浅田さん、図書館批判をしてました・・・
今の図書館は、同じ本を20冊も置いたりしているところがあり、簡単に借りられては本の売れ行きに影響するので交渉しようと思っているとか。
私はまるっきり本を買わないわけではありませんよ。
ホントに面白いかどうか分からないものにお金を使うのが勿体無いこともありますが、昔、次から次と本を買っていて、置き場所に困ったことが本を買わない理由です。
今でも、本当に好きな作家の本や、すぐにでも読みたい本は買ってますよ。
確かに、図書館のサービス向上には目を見張るものがあります。
昔の図書館は、ホント、サービス悪かった~。
コメント (9)

講演会

2008年12月14日 | 講演会
テーマ 「魂の探求者、小泉八雲」

講 師  小泉凡 (小泉八雲ひ孫 島根県立大学短期大学部准教授)

会 場  不動尊五重塔地階大ホール

小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)のひ孫さんが講師だということで、講演会に行って来ました。
NHKTV連続ドラマ「だんだん」は見てませんが、島根県松江市がいつも出てくるので、観光客がとっても多いとか。
ハーンは、人間の魂に終生、関心があったそうです。
ハーンの作品、『勝五郎の再生』(輪廻転生のお話)と『雪女』は、昔の多摩地区から生まれたお話とのこと。
『雪女』は、西多摩郡調布村(現在の青梅市)の農夫による口承文芸で、それを伝え聞いたハーンが作品化し、『怪談』に収録されて有名なお話に・・・それが、雪国の各地で、その土地それぞれのお話になったとか。

ハーンの現代へのメッセージ(共生とシンプルライフの維持)
「コストの高い民族は結果的に全く姿を消すことになるだろう。
自然は偉大な経済家である。
自然は決して過ちを犯さない。
生き残る最適者は自然と最高に共存できて、わずかなものに満足できる者である。
宇宙の法則とはこのようなものである。」
(「極東の将来」1894.1.27.熊本での講演より)


大学1年の次男が、昨日からお不動さんでアルバイトをしています。
講演会場の準備も手伝ったとか。
夫が、働いている次男を携帯で撮って来ようかな、と言ったら、絶対やめてくれ、声もかけないで、と言われてました・・・。
コメント (2)

講演会

2008年11月28日 | 講演会
講師 慈眼寺住職 塩沼亮潤氏 

会場 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ 5F

修験道の中でも最も過酷な荒行といわれる千日回峰行を、吉野山金峯山寺の千三百年の歴史の中で二人目に満行した塩沼亮潤大阿闇梨。
想像を絶する命がけの修行を乗り越え、塩沼氏がつかんだ人生の真理とは何か。 (講演会パンフレットより)

6月30日の記事(こちら )で、塩沼さんの『人生生涯小僧のこころ』という本の中の言葉を紹介させていただいたことがあります。
仙台の奥深くにあるという慈眼寺に1度行ってみたかったのですが、ちょっと遠いなぁ、と思っていたところ、横浜で講演会があるということで、そちらで塩沼さんのお話を聞いてきました。
講演会は基本は無料のものに参加することにしてますが、今回はホテルの主催で参加費が2,000円・・・でも、仙台に出かけるよりはるかに安いので。
講演の後の質問のとき、年配の女性が塩沼さんのそばに行き、不祝儀袋のようなものを差し出しました・・・遠くて伺えないので、これで護摩をお願いしたいということでした。
「こちらはお預かりして、心を込めて護摩を焚かせていただきます。申し上げるつもりはなかったのですが、皆様からいただいた参加費は貧しい人たちに寄付させていただくことにしております」という塩沼さんの言葉がありました。

修験道の行者さんにはいかめしいイメージしかなかったのですが、講演の初め、法螺貝を鼓のようにポンポンとたたき(音の通りを良くするためのよう)、それから口にくわえて音を聞かせてくださいました。
そして、行をするときの衣装などの説明をしてくださいましたが、みんな理にかなったものでした・・・イメージが一新されましたよ。
千日回峰行のときに記した日記をときどき読みながら、お話をしてくださいました。
本にも感動しましたが、実際のお話にもとても感動!でした。

講演会

2008年10月05日 | 講演会
芥川賞選考委員でもある作家・黒井千次さんの講演会に行って来ました。
現在76歳で、小金井にお住まいです。
以前、武蔵野を舞台にした短編集を読み、我が家の近辺も出てきたりして、文章も良く、それから黒井さんの本を読むようになりました。
講演テーマと同じ 『老いるということ』 という著書の中で、次のように述べてます。

「年を取っても若さを保つのは結構なことではあるでしょうが、同時にそれが年齢の無視や老いからの逃避につながる危険があることも見逃されてはなりません。
もしかしたら、老いの中にはその季節にだけ見出せる貴重な何かがひそんでいないとも限らない。
だからここで、あらためて<老いる>ことの意味を探ってみたいと思うのです」

講演の中で、映画『ドライヴィング・ミス・デイジー』のお話をしてました・・・
年を取ることが、二人を隔てていたものを取りのぞき、二人を結びつけたのではないか。

「老化」を「加齢」、「老人」を「高齢者」「後期高齢者」などと言い換えているが、ハッキリ「老化」「老人」と言ってくれた方がいい。

昔の老人は、本当に「じいさん」「ばあさん」で、枯淡の形がパターンだった。
今は、鉄棒で回転する老人が出現したりして、理想的な老人のパターンがない。
老いの中身を考えて、その中でじっくり醸し出すのが大事ではないか。

何かというと「体にいい」というのが嫌い。
今は、バナナが店頭から無くなってしまっているが・・・。
(以前、納豆ブームのときは、ソルト家はそれまで毎日納豆を食べていたので、品薄になって困りました)

70歳は70年の時間を持っているが、20歳は20年の時間しか持っていない。
若いときには出来ないことが出来たり、プラスのものがある。
今までの生き方と無関係ではないから一人一人違って当然であり、どうするかは一人一人が考える。
年寄りにしか出来ないことが出来たり、豊かな可能性がある。
体の老化、心の老化があっていいではないか、自然が一番いい。
病、不眠、トイレが近いなど、年を取って引き受けなければならないことがあるが、その不利を受け入れて(あきらめて)、それを認めた方が自由となれる。
悪あがきはせず、可能性に目覚めよう。
コメント (11)

講演会

2008年06月15日 | 講演会
山崎洋子さんの講演会に行って来ました。
第32回江戸川乱歩賞を『花園の迷宮』で受賞し、作家デビュー。
江戸川乱歩賞に3年間応募し続けたそうですが、東野圭吾もその頃の応募仲間だったとか。
大変な生い立ちを語ってくださいましたが、それに負けることなく生きて来られたのは本や映画のお蔭だったそうです。
人生は今のまま終わるわけではなく大逆転があるということを、本や映画から学んだそうです。

読書サークルが中心となった「墨田下町のつどい」は今回で第33回を数え、たくさんの作家や映画監督などの講演会を開催しています。
浅草の先の東向島までは電車を乗り継いで1時間半程かかりますが、私は今回で3度目の参加となりました。
東向島の駅前には「東武博物館」があり、東武鉄道の電車などを展示。
5分程歩くと「向島百花園」があり、前回までは時間がなく寄れませんでしたが、今日は家を早めに出て寄ることができました・・・

向島百花園にもカルガモの赤ちゃんがいましたよ



同じ池に錦鯉も

岡虎ノ尾(おかとらのお) と 蝶々

花菖蒲 「山紫水明」

海紅豆(かいこうず)

紫陽花 「墨田の花火」
コメント (3)