風船花(ホウセンカ)です! 元気です!

教育系ポップスバンド 風船花(ホウセンカ)の活動日記
日常の中であれこれ思ったことなど

進化することを期待される学校に

2015年11月18日 17時36分35秒 | 人生

友人たちから、「学校って変わらないよね」とか、「未だにそんなことやってるの」など、そんなことを聞かされます。
たとえば、「体験が大切」と何十年、言い続けているか?とか~、「主体的な学習を」というが、僕が昭和45年に入学した南学田小学校は放課後に主体学習という時間があって、次の日の学習ための調べ学習をやっていた。さらに、授業を教科リーダーが進めるということも~。

変われないのは、学校の都合を優先するからことが多いからだと思う。社会を生きる上で直面する課題に対応する能力を育てることをもっともっと考えていかないと。
自分が結構しぶとく生きているのは、南学田小学校の教育のおかげだと僕はとっても感謝してる。公開研究会でたくさんの先生方に参観されたことや、国語の教科リーダーをやっていて、ワカサギ釣りの説明的文章の授業を上手に進められなくて困ったことなど、よく覚えているからね...。

10年、20年後、たくましく生きていける能力を育成する教育をもっともっと考えなくちゃね!


がんと闘う

2015年11月10日 17時21分00秒 | 人生

乳がんと闘う生稲晃子さんのコメントを読みました。
「でもこれからは違います。言葉は悪いかもしれないけど、せっかく生きるか否かの病気になったのだから、私の体験がひとりでも多くの人の参考になれば。勇気を持ってもらえたらと思います。温泉番組なども、依頼があれば出たい。たとえがんにかかっても、これだけ元気に働けるんだということを見てほしいんです」

この強さ、素敵だと思いまいした。


これからを考える

2015年10月13日 20時53分59秒 | 人生

夏のライブのDVDが届く。
今となっては、もう遠い昔みたいな、感じです。

百餅祭りのライブ以来、「なんのための風船花?」と考えることがあって、活動も小休止。
網走の会では一人で歌ってみた。

オリジナルの曲を演奏する。聞く人にとっては、聞いたことのない曲であり、初めて聞く人を惹きつけるほどの作品力もない。
聞き手は、踊れる曲とか、馴染みの歌謡曲がよいわけで、百餅祭りで他のバンドの演奏の様子から、その現実を突きつけられた感じ。
では、考えを改めて歌謡曲等のコピーをやりますか?それにしても、楽しませるための、拍手をもらうほどの、演奏力及び歌唱力はない。
なんだか、「全然ダメじゃ~ん」という感じ。

本日、古くからの音楽仲間の方と話していて、「なんのための音楽ですか?」と質問。
回答は次のとおり。「表現するのが好き。表現の手段として、自分は音楽だったということ。
一人でも二人でもよかったよと言ってくれる、そんな言葉を頼りにしながら続けていく。」とのこと。

気持ちに少し日が差して……この年齢になって、こんなことに悩むなんて恥ずかしいのですが、今後の方向性やスケジュールを考えてみようと思った。

 


20年経ちました……しかし……

2015年10月10日 10時38分58秒 | 人生

書くか、書くまいかと悩んだのですが、こんな話でも何か皆さんの考える材料になれば……と思い、先日のことを!

まず、昨日、10月9日は、平成7年、上咽頭腫瘍の告知を受けた日。
「死にますか?」と尋ねたら、医師は「調べてみないと」と回答をくれた日。あれから、20年が経過。皆さん、ご存知のように僕は生きています。
さて、20年を迎えようとした前日の朝。いつも食べない朝食ですが(「朝ごはんをたべよ!」と歌っているのですが……反面教師です)、レタスをバリバリと食べたのが6時半、いつものようにシャワーに入って、その後、なんだか胃に違和感。「久しぶりに詰まったか」と思いながら、身支度。...
しかし、「胃が痛い」、「かなり痛い」。「今日は、終業式で講話もしなきゃ」、学校へ向かう。「胃が痛い。とにかく、痛い」だんだん痛みが強くなる。
校長室に入って、ソファーに座っていると、部屋に入ってきた先生に「大丈夫ですか?」と声をかけられるも、言葉がでないほど痛い。
『病院に行こう!』と思い、学校が出る。
車でとも思ったが、運転する余裕はないと判断。かかりつけの病院は白石だから、30分はかかる。交通手段はないし、それを考える余裕はなかった。目の前に来たタクシーに乗って、「江別市立病院へ」と。大きい病院は何かと時間がかかると思ったが、状況を思うと仕方なかった。
今度は、汗がドロドロで出した。
タクシーの運転手が「救急車を呼びますか?」と言うが、市立病院は、学校から5分、待つより行った方が早いし、学校にピーポーなんてサイレンがなると地域にも心配されるなんて考えながら、とにかく、「市立へ行ってください」と。それが8時半くらいのことかな。

車椅子に乗せられ、救急外来。心電図だ、採血だ、「意識はありますか?」「何を食べましたか?」と大騒ぎ。
「痛い、痛みさえ止めてくれれいい」と訴えるも、保険証は?、家族は?
仕事は?病歴は?との質問攻め……。質問されるのは当たり前なのですがね。
そのうち、看護師さんの一人が、「校長先生!?」と。
「そうです、校長です!」と答える。

背広の上着までビチャビチャになるほどの汗……。

間もなく、ものすごい吐き気がして…………。

すっかり良くなりました。痛みも嘘のように消えてしまったのです。
冷静になり、「大丈夫です。帰れます。」と言ってみたものの、許されるはずもなく、「尋常な状況ではありません」と説明され、CTへと。
人が変わる度に、「造影剤は大丈夫ですか?」とのべ10回聞かれながら、CTのトンネルの中へ。

結果は、胆石があること(これは経過観察中なので知っていた)、イレウスにはなってなかった。とりあえず、何もなし。

「帰りたい」と医師に告げるが、「原因がはっきりしないから、1日入院して経過をみたい」と。
「結構です。大丈夫です。」と答えるが許してくれない。
「大丈夫」と繰り返しているうちに、医師も「妻に説明してから」と妻の到着を待つことに。

11時ころに妻が来て、説明があって、「どうしますか?」と医師。
「本人が帰ると言ってますので」と妻。
「今晩、何かあっても責任はもてませんよ」と医師。
「自分の命は自分で責任をとります。病気で死ぬのではなく、寿命で死ぬと思っていますから。」と、いねむり先生の言葉を借りた。

平成12年、修学旅行の引率の間近にイレウスになって、病院のベットから学校に向かった時も、医師が妻に「どうしますか?」と聞いて、妻が「本人が行くと言っていますから」と答えた、その時のことを思い出した。

帰りの車の中、妻と「胆石発作だろう」というのが結論。1週間くらいの余裕のある時に切ったほうがいいねというのが見解。

13時半!終業式の校長講話を終了!

大騒ぎをして、わがままを言って、皆さんに迷惑をかけました。心からお詫び申し上げます。医師や看護師さんとって、「ダダをこねる」嫌な患者だったと思います。ごめんなさい


少しましになったかな?

2015年09月29日 18時17分50秒 | 人生

訓子府中学校に勤務した頃の卒業生の配慮でfbにグループができ、いくつかの再会がありました。平成5年(おそらく?)の春にお別れした皆さんも、父として、母として、仕事人として、地域のリーダーとして活躍して様子!
とってもうれしく思います。

体育館で、「君のほしいものは何ですか、僕のほしかったものはなんですか」(吉田拓郎「流星」)と弾き語ってから、20年以上です。僕も小さな毎日を積み重ねてきましたが、皆さんにも様々な人生があったことでしょうね!まずは、fbながら元気に再会できたことに感謝です。
https://www.youtube.com/watch?v=-zVY9zivYwU
ここの学校では、「キセキ」と「栄光の架橋」をすでに弾き語ちゃいましたが……。

あの頃の僕は、短気で感情的でね~!
今、こうして生きてきて、やたらに腹を立てたりしなくなりましたし、少し呑気に考え、さらに前向きに生きるようになりましたから、「あの頃よりは少しましになったような気がします」
姿勢の悪さは、残念ながら、あの頃のままです。
みなさん、お元気で~!

これはあの時使ったギターです。