風船花(ホウセンカ)です! 元気です!

教育系ポップスバンド 風船花(ホウセンカ)の活動日記
日常の中であれこれ思ったことなど

今年の夏のこと!

2015年01月31日 21時15分41秒 | ライブ

今年、8月9日。つれづれざうしの皆さんと、札幌COLONYでライブです。
先日、会場を予約しました。
35年前、僕らは高校生で、つれづれの皆さんは大学生。
つれづれぞうしの皆さんから、音楽はもとより、いろいろなことを教えていただきました。

長年の念願かなって、遂にジョイントです。
ぜひぜひ、たくさんの方々にご来場いただきたいです。

これから企画を入念に、練習も計画的にです。

そして、その次の週は、昨年に引き続き、ライジングだね。
昨年は、初めてだったけど、とっても楽しかった。
今年は、誰が見られるか?楽しみだね。


治ることもある 元気になることもある~結構、しぶといよ

2015年01月30日 18時08分19秒 | 人生

自分が体験した3つの治療について紹介させてもらいました。
自分の辛さよりも、僕の姿を見てあれこれ想像してしまう家族の方が辛い気持ちだったと思う。

副作用とか、今の体の機能の不具合などは、受け入れてしまったいるからね、大したことではない。
人と比べたり、正常な状況を思いさえしなければ……ね。

安易に、潰瘍性大腸炎を患っている方に、「大丈夫ですよ」という訳ではないですよ。
インターフェロンも咽頭癌そう……「心配ないよ」ということではない。

治ることも、元気になることもあるよ~くらいかな!?

これだけ、経験させてもらったので、自信持って僕が言えること、それは、「結構、しぶとく、生きてやる!」ってことです。


愛用の文鎮「牛」です!!


頑張った!インターフェロン

2015年01月29日 17時19分17秒 | 人生

これは、我ながらよく頑張ったと思っていますよ。

火曜日だっか、水曜日だったか、週1回。朝、7時に厚生病院に行って、なるべく早い受診番号をゲットする。
そうすると、出勤時間前に採血してもらえるんです。

採血した血液検査の状況で、主治医が判断して、インターフェロンを実施するか否かが決まるんです。
学校訪問等がなければ、そのまま外来に行って、診察を受け、注射をする。そうすると、11時くらいで終了。

いつも、こうであればいいのだが、毎回、学校訪問が入っていたから、採血をしたら、そのまま出勤。
そして、出張に行く。
帰ってくるが、夕方だから、それから、夜7時ころ、救急外来に行くんです。そして、そこで注射です。

なるだけ、仕事に支障のないように頑張った。
看護師さんには、異例のことと、随分、怒られたけれどね。
幸い、副作用もなかった。感じなかった?人によっては鬱になったりするみたい。
全くそんなことはなし。元気に24回の注射を完走!ってな感じ!

10回目くらいで、ウイルスも消えていたような!!効果のあるタイプだと言われていたが、まさによく効いた。効果大!

治療が終わって周囲からは、「顔色も変わったし、明るくなった」と言われた。そんなに自覚はなかったが、それなりに肝炎の症状が表にも出ていたのでしょうね。

いろいろ、ホント、あれこれ体験したけどね、治るんですよ。うん、僕は治ったんですよ。

僕は、「癌で死ねない時代」という言葉がとっても実感できます。

3月14日の研修。10数年前、御指導いただいた先生から直接のお誘いをいただいた。声を掛けていただいたことがとってもうれしい。


ついでだから…インターフェロンの話もね

2015年01月28日 19時54分18秒 | 人生

平成18年にインターフェロンも体験。
もともと、C型のキャリアだと知っていて、それまでは静かにしてくれていたのだけれど。
網走での生活が良くなかったのか、血液検査の結果、肝臓のデータが良くなく、
所謂、肝炎の傾向に…!

「それでは、どうしましょ?」

「はい、インターフェロンです」
となりました。

平成18年の3月29日。その年、高校に合格して入学式前の長男とRストーンズを札幌ドームで見た。
その次の日から、栗山日赤に検査入院。

治療そのものは、網走の厚生病院でやった。
網走合同庁舎の前が、厚生病院だったから都合が良かった。

恐らく、週1回、のべ24回の注射を打ったような気がするんだけど……。

この通院・受診については、僕のちょっとした根性物語です。
では次回から!!


もう1回切る~「2本にしておいたよ」

2015年01月27日 19時14分42秒 | 人生

今日、北見にいる次男がfb上に現れた。友達申請、長男を紹介。長女は、すでに友達だった。

イレウス、基本通り、鼻から管を通されて…。改善せず、結局、また、お腹を開けることになる。
術後、「管を2本にしておいたから、1本だめでも何とかなるようにしておいた」というようなことを言われたような…。
あれから、16、7年…今は、どの管が動いているのか、お腹のことは分からない。

今でこそ、何もないが、数年は「詰まったかな」ということも数回。
3年生の担任で、修学旅行。10日くらい前に、「詰まった感あり」で、即、これも入院。
鼻から管を通して、数日間。「流れろ、通れ」と祈って、ベットの上。
2日前に、すーっと…流れて…。
病院のベットから、そのまま修学旅行の引率へ。普通の食事は危険だから、液体食の缶をバックに入れてね。
最終日、中山峠で揚げイモを食べてしまったけどね。

普通の内臓の方から見れば、僕の生活は、「え~」と思うでしょうが、すっかり受け入れて、これが普通の僕には何でもないこと。
外見は全く分からないだろうし、何でも食べれるし、お酒もOK。

喉の治療の時の副作用で、唾の出が悪いから、水分を取りながら、流し込むようなところがあって、これは僕の内臓にとってはよくないのだろうなと思うが仕方ない。
外に出たときには、特にお酒も飲むときには、食べ過ぎないように思いつつ、食べ過ぎて、失敗も、数々……。

さてさて、大腸がなくても、生きることはできるということです。少々の不便を覚悟すれば…。

自分は必死だから、自分の体だしね、何となくいろいろな実感があるのだけれど、家族はいつもはらはらドキドキだったと思う。
幸い、看護師で、割と気丈な妻だからね。助けてもらったよ。

昨日から、タバコをやめました。まだ、ちょっときついけど、なんとかなりそう!!
太らないように気をつけよっと。

よかったら、聴いてください。私のラジオ出演!https://www.youtube.com/watch?v=2DZN-uJsmn0