すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

おなじものが流れてる

2016-08-15 | 心で生きる
世の中には犬や猫が嫌いな人がいる。

私の姉兄は私が知る中でのいちばんの動物嫌いで
同じ環境で育ったのに
なんでこうも違うかなと驚きです。


生きものが好きな人、嫌いな人
いろいろいるけど
観察していて気がついたこと 💡



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私たちは他者とコミュニケーションをとるとき
相手の目や仕草から
相手の気分とかを、なんとなく
瞬時に察知できる能力がもともとありますよね。
誰に教えられたわけでもなく。


それは相手の中にも自分と同じ共通の”川”のようなものが流れている
という前提があるからではないでしょうか
快不快の基準とか
こんなことされたら嫌だろうな、とか
ニコッとしたらされた方もニコッとなるとか
だいたい想像つくじゃないですか。
そういう共有している部分があるという前提。


生きものと仲良くなれる人にとっては
その共通の川が広くて
人間以外でも動物(人によっては虫や微生物まで)とも共有してるという認識
だから当然、気持ちが通じるし
「通じあえる」という前提がもともとある。
(意識してなくても)


生きものが苦手な人にとって(あるいは玩具的に見てる人)
他者と共有している川は
人間だけに流れていて
他の生きものは生きもので
各種別の専用の川が別にあると思っている
だから
動物が何考えてるのか
わからないし
わからないから
怖い!となる。
(いらなくなったら捨てる、となる)

のではないかな~


私は気がついたときには
ほぼALL生きものOK!だったから(クモだけはダメだった)
意識したことがなかったけど
最近、改めて
うちの犬猫たちを眺めていて思うことは
動物だけど
目が合った時に
人と目が会ったときと
なんら変わらない感覚
これって
同じものだよなー
私たちを生かしてる”命”というか”ここに在る感覚”って
全く同じものだ
って思います。


動物嫌いも虫嫌いも、それは自由ですが
もし、もしも
嫌いを好きに変えたいと思うのなら
いちばんの近道は
見ること、
観察です。


関心がなければ何も見えてこないけど
それでも、ある程度の時間
見つめていたら
必ず一つは気が付くことがあります。

ほかの生き物も自分と同じに感じるんだ、って
たとえば
犬も、歯にものが引っかかったら気持ちわるいんだぁ とか
猫も、こちらがニコッとしたらホッコリするんだぁ とか
カマキリもガン見されたら緊張するんだぁ とか
バッタも触覚やら顔をキレイに撫でてお手入れするんだぁ とか

そんな共通のことに気がついたら・・・
怖い!っていうのは緩和されます。(私はこれでクモ嫌いを克服した)
そして
相手の気持ちがなんとなーく伝わってきたら
こちらの発するものも相手に影響を与えてるってわかると思います。


そうすると、こちらがどういう気持ち、波動を発するかで
相手は脅威ではなくなるんですよ。


これ、おもしろいですよ~~~~


嫌いな人にとっては大きなお世話でしょうけどねヽ(*´∀`)ノ