すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

わたしと 世界と

2019-10-03 | サンガ
昔 アパート暮らしの頃
うめという名前の猫と暮らしていた


ある冬の朝
目が覚めると
窓の外は真っ白
15㎝くらい雪が積もってた


うめはいつも好きな時に自由に外に出かけていて
その日も朝、外に行くと鳴くので
窓を開けてやると
うめにとって初めて見る雪。

今日はムリだよーと私

うめはしばらく迷ったあげく
おそるおそる窓から飛び降りた

ボスッ。。。


まだ大人になりきってないうめは
四肢がすっぽり雪にはまってしまい

だから言ったでしょー

うめは渋々戻ってきた


けれど今度は

玄関に行って
出してーと鳴く



裏庭と玄関前は違う気候と思ってんのか・・・!?


一緒だってばー
と言いながら開けてやると

・・・・・

うめ、フリーズ

めっちゃ不満そうだった


うめは大人になりかけで、まだ行動範囲が狭いからかなと思ったけど

それを見て
自分のこどもの頃の空間認識の感覚を思い出した。





裏山を駆け回って遊んでいたころ・・

自分が実際に動きまわる範囲と
見えるところまでが世界のすべてだった。


アリの巣をジーーーッっといつまでも観察するような子供だったけど
いつも、
この小さな生きものたちは
どんなふうにこの世界を知っているんだろう?
どんなふうにこの世界が見えてるんだろう?とか考えていた

今の私の言葉で「世界」と書いたけど
その時は
それをじっと見ている「私」とか
私の行動次第でこの生き物たちの一生が左右されることとか
(例えばやろうと思えば巣を壊すことだってできる)
そんな存在がすぐ近くで見ていることを知っているのだろうか?

知っていても知らなくても
世界がどんなだろうと
同じように
巣を作って餌を運んで子供を育てて巣を作って・・・ってやってるんだなって

こんなにちっぽけな、不安定な存在なのに・・って

不思議な気持ちで見ていた





「世界」っていうのはリアルではなくて

ほんとうは
あの
子供の頃の空間認識、あれだけがリアルなんだ


「世界」も「社会」も「世間」も
いまだかつて
だれも見たことがない



それぞれの思考の中にあるイメージを
擦り合わせて
見ている気になっている



もしも既存の世界というものがあって
その中に私がいるとすれば

私は世界のどこら辺に位置してるのか
いつもいつも気にしなきゃいけないし

アリの巣を見ている誰かが
いつ巣を引っ掻き回すかもしれない怖れが付いてまわる


けれど
リアルでは
既存の世界なんてものは幻想でしかなくて
いつもここに空間座標の原点があるんだ

すべての存在のいまここに


だからアリは今日も巣を作る
鳥は飛ぶ
猫は寝る
私はいまを味わう





在りし日のうめ 
よき相棒でした


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