夏至の瞑想会@塩炊き屋 から約3カ月
秋分間近の9/13はここ草ノ尾ハウスにて瞑想会でした。
今回は10名の方が集まってくれて
素晴らしい場になってたなぁ。。
振り返ると、じ―――んとあたたかいものに包まれる
その時期、私的にジェットコースターのような日々の中だったので
ただ、その時間に自分のコンディションが良くあることだけを考え
何を話そうかとか考える余裕がなかったのが、かえって良かったようだ。
力が抜けた空っぽの中から
体を通して言葉が出てきた。
考えなくても
ちゃんと、必要なことが起こるんだな
瞑想が終わってから、ふと出てきた言葉
「真理のもとに集う人々、場」である“サンガ”があったらいいな
そういう場がつくれたらいいな、ってずっと思ってたので
(今日はまさにそういう場になってたので)とても嬉しいです。
ありがとうございました。」
今回は「持ち寄り市」も同時開催ってやってみたけども
やってみてわかったことは
草ノ尾ハウスの瞑想会は
なーーーーんにもしないのがいいなぁ
瞑想は
「私」が何者か、を横に置いて
誰でもない「存在」に還ること
持ち寄り市はまったく逆のベクトルだなと実感した
自己紹介すら要らないなって思った
やってみたからわかったことだった
ここでは「誰でもない私」としての時間を味わってもらえたらなぁって思う
これからが楽しみだ。
そして
日曜日はそらいろガーデン
これまで描かせてもらったフライヤーの原画展をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4d/6410c0ac9ba32e71c8b5046edc7a3a50.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c2/e245ccfd6b0de1ba03d5aae4bb04a096.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/67/adf0e29e316043731f429c43e8970bfe.jpg)
印刷ではわからない、切ったり貼ったりの質感に触れてもらって
喜んでもらえて嬉しかった
私は「適当」があまりよくわからない。
フライヤーっていう枠、大無視で(笑)
好き勝手にやらせてもらえて
毎回すごく楽しかった。
瞑想レクチャーするということも
このそらいろガーデンがきっかけだった
この場が大きな後押しをくれた。
今回でそらいろガーデンは卒業することにしました。
毎月一枚の絵を描くことで
私の中で確信になったことがあって
それは今の私的ジェットコースターの流れとがっちりリンクしていて
はっきりと照準を定めて
生活をシフトしているところ。
何を中心に据えて生きるか
やっと
はっきりとスッキリとしてきた。
前はこのブログのプロフィール欄に
草ノ尾ハウスは「暮らしがアソビ、アソビがシゴトを実践する場」って書いてたけど
逆に本意が伝わらないことがあったので消した。
(そもそも人によって遊び、仕事、の定義がさまざまだったからなんだけど)
私が書いた「遊び」とは
損得勘定なしで、見返りや評価を期待せず、ただその行為自体が即「純粋な喜び」であること
だけど多くの場合
先にある目的のために、「今在ること」に気付くことなく
今を擦り減らす生き方の場合、遊びは「現実逃避」として捉えられる。
今が苦しいから。
そして仕事・生活・遊びと区切って、そこに優劣をつける。
今 在ること に気が付けたら
私を中心に広がる世界がただあるだけで
「これは生活」「これは仕事」「これは遊び」という区別はなくなる。
だから見返りを考えず損得を考えず、ただ「今できる最善」をやるようになる。
主体的に世界とかかわるようになる。
「世界」に対して「私」が、従→主にシフトする。
そうすると私の世界は彩りを取り戻す。
そうして
内側からの喜びが溢れて
自分からも喜びを周りにも分け合いたくなって
結果的にうまく回り始めるんじゃないかな・・
それを証明したいな・・という想いからの表現だった。
もうそのことを広めたいとかそんなことはどうでもいい
本当に、私がそのように生きたいと思う
探しものは外にはなかった。
内側を発掘する
ワクワクしてる
↓クリックしてケロ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en4.gif)
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秋分間近の9/13はここ草ノ尾ハウスにて瞑想会でした。
今回は10名の方が集まってくれて
素晴らしい場になってたなぁ。。
振り返ると、じ―――んとあたたかいものに包まれる
その時期、私的にジェットコースターのような日々の中だったので
ただ、その時間に自分のコンディションが良くあることだけを考え
何を話そうかとか考える余裕がなかったのが、かえって良かったようだ。
力が抜けた空っぽの中から
体を通して言葉が出てきた。
考えなくても
ちゃんと、必要なことが起こるんだな
瞑想が終わってから、ふと出てきた言葉
「真理のもとに集う人々、場」である“サンガ”があったらいいな
そういう場がつくれたらいいな、ってずっと思ってたので
(今日はまさにそういう場になってたので)とても嬉しいです。
ありがとうございました。」
今回は「持ち寄り市」も同時開催ってやってみたけども
やってみてわかったことは
草ノ尾ハウスの瞑想会は
なーーーーんにもしないのがいいなぁ
瞑想は
「私」が何者か、を横に置いて
誰でもない「存在」に還ること
持ち寄り市はまったく逆のベクトルだなと実感した
自己紹介すら要らないなって思った
やってみたからわかったことだった
ここでは「誰でもない私」としての時間を味わってもらえたらなぁって思う
これからが楽しみだ。
そして
日曜日はそらいろガーデン
これまで描かせてもらったフライヤーの原画展をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4d/6410c0ac9ba32e71c8b5046edc7a3a50.jpg)
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印刷ではわからない、切ったり貼ったりの質感に触れてもらって
喜んでもらえて嬉しかった
私は「適当」があまりよくわからない。
フライヤーっていう枠、大無視で(笑)
好き勝手にやらせてもらえて
毎回すごく楽しかった。
瞑想レクチャーするということも
このそらいろガーデンがきっかけだった
この場が大きな後押しをくれた。
今回でそらいろガーデンは卒業することにしました。
毎月一枚の絵を描くことで
私の中で確信になったことがあって
それは今の私的ジェットコースターの流れとがっちりリンクしていて
はっきりと照準を定めて
生活をシフトしているところ。
何を中心に据えて生きるか
やっと
はっきりとスッキリとしてきた。
前はこのブログのプロフィール欄に
草ノ尾ハウスは「暮らしがアソビ、アソビがシゴトを実践する場」って書いてたけど
逆に本意が伝わらないことがあったので消した。
(そもそも人によって遊び、仕事、の定義がさまざまだったからなんだけど)
私が書いた「遊び」とは
損得勘定なしで、見返りや評価を期待せず、ただその行為自体が即「純粋な喜び」であること
だけど多くの場合
先にある目的のために、「今在ること」に気付くことなく
今を擦り減らす生き方の場合、遊びは「現実逃避」として捉えられる。
今が苦しいから。
そして仕事・生活・遊びと区切って、そこに優劣をつける。
今 在ること に気が付けたら
私を中心に広がる世界がただあるだけで
「これは生活」「これは仕事」「これは遊び」という区別はなくなる。
だから見返りを考えず損得を考えず、ただ「今できる最善」をやるようになる。
主体的に世界とかかわるようになる。
「世界」に対して「私」が、従→主にシフトする。
そうすると私の世界は彩りを取り戻す。
そうして
内側からの喜びが溢れて
自分からも喜びを周りにも分け合いたくなって
結果的にうまく回り始めるんじゃないかな・・
それを証明したいな・・という想いからの表現だった。
もうそのことを広めたいとかそんなことはどうでもいい
本当に、私がそのように生きたいと思う
探しものは外にはなかった。
内側を発掘する
ワクワクしてる
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