ダルバール広場の外れに来た頃、ガイド君から「私は美術学校に通っていて、その場所でネパールの伝統的な絵を描く様子が見学できます。一緒に見に行きませんか」との提案がありました。
興味を惹かれたので、「OK」と答えると、ガイド君は広場に接する通りを北へ歩き始めました。
2~3分歩いた後、とある建物の二階に上がって行くと、そこはギャラリーとなていて、様々の曼荼羅絵が展示されていました。
部屋の片隅では、高校生から20歳前後と思われる女性達が熱心に曼荼羅絵を描いていました。
ギャラリーの責任者らしい女性が、私に熱心に絵の解説を始めました。
「そうか、目的はこれか」と思いました。
私はガイド君に、「明日からヒマラヤトレッキングに行くので、荷を増やす気はない。ザックに絵を入れて持ち運ぶ気もない」ときっぱり断りました。
それより何より、私は曼荼羅絵に関して購入する程の興味を持ちません。
何しろ、私の趣味はサム・フランシスやアンドリュー・ワイエスですから、勧める相手を完全に間違えています。
とは言っても、緻密な曼荼羅絵は、評価に値するのは確かでしょう
ネパール人は、ほんわか適当な人物ばかりと思っていましたが、そうとは言えないかもしれません。
ガイド君とはここでお別れかなと、思いましたが、私が階段を下りると一緒に付いて来て、「今度はゴールデンテンプルへご案内します」と言い出しました。
「 ?! 絵を売りつけるのが目的じゃないの?」
訳が分からなくなって、「ところで貴方は何歳なの?」と聞いてみました。
「31歳です」との答でした。
「え!(息子と同じ歳じゃないか) まだ語学学校に通っているの?」
「働きながら、いろんなことをやっています。ネパールではそうせざるをえないのです」
という返事でした。
そうですか、もう細かいことを聞く必要はありません。
彼の案内するままに、ゴールデンテンプルの門を潜りました。
あまりにも恵まれた、日本の価値観だけで発想することが、恥ずかしくなったのです。
正式名をヒラニャ・ヴァナル・マハヴィハール寺院と称するゴールデンテンプルは、12世紀に建立されましたが、現在の建物は19世紀に完成したそうです。
本堂は金で覆われ、仏像も金色に輝いていました。
ゴールデンテンプルは3方を廻廊に囲まれた中庭があり、そこに小さな祠が安置されていました。
祠の周囲に、何かの果物を持つ猿の像が設置されていました。
旅先だと、こんなことがとても気になります。
帰国して調べると、猿が持つのは波羅蜜と呼ばれる果物のようです。
それにしてもこのお猿さん、聡明な表情がとても印象的です。
孫悟空はお猿さんですし、この猿、只者ではないかもしれません。
ゴールデンテンプルを裏庭へ抜け、1392年に建立された、シヴァ神を祀るクンべシュワール寺院へ向かいました。
しかし、私は自転車を返す時間が気になり始めていました。
ガイド君にその旨を伝え、ダルバール広場に戻ることにしました。
ダルバール広場に戻ってから、一生懸命に説明してくれたお礼に、求められた訳ではないのですが、ガイド君へ500Rsを手渡しました。
この金額が多いのか、少ないのか判断に迷いますが、カトマンズの平均月収は8000 Rs程度と聞いたことがあります。
日本での金銭感覚とかなり異なるようで、過不足はないとは思いますが、マァ あまり深く考えないことにしました。
慌ただしい、パタン訪問でしたが、一人では行けない、気付かない場所を案内してくれたガイド君に感謝、感謝です。
そういえば、ガイドをしてくれてる時、「英語はどこで勉強したの?」と聞いたら、「独学です」の答えでした。
私はこのような「努力の人」にかなり弱いところがあります。
パタンのダルバール広場を出発する時、周囲の建物から、広場中央のタレジュの鐘近くにまで影が伸びていました。
タレジュの鐘は、1736年にマッラ朝のビシュヌ王によって造られ、争議時の判定時に請願者が不平と思う時に鳴らされたそうです。
パタンを去る時私は「タレジュの鐘を、戯れに鳴らしてみようか」などとは微塵も思いませんでしした。
まさか、ガイド君に鳴らされるはずは・・・ ないですよね。
などと、こんなことを書くのは、ガイド君にもっと渡せば良かったかなと思うからで、一生懸命の人にもっと援助すればよかったと、ちょっと反省しています。
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