goo

あの鐘を鳴らすのは誰

2014-04-10 23:01:38 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ダルバール広場の外れに来た頃、ガイド君から「私は美術学校に通っていて、その場所でネパールの伝統的な絵を描く様子が見学できます。一緒に見に行きませんか」との提案がありました。

 

 興味を惹かれたので、「OK」と答えると、ガイド君は広場に接する通りを北へ歩き始めました。

 

 

 2~3分歩いた後、とある建物の二階に上がって行くと、そこはギャラリーとなていて、様々の曼荼羅絵が展示されていました。

 

 部屋の片隅では、高校生から20歳前後と思われる女性達が熱心に曼荼羅絵を描いていました。

 

 ギャラリーの責任者らしい女性が、私に熱心に絵の解説を始めました。

 

 「そうか、目的はこれか」と思いました。


 私はガイド君に、「明日からヒマラヤトレッキングに行くので、荷を増やす気はない。ザックに絵を入れて持ち運ぶ気もない」ときっぱり断りました。

 

 それより何より、私は曼荼羅絵に関して購入する程の興味を持ちません。


 何しろ、私の趣味はサム・フランシスやアンドリュー・ワイエスですから、勧める相手を完全に間違えています。

 

 

 とは言っても、緻密な曼荼羅絵は、評価に値するのは確かでしょう


 ネパール人は、ほんわか適当な人物ばかりと思っていましたが、そうとは言えないかもしれません。 

 

 ガイド君とはここでお別れかなと、思いましたが、私が階段を下りると一緒に付いて来て、「今度はゴールデンテンプルへご案内します」と言い出しました。


 「 ?! 絵を売りつけるのが目的じゃないの?」


 訳が分からなくなって、「ところで貴方は何歳なの?」と聞いてみました。


 「31歳です」との答でした。


 「え!(息子と同じ歳じゃないか) まだ語学学校に通っているの?」


 「働きながら、いろんなことをやっています。ネパールではそうせざるをえないのです」
 という返事でした。


 そうですか、もう細かいことを聞く必要はありません。


 彼の案内するままに、ゴールデンテンプルの門を潜りました。


 あまりにも恵まれた、日本の価値観だけで発想することが、恥ずかしくなったのです。

 

 

 正式名をヒラニャ・ヴァナル・マハヴィハール寺院と称するゴールデンテンプルは、12世紀に建立されましたが、現在の建物は19世紀に完成したそうです。

 

 本堂は金で覆われ、仏像も金色に輝いていました。


 ゴールデンテンプルは3方を廻廊に囲まれた中庭があり、そこに小さな祠が安置されていました。

 

 祠の周囲に、何かの果物を持つ猿の像が設置されていました。


 旅先だと、こんなことがとても気になります。

 

 帰国して調べると、猿が持つのは波羅蜜と呼ばれる果物のようです。

 

 それにしてもこのお猿さん、聡明な表情がとても印象的です。

 孫悟空はお猿さんですし、この猿、只者ではないかもしれません。

 

 

 

 ゴールデンテンプルを裏庭へ抜け、1392年に建立された、シヴァ神を祀るクンべシュワール寺院へ向かいました。

 

 しかし、私は自転車を返す時間が気になり始めていました。

 

 

 

  ガイド君にその旨を伝え、ダルバール広場に戻ることにしました。

 

 ダルバール広場に戻ってから、一生懸命に説明してくれたお礼に、求められた訳ではないのですが、ガイド君へ500Rsを手渡しました。

 

 この金額が多いのか、少ないのか判断に迷いますが、カトマンズの平均月収は8000 Rs程度と聞いたことがあります。


 日本での金銭感覚とかなり異なるようで、過不足はないとは思いますが、マァ あまり深く考えないことにしました。

 

 

 慌ただしい、パタン訪問でしたが、一人では行けない、気付かない場所を案内してくれたガイド君に感謝、感謝です。

  

 そういえば、ガイドをしてくれてる時、「英語はどこで勉強したの?」と聞いたら、「独学です」の答えでした。

 私はこのような「努力の人」にかなり弱いところがあります。

 


 パタンのダルバール広場を出発する時、周囲の建物から、広場中央のタレジュの鐘近くにまで影が伸びていました。

 

 タレジュの鐘は、1736年にマッラ朝のビシュヌ王によって造られ、争議時の判定時に請願者が不平と思う時に鳴らされたそうです。

 

 パタンを去る時私は「タレジュの鐘を、戯れに鳴らしてみようか」などとは微塵も思いませんでしした。

 

  

 まさか、ガイド君に鳴らされるはずは・・・ ないですよね。


 などと、こんなことを書くのは、ガイド君にもっと渡せば良かったかなと思うからで、一生懸命の人にもっと援助すればよかったと、ちょっと反省しています。

  

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。 

ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 1

ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 2

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

パタンのダルバール広場

2014-04-10 22:28:56 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 1200年カトマンドゥ盆地にマッラ王朝が起こりました。

 

 マッラ王朝は1484年にカトマンドゥ、パタン、バクタブルの3王朝に分裂し、1769年シャハ王朝によって滅ぼされます。

 

 3都市には現在も、ネパール語で宮廷を意味するダルバールと呼ばれる広場があり、夫々の広場に宮殿や寺院が建ち並んでいます。

 

 私はパタンのダルバール広場に着くと、自転車を抱え、膝下程の高さの、広場を囲む石垣を跨ぎ、近の柱に自転車をロックしました。

  

 広場の隅には土産物屋があり、その奥に中世を感じさせる寺院などが並んでいました。

 

 

 時刻は既に15時近くになっていましたが、晴れ渡った空から、まるで初夏のような陽射しが降り注いでいました。


 私は周囲の建造物を眺めながら広場の奥へ進んで行きました。

 

 

 そんな時突然、背後から誰かに、「すみません、チケットを持っていますか?」と訊ねられました。


 「チケット?」 何を言われているのか最初は理解できませんでした。


 しかし続けて、「この場所はチケットが必要ですから、あそこのチケット売り場でチケットを購入して下さい」


 と言われてやっと、「ああ、そう云うこと」と状況を理解しました。

 

 ダルバール広場の入口には交番程の大きさのチケット売り場があって、外国人はそこで500Rsの入場料を購入することになっているのです。

 

 

 

  多分、私に声を掛けた人と思うのですが、私がチケットを購入すると、道路の反対側を指さし、「あの建物の上から見るダルバール広場が一番美しいですよ」と教えてくれました。

 

 教えられた通りにその建物に登って「パチリ」とシャッターを押します。

 

 その画像は、入場料と引き換えに渡されたカード「パタン・ツーリスト・エントランス」の絵と全く同じでした。

 

 チケット購入時に、広場の中ではカードを紐で首から吊るして下さいと言われました。

 

 広場へ戻って散策を始めると、先ほどの人が横に来て、「日本語学校で日本語を勉強していますので私がご案内します。」と言って、左手の建物へ私を導きました。

 

 最初は日本語でしたが、途中から英語の説明に変わりました。

 

 「ここは王宮だった場所で、中庭では今も祭りの時に、牛やヤギが生贄にされます」


 「建物の柱に掲げられた像はシバ紳で、象や猪の顔をした様々な神がいます」などと熱心に説明してくれました。

 

 

 

 最初は「なんだか胡散臭そうな奴だな」と用心していたのですが、そんなに悪い人でもなさそうです。

 

 広場を奥へ進みますと、マンガ・ヒティと云う10メートル程の深さの、飲用水が流れる水汲み場がありました。


 ガイド君の話では、このような施設があるのはパタン以外ではカトマンドゥと古都バクタブルだけなのだそうです。


 つまりそれ程に、かっては主要な都市であったと言える証なのでしょうか。

 

 

 ビムセン寺院は広場の一番北側にあり、職人や商人の神様が祀られていていました。


 屋根の上からドバジャと呼ばれる帯状のものが垂れ下がっていますが、これは神が降りたつ道筋を示すのだそうです。

 

 

 ダルパール広場の散策を続ける内に、ガイド君への警戒心もかなり薄れてきました。


 広場の北外れで「地球の歩き方」に紹介されている、カフェ・ド・テンプルを見かけました。


 なかなかお洒落な雰囲気を醸していました。

 

 

 今度ネパールに来るときはパタンに泊まり、夕陽のダルバール広場を眺めつつ、こんな店で食事をするのも悪くないかなと思ったりしました。

 

※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。 

ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 1

ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 2

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )